カイト・カフェ

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「“いいことだってたくさんある”説の吸引力」~久しぶりに知らない世界に入り込んで驚いたこと②

 PTA、自治会、町内会、労働組合――、
 あまたある社会的団体の役員決めが難航している。
 しかし誰もが絶対にいやだというわけでもないだろう。
 中には手が挙がりかけている人がいる。
――という話。(写真:フォトAC)

【“役員になると、いいことだってたくさんある”説】

 民生委員・児童委員(以下、民生委員)の前任者の任期が先月末まで、私の任期は12月1日からの3年間。改選は全国一斉で24万人が交代した形になりますが、法律に「再選を妨げず」という項目があるらしく、およそ三分の二が再任、私のような新任が8万人近くいるようです。市町村単位で考えても数百人規模になる場合もあり、実際、先月行われた「委嘱状伝達式」では、大きな体育館にびっしりの人でした。私が住むのは地方の中核都市ですから、1000人余りもいたかもしれません。

 よく分からない人の開会の辞があって、市長の挨拶があって、地区ごとに代表者が委嘱状を受け取る儀式があり、前任の代表者や新任の代表のあいさつがあって--と儀式が30分ほど続き、10分ほどの休憩を経て「全体研修」。民生委員の仕事について市の担当者が入れ代わり立ち代わりマイクの前に立ち、おそらくは山ほどの言いたいことを抑えて簡潔に説明していきます。その時間およそ1時間半。
 本人は簡単に話しているつもりでしょうが、なにしろ項目が山ほどなので私のようなコンジョウナシはすぐに集中力を失っていく――そして最後の一人になったとき、ほとんど気絶しそうになった私の耳に入ってきた言葉が、
「皆さん、民生委員になったというと、どなたも『そりゃあ大変だ』と言われると思うのですが、いいことだって山ほどあります。例えば地域のお年寄りと知り合いになることでさまざまな話が聞けたり、一緒に活動する仲間とともに新しい人間関係が築けたりといったことです」
 そこで私はガバと目を覚まします。
《この言い方、どこかで聞いたことがあるぞ》

【PTAでも自治会でも】

 そうです。PTAの役員選とか自治会の選挙になると必ずと言っていいほど出てくる言い回しです。PTAだったら「民生委員」を「PTA役員」に代え、「地域のお年寄り」を「学校の先生方」に代えるだけで通用しますし、自治会だったら「お年寄り」を「方たち」に置き換えればいいだけです。
 しかしこの言い方で心動かされたり実際に釣られたりする人はいるでしょうか?

 どんな仕事であれ役員になることは大変なことです。時間を使い、エネルギーを使い、気を遣うことは確実です。まさに「そりゃあ大変だ」です。しかしその結果、ほんとうにお年寄りや先生や地域の方々から有益な話が聞けるかどうかは不確定ですし、組織として働く中で得られる人間関係が自分にとって必ずしも価値あるものとは限りません。
 もちろん壇上から民生委員やPTA役員の良さを語っている人たちは嘘をついているわけではなく、実際にそう感じているのでしょう。しかしこれから始めようとする人にとっては「時間」や「エネルギー」といった確実なものを差し出して、「有益な話」や「豊かな人間関係」といった高い価値が得られるかもしれない、という可能性の話です。
「確実なものを差し出して、不確実なものを手に入れようとする」
 普通こうしたことはギャンブルと呼ばれます。
 PTA役員でさえ任期は1年、地域の仕事となると2年~3年と言った長丁場です。そこでギャンブルに負ける、つまり労力や時間に見合う以上の価値が得られないとなったら目も当てられません。そんなイチかバチかの話に賭けるわけにいかないのです。
「役員になればいいこともありますよ」
という言い方に吸引力がないのは、そうした不確定要素に訴えてもだめだということなのです。

【役員選挙の場にいるさまざまな人たち】

 ただし役員選の場にはおそらく様々な立場・考え方の人がいます。皆が皆、あんな間尺に合わないことはしたくないと思っているわけではありません。
 「やってもいい」あるいは「やらなくてはいけない」と思っていても、「絶対に手を上げちゃダメ、いまここで役員を背負い込んだら家庭が回らない、確実に潰れる」と考えて上がりそうになる右手を左手で必死に押さえている人もいます。育児・子育てばかりでなく、たくさんの仕事や役割を背負い込んで崖っぷちで生きているような人たちです。
 あるいはやりたいと思っているのに「できない、わたしには力がない。下手にしゃしゃり出て、できなくて笑われるのはいやだ」とそんなふうに思っている人もいるかもしれません。
 さらに単に気後れして手を挙げる機会を失ってただけの人もいるかもしれません。「どうせ手を挙げるなら、もっと早くに潔く挙げればよかったのに、今さら挙げるんじゃ、臆病者とか優柔不断とか思われるんじゃないか――」

【ダメな人は絶対にダメ】

 そうした場で100%確実に手を上げない人、指名されても絶対に役を受けない人はもちろんいます。コスパ優先・タイパ優先で、割に合わないことは絶対にしない計算高い人たちです。“役員報酬を月に20万円出しましょう”と言えばすぐにも手を挙げそうなこの人たちを、無償で働かせるのは容易ではありません――というか、無理です。ですから最初からこの人たちのことは外して考えた方が問題解決の糸口が見えてきます。
 
 確かに絶対にやらないと強く意思表示をした人が結局やらなくて済むのは不公平な気もしますが、人の行いは巡り巡って自分にふさわしい形になって返ってくるものです。社会的な責任を一切背負わない家の子は、結局親に似て役割を背負わず、社会から孤立し大切な機会を逃したりします。子がないから大丈夫という人も、年老いて独りぼっちでは何かと不便で、危険で、孤独でしょう。天の配剤は誤りを犯すことがありません。
 
 ではどんな言い方をしたら人は喜んで役を引き受けるのでしょう? 役員を担うことが好きなわけでもなく、将来の出世のためにやっておこうというでもない普通のひとに手を挙げてもらうには、どうしたらいいのでしょう? 手を上げかけている人の背を、最後に一押しするにはどうしたらいいのでか。
 それがまったく不可能ではないということについて、実はここにひとつの見本があるのです。民生委員の仕事を二つ返事で引き受けた私です。
(この稿、続く)