地域の伝統行事「どんど焼き」がなくなった。
担当していた地区PTAが解散したからだという。
しかしある意味でそれは大した問題ではない。
問題は大雪が降った日の通学路の除雪やその他。
誰が音頭をとるのだ?
――という話。
(写真:フォトAC)
【近所で“どんど焼き”が行われなかった】
先週8日(木)の当ブログで、今年、私の地域でどんど焼きが行われないことについて、
コロナで中止した「どんど焼き」を昨年復活させたものの十分な松が集まらず、今年も中止と決まった
と書きましたが、これはうわさ程度の話を鵜呑みにした私の、とんだ勇み足でした。中止になったのは松不足ではなく、これまでどんど焼きの主体であった小学校PTAの地区指導部が本会の解散とともに消滅してしまい、あとの引継ぎができなかったからなのだそうです。
私の住むのは地方中核都市のベッドタウンとして発達した片隅の地域で、古くからの“在(ざい)”の人々が住む集落と、新興の住宅地から成り立っています。私の家は中でも新興住宅地に属する場所にあって、ここ数十年の間に人口はどんどん増えてきたのですが人間同士のつながりは薄く、「どんど焼き」がなくなりそうだからといって誰かが動き出すような土地柄ではありません。
同じ地域でも古くから続く地区では、古老たちが中心となって何年も前からどんど焼きを支えていたらしく、おかげでPTA解散という予想外の事態が起きても、難なく乗り越えられたようなのです。25ほどある地区のうちおそらく5~6か所がそれにあたり、実際にどんど焼きが実施できたようです。同じく“古老”の名にふさわしい年齢でありながら何もして来なかった私としては、申し上げにくいことですが、本当にうらやましいことです。
どんど焼きをしなかった私の地区で育つ子どもたちは、冬の強い風に煽られて天高く立ち上る炎の激しさや、火の当たる側だけが焼けつくような顔の熱さ、松の焼ける匂いや竹のはぜる音、舞い散る火の粉、人々のなんとも言えない興奮の表情や焼いた餅の旨さ、そういったものを知ることなく大人になってしまうのです。
目と鼻の先の“在”の地区に住む子どもたちは違います。いずれ大人になって自分たちも作る側に回り、その面倒くささを味わわなくてはならないのですが、今は伝統の大切さを十分に感じながら大人になっていくわけで、私にはその方がよほど良い子が育つような気がしてならないのです。
やはりどんど焼きは必要です。しかし、ではPTAにもう一度やらせようという話になるかというと、そうではありません。考えてみるとそもそも地域の伝統行事をPTAにやらせていたこと自体が不合理で、本来は地域が背負うべきはずのものです。どんな事情で地域から離れ、PTAがやることになったのでしょう。
【どんど焼きの起源と歴史】
どんど焼きは平安時代の宮中行事「左義長(さぎちょう)」に起源があると言われています。左義長自体は正月の飾りや書き初めを青竹とともに焚き上げる儀式でしたが、それが時代とともに庶民の間にも広がり、道祖神などの地域の信仰や生活習慣と結びついて今日のかたちになったと考えられています。
特に近世になってからは正月飾りには年神(としがみ)様が宿ると考えられるようになり、火で清めて天へお返しするために焚き上げたり、あるいは火の浄化作用(穢れを祓う霊力)によって私たち自身を浄化する儀礼としての意味も強かったりしたようです。
昭和初期以前(第二次世界大戦前)は基本的に村の神社の年中行事として行われたものであり、氏子(うじこ)組織が行う行事でした。具体的には氏子の若者組(青年組織)が準備と力仕事を受け持ち、子ども組が松や飾りを集めて火を守る。神事を統括するのは氏子総代(年長者)、という役割分担で実務を行いました。
当時の村人は地区ごとで全員が氏子でしたから、どんど焼きは地域の行事・地域の仕事として行われたのです。それがいつからPTAに任されるようになったのか――。
【PTAが背負わされた背景】
いつからと言われて明らかなのは、PTAがつくられた昭和21年~22年以降であるのは確実ですが、私が小学生だった昭和30年代ごろにはすでにPTAの仕事になっていましたから、相当に早い段階で学校行事の一部に組み入れられていたようです。
何の証拠もない話ですが当時のGHQ(連合国軍総司令部:占領下の日本を実質的に統治した)は国家神道の復活を許さない方針でしたから、村人たちは「どんど焼き」を実施するために氏子組織から切り離す必要があったのかもしれません。さらに言えば、私の住む昔からの新興住宅地では、すでに「住民=氏子」という図式が崩れていましたから、「氏子組織に代わるどんど焼きの担い手」が必要という潜在的需要もあったのかもしれません。
いずれにしろ氏子組織から切り離されたどんど焼きを引き継げるとしたら、同じような子ども組織である学校以外になく、休日や夜の活動をということを考えるとPTAに担わせるのが一番良いと、そんな経過があったのかもしれません。誰もPTAがなくなる可能性は考えませんでしたし、名称は変わっても学校に関わる全員参加の保護者組織はなくならないと思い込んでいたのです。
「子どものことは学校に任せておけばいい。きちんとした子どもを育ててくれている限りは何も言わない」
というのは地域の「人々の甘え」です。
あれもこれも引き受けておいて、「きちんとした子どもを育ててくれている限りは」という条件の過酷さに気づかなかったのが「学校の甘さ」です。
地域と学校はいま、その「甘え」と「甘さ」のツケを、子ども文化の一部消滅という形で負わされつつあるということです。
【心配なこと】
PTAの改変ないし廃止は現代の流行です。ただし部活動の地域移行で明らかになったように、十分時間をかけて受け皿を用意して、そのあとで縮小・廃止しようとすると絶対に前に進みません。「まず学校部活をやめてみましょう」から始めた学校のみが、順調なスタートを切ったことになっています。ただ一種の見切り発車をしている以上、思いもよらないところに歪みや間隙がある場合もあります。
ある意味でどんど焼きといった伝統が失われるのもたいしたことではないかもしれません。私がとりあえず心配しているのは除雪です。いまから20年ほど前に「100年に一度」と言われる大雪が2週連続で降ったことがあり、両日ともに土日がらみだったために自宅と学校の雪かきを2日ずつ、計4日もやったことがあります。ところがそのときあいにく、私は息子の小学校のPTA地区指導部の部員までやっていて、月曜日のために通学路の除雪までやらされていたのです。死ぬほど働かされましたが、それでも月曜日、子どもたちは元気に学校に向かうことができました。
今年、似たようなことが起こったとき、誰が通学路の雪かきをするのでしょう?