カイト・カフェ

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「訳の分からない役に、訳の分からないまま就いた」~久しぶりに知らない世界に入り込んで驚いたこと①

 世の中には、必要になって初めて知る組織や機関がある。
 保健センター、地域包括支援センター
 人によっては児童センターが何かもわからない。
 そして私も、訳の分からない仕事をすることになった。
 ――という話。(写真:フォトAC)

【私の知らない世界】

 世の中にはさまざまな機関・組織があって、しかし実際にお世話にならないと分からないものがほとんどです。
 例えば地域の保健センター。たぶん健康にかかわる何かをやっているんだなあくらいのものですが、子どもが生まれると予防接種やら定期健診やらで急に身近になり、勤め人を辞めて産業保健や学校保健の枠からはみ出ると、突然、目の前に現れてきたりします。
 児童センターと聞いても分からない人には分かりませんし、地域包括支援センターと聞けば「地域で支援を必要とするあらゆる人々を包括して助ける組織」のような気がしますが、実際にはそうではありません。

【謎の民生委員・児童委員】

 民生委員・児童委員(以下、民生委員)と呼ばれる人たち――小中学校の入学式や卒業式で来賓の第2列~3列目くらいに属していて、地域の顔役らしいお爺ちゃんお婆ちゃんたち。あの人たちが何者なのか、ずっと謎でした。

 昔は学校に「民生委員との懇談会」というのが年に1回あって、不安定な子・心配な子、いまならさしずめ虐待が疑われるよう子についても、訊ねたり相談したりすることがありました。ただし私が教員になった40年ほど前ですら、すでに地域社会の枠が崩れていて、けっこうな田舎でも隣家の様子が分からなくなっていましたから、聞いてもムダなことも少なくありませんでした。
 ムダだけならまだしも、初任の学校で遠回しに、指導に苦労している生徒の家庭環境を尋ねたら何も知らなくて、それがよほど申し訳ないと思ったのか、帰り道にそのまま生徒宅に寄って、
「お宅のお子さん、どうやら学校で大変らしいので、きちんと指導するように」
などと言い残したとかで、のちにたいへんな騒ぎになってしまったことがありました。
 ”何ということをしてくれるんだ”と思ったのですが、しばらくして私の父が民生委員になったと聞いて、これは真面目に相談した私の方が悪かったと、心から反省したものでした。父はきちんとした立派な人でしたが、公務員としての職に尽くし切った人なので住んでいる地域のことなどまるで知らないし、地縁もなかったのです。これではいくら有能でも使えません。

【どんどん遠い存在になっていく】

 父のような普通の人がやっている民生委員――以後は警戒して「懇談会」でも具体的な話をしないようにしてきましが、そんなふうにして何年か経つうちに、全体としても深刻な話ができなくなり、「懇談会」は「地域の人々と行う教育を中心とした先生たちとの四方山話の会」みたいになってきたのです。そうなるともう校長先生がやっている「学校評議会」と大差ないですから、あとは学校評議会に任せて、先生たちは手を引けばいい――そんな話があったかどうか知りませんが、気がつくと多くの学校から民生委員の姿がなくなっていました。コロナ禍を経て、入学式・卒業式からもいなくなります。学校にとって民生委員が頼りにならない存在になったと同時に、民生委員にとっても学校の仕事は負担になったのでしょう。民生委員の存在は、さらに児童生徒・教職員の目の届かないものとなり、いっそう分かりにくくなりました。
 その「訳が分からない」民生委員に、今月から私が任命され、活動するようになりました。いまでも訳が分からないのですが。

【どんどん重い存在になっていく】

 そうなると、なぜ、そんな訳の分からない仕事を引き受けたのか、という話になりますが、9月ごろ、前任者であって元高校の同級生でもある人が訪ねてきて、こう説明したのです。
「そう大した仕事じゃない。75歳以上でひとり暮らしの老人の安否確認が中心。それと、年末に注文を取っておせち料理を配ること、大変なのはそれくらいかな?」
 それはいくら何でも過少申告だろうと思ったのですが、私にも事情があって二つ返事で受けたのです。
 ところが、ひと月後の初めての打ち合わせ会で聞いたら、「あ、それと――」「あ、それに――」の繰り返しで、数えたら15項目も追加されていたのです。いずれも大したものではありませんが、小さなものでも15個集まれば“大したもの”です。
(この稿、続く)