中途半端な田舎では、
大雪が降ると教師たちが雪かきに出る。
しかしそれが尋常な仕事ではないのだ。
そこに救世主が現れる。しかし、
――という話。
(写真:フォトAC)
【大雪の日、まず、先生たちが学校に駆けつける】
都会の学校の先生たちは休日の大雪(例えば3cmほどの積雪)で非常招集がかかったらどんなふうに出かけるのでしょう? まさか雪かきを持って山手線や中央線に乗り込み、それで学校に駆けつけるわけではないでしょう――と考えかけて、都会の3cmは大ごとですが、休日にわざわざ駆けつけるほどのこともなく、放っておいても翌日には融けてしまうだろうな、と思い当たりました。呼び出したところで自宅に雪かきを常備しているお宅など、そう多くはないでしょう。
赤穂浪士の討ち入りや二・二六事件ほどの大雪が降ったら、休校にして雪が融けるのを待てばいいのです。融けるのはすぐです(それにしても日本の大掛かりなテロは、なぜいつも大雪の日に起こるのでしょう?)。
東京や大阪はそうだとして、札幌や新潟・仙台といった雪国の大都市だったらどうか――これも考えかけて、あまり意味のあることではないと気づきました。雪国の学校では設備も体制も充実して、職員が雪かきに行く必要などおそらくないからです。
面倒くさいのは稀に大雪の降る、私たちの住むような中途半端な寒冷地です。いざとなれば教師たちが休日を返上しても駆けつけなくてはならない、週日だったら1時間以上早く出勤する。その時はおのおの自分の家で使っている雪かきをもって(学校に人数分の雪かきがそろっているとは限らないので)、自家用で(電車もバスも通っていなかったり、あっても二時間に一本といった具合なので)行くしかありません。
【教師も自宅や地域の雪かきをしたあとで来る】
一昨日からお話ししている二十年ほど前の大雪の土曜日、勤務校の雪かきに出た私が目にしたのは、そうやって市内外から集まった先生たちの車が、路上に長く縦列駐車している場面でした。大雪のために敷地内に入れず、来た先生から順に路上駐車のまま、校内に突入して自分たちの駐車場所を確保し始めていたのです。数十台分の駐車スペースを開けるのですから、それだけでも大変な仕事です。
1台分の広さが確保できると1台を入れ、というふうに路上駐車を順次解消しながら、何しろ世間に迷惑をかけているのですから必死の雪かきで、すべての車を敷地内に収めたのが集合時間から45分後、私が雪かきを始めてからも優に1時間はかかりました。
それから割り振りをして、一隊は正面玄関と職員昇降口、一隊は児童昇降口、さらに一隊が給食搬入口で、最後の一隊がそこまでの通路と相互の連絡通路の確保と、計4隊、30人ほどの作業となりました。
私としては「自宅保全」「息子の学校のPTA地区指導部支部長としての通学路確保」に続く同日3回目の雪かきで、午後からは日が差してきたこともあって、汗だくの2時間余りとなりました。しかしそうこうしているうちに早くも日が翳り、うすら寒くもなってきます。終わったころには帰りの運転が心配になるほどの疲労困憊、両腕も上がりそうにない感じでした。
行政でもいい、PTAでもいい、誰かに助けに来てもらうことはできなかったのか――。市立の学校だし、日ごろから「地域と学校の協力」とか「保護者と教師の協働」とか、調子のいいことを言っていたじゃないか、なぜ誰も雪かきに来てくれなかったのかと、恨み言も口をついて出てきそうになりました。ところが、のちにとんでもない話を聞くことになります。
【校長、救世主を追い返す】
実は勤務校のPTAは何もしなかったわけではないのです。
この日の朝、管理職は午前6時ごろから出勤しており、午前8時の段階では校区のあちらこちらから通学路を掘りながら学校まで来てくれた保護者が、200~300人もいたのです。連絡網を使ってのPTA会長の呼びかけに応えた人たちです。
その人たちを一か所に集め、PTA会長の掛け声ひとつで最後の大仕事、校地内の雪かきを始めようとした矢先に、ハンドスピーカーのマイクを握った校長が、こんなふうに言ったのだそうです。
「PTAの皆さま、今朝は早朝からほんとにありがとうございました。自宅の雪かき、自宅前の雪かき、さらに通学路と、本当にお疲れのことでしょう。
あとは結構です。校地内については午後、職員が出勤して雪かきをすることになっていますので、どうぞ皆さま、早くお帰りになってゆっくり休むようにしてください」
PTA会長はもちろん、皆がやる気でいて、中にはわざわざ学校まで自家用車で送ってもらって来ている人もいるというのに、全員が追い返されることになってしまったようなのです。
前々からポピュリズムの匂いのする人でした。外面が良く、保護者には小指の先ほどの苦労もさせずに子どもの成長を保証するようなところのある人です。しかしまさか職員を踏みつけにしてまで、世間に“良い顔”をする人だとは思いませんでした。200~300人もいたのですから、せめて職員の駐車場くらいやってもらっておけば、職員が社会に迷惑をかけることもなかったのですが――。
おかげで全身疲労で辛うじて(過労して?)家に戻った私は、過労死直前で風呂に入って溺死しかけ、夕飯もそそくさと食べると、昏睡といった状況で布団に入り、永遠に近いほど深い眠りについたのでした。
(この項、続く)