懐かしい曲が頭に浮かんだ。
『22才の別れ』、わが青春の一曲だ。
しかしいま聞くと不思議な違和感がある。
22歳は人生を決めていい歳なのだろうか?
――という話。
(写真:ChatGPT)
【私の頭はこんなふうに横滑りする】
私の頭がどういう連想の仕方をするのか――連想といって悪ければどういった《横滑り》の仕方をしてどんなふうに止まるのか、具体的に少しお話しします。先週の雪かきから始まった話です。
20年ほど前に大雪があった、それが先週の中心となる話でした。そういえば10年ちょっと前にも大雪があって、その時は雪かきで腕の筋を痛めて大変だった、昔のようなわけにはいかない、老人は注意しなくてはいけない。
私も齢を取ったものだ。若いころは雪が積もること自体がうれしかった。そういえば歌謡曲やポップスにも、昔はいい曲が多くあった。
中島美嘉の「雪の華」、レミオロメン「粉雪」。桑田佳祐の「白い恋人達」。演歌で言えば吉幾三の「雪国」、石川さゆりの名曲「津軽海峡冬景色」、さらに古いところでは森昌子の「越冬つばめ」。猫というグループの「雪」。いやいや忘れてはいけないイルカの「なごり雪」。
改めて考えると最近の歌には雪を題材にしたものは少ないような気がする――いや待てよ。そもそも最近の歌を聞いていない、知らないじゃないか。もしかしたら今流の歌の中にも、私の知らない名曲があるのかもしれない。
――そんなふうに思いを巡らせる私の頭の中に、懐かしい一曲が流れてくる。それがなぜか「22才の別れ」。雪は降っていない気がする。そして突然、大きな疑問が降ってきて、連想から覚めるのです。
「え? 22歳で好きな人と別れて、違う男と結婚するの!?」
【無関係に見えるものにも関連がある】
「22才の別れ」は1975年にフォークデュオ風(かぜ)がシングルレコードとして発表したもので、オリコン年間チャート7位、総売り上げ70万枚の大ヒットとなった曲です。作詞作曲はフォークグループかぐや姫のメンバーだった伊勢正三。風はその伊勢正三と猫の大久保一久が結成したグループだったのです(かぐや姫だの、風だの、猫だのといったグループ名は今となっては面倒くさい)。
この曲についてはややこしい事情があって、その1年前、かぐや姫が出した4枚目のアルバム『三階建の詩』に、伊勢の提供したもうひとつの曲「なごり雪」とともに収録されており、「22才の別れ」は風が、「なごり雪」はイルカが、それぞれカバーして大ヒットにつながったものなのです(イルカはソロの女性シンガー)。
その意味では私が「なごり雪」を思い浮かべたとき、頭の中で「22才の別れ」が流れたのはまったく理由のないことではなかったのかもしれません。そして「22才」と「別れ」という二つの言葉に引っかかって立ち止まったのも、ここ数年、私が若者の非婚問題に気持ちを揺さぶられていたからかもしれないのです。
【「22才の別れ」の構造】
歌の主人公は22歳の女性です。
長いあいだ交際のあった優柔不断な男性との別れを決意し、今日それを告げようとしています。明日に伸ばせばまた彼のやさしさに包まれて言えなくなりそうなので、今日、言うしかないと思い詰めています。
思えば誕生日ケーキに22本のローソクを立て、17本目から一緒に火をつけたのもついこの間のことのようです。17本目からというのは、そこからがふたりの歴史が始まったからです。けれど今、彼女は彼と別れようとしている。別れて何をするのかというと、結婚しようとしているのです。
なぜそれが分かるのかというと、本人が「あなたの知らないところへ嫁いでゆく私」という言い方をしているからです。しかも彼女はその決断を、「鏡に映して見なくてはならないような複雑で面倒くさい《あなた》」の代わりに、「目の前にあった幸せ」にすがりついてしまった行為だと説明しています。いつか現れるかもしれない大きな幸せではなく、確かに存在する小さな幸せを選んだという意味なのでしょう、それも分からなくはない。しかし何も急いで結婚することはないだろう。
――それが久しぶりに「22才の別れ」を思い浮かべて、思わず私が立ち止まる気持ちになった理由なのです。
「いまはただ、5年の月日が長すぎた春と言えるだけです」と彼女は言います。確かに5年は長い。しかしそれでも彼女はまだ22歳なのです。これからもう一度「5年の長すぎる春」をやっても27歳、性懲りもなく3回目の「長すぎる春」をやってもまだ32歳。勝負はいくらでもできます。
5年もウダウダとしてはっきりしない男と別れるのはけっこう。しかし何を焦って結婚しようとするのか、それが引っ掛かったのです。
【私自身の「22才の別れ」】
風の「22才の別れ」が発売されたのはいまからほぼ50年前の1975年。私はまさに22歳でしたから周囲に記憶があるのですが、そのころでも22歳は焦って結婚しなくてはならない年齢ではなかったように思うのです。
確かにその年か翌年、私の知る中でもっとも素晴らしい女性が短大卒2~3年で結婚してしまいましたが、当時であっても「早すぎる結婚」という印象がありました。いつかプロポーズするはずだった私はまだ海のものとも山のものともつかない大学生でしたし、ほかの女友だちが結婚したのも、早い子でその数年後です。4年制大学を卒業するのは順調に行っても22歳。卒業と結婚が一緒というのはそれほど例のある話ではありません。22歳で結婚するのはむしろ大変なのです。
しかしそんな私の疑念に対して、正面から立ちふさがるのが、「22才の別れ」が70万枚というビッグヒットで、当時の人々に受け入れられたという事実です。私が今感じているような違和感を当時の人々は持たなかった。当時の私も持たなかった。そうなると今の私の頭の中から落ちている、何らかの正当な理由があるはずだということになります。
(この稿、続く)