カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「二年参りをどうするか」~私の正月行事①

 初詣を深夜に行う「二年参り」、
 いつから、なぜ始まったのだろう。
 深夜零時の寺社参りなんて
 過去はもちろん、現代だって尋常じゃない。

――という話。(写真:ChatGPT)

【二年参り】

 赤穂浪士の討ち入りは旧暦元禄15年12月14日の未明と言われていますが、当時は日の出を日付の変わり目とする慣習があったため、現代の暦に換算すると実際に起こったのは12月15日未明ということになります。

 「2年参り」というのは12月31日午後12時(または翌1月1日午前0時)を跨いで足掛け2年お参りすることを言いますが、江戸時代の日付の変わり目が日の出だとすると「2年参り」もわざわざ夜中に行くことはなく、初日の出の日付変更を跨いで参詣すればいいだけのことになり、今よりずっと楽だったはずです。
 具体的に言えば、今でいう1月1日の午前6時30分ごろ、ゆっくりと家を出て午前6時51分の日の出時刻(東京の場合)に間に合わせ、 初日の出を拝んでから寺社にも参拝し、暖かい日差しの中を帰ってくればいいのです。
 それを新暦に当てはめて、日付の変わり目(深夜0時)に参拝しようとするから大変なのです。私の育った山国の大晦日の深夜12時の参詣など、寒すぎて狂気の沙汰。家庭の文化としても紅白歌合戦を途中で切り上げて外出するなど、あり得ないことでした。

 しかしそう思って振り返ると、私が子どものころは「2年参り」など、なかったような気がします。初詣の習慣はありましたが、友だちとの会話の中にも、深夜の参詣が出てきたためしがありません。ただしまったくなかったというわけでもなく、『紅白歌合戦』のあとの『ゆく年、くる年』などでは深夜の寺社を訪うたくさんの人々が映し出されたりします。とんでもない雪国からの映像が流されることもあります。

【年籠り(としこもり)】

 そこで調べてみると、「2年参り」という言葉自体はここ十数年(あるいは20~30年)の流行であるものの、深夜の参詣自体は平安時代からあって、「年籠り(としこもり)」と呼ばれていたようなのです。「初詣」の一形態というよりは、大晦日の夜から元旦までの行事で、人々が氏神(うじがみ:地域の守り神)の社に籠り、夜を徹して一年の感謝と新しい一年が無事過ごせることを祈願する日本の伝統的な風習です。“昔は日の出が日付の変わり目”という概念からすると、新年の行事というよりは大晦日の行事だったようです。除夜の鐘もその中で突かれたものでした。「除夜」は“旧年を除く夜”の意味ですから。
 それが新暦の使われるようになった明治時代から深夜の「除夜詣」と元旦の「初詣(元旦詣)」に分離し、さらに昭和時代の後期になって、今度は除夜詣に初詣の意味を重ねるようになって、「二年参り」という言葉が流行り始めたようなのです。
 
 私の家には代々「初詣」を行う習慣がありますから、「二年参り」をする必要はありません。もしどうしてもしたいということになったら、大晦日の日中、一度お参りに行って元旦に改めて初詣に行けばいいだけのことですし、昔はこうだったという意味で、日の出前に出かければいいのです。私は今後も「『紅白歌合戦』を最後まで見る」派でいます。
 ところで、この文章を書くうち、たびたび「初詣」が「発毛出」と誤変換されました。なにか馬鹿にされている感じです。
(この稿、続く)