カイト・カフェ

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「才能が仇になる・誰も何も考えなくなる」~ある詐欺師の物語④

 一度足を踏み外すと、転落に加速度がつく。
 自分は悪くないのに、運に見放され人にはめられた。
 毒を食らわば皿までだ。あとは野となれ山となれ、
 どうせ行きつくところは同じだ。
――という話。(写真:フォトAC)

 昨日までの物語の続きを書いています。

【財布の底が見えて、自ら積極的な犯罪者になっていく】

 どのようにルールをつくり様式を整えようとも、高配当を約束しての詐欺はいずれ行き詰まる。しかもM・D(マダム・ドーン)の場合は資金を運用することもしない、保管もしない。それどころか自分でも使ってしまうとなると、あっという間に窮地に陥る。そこでこれまでの受け身の姿勢を変え、一歩踏み出して積極的に自分の方から声をかけるようになる。

 もともと面倒見もよく話題も豊富なので付き合う仲間も多く、絶対的な信頼を寄せる“信奉者”と言っていいような人たちもいる。少し上の世代には、自身の退職金や夫の遺産などで、潤沢な資金を持つ小金持ちが多い。田舎で真面目にコツコツ生きていた人ばかりなので、その大金の使い道がない、持っていき場がない。
 そこでM・Dは訊ねる。
「ねえ、あなた。今、資金運用はどうしている? あ、定期(預金)ね。利率はどれくらいのに入っているの? 知らない? ここ10年くらいのものだとたぶん0.05%くらいでしょ? 100万円を10年預けて、利子は5000円くらい? しかもそこから税金を引かれちゃうんだからやってられないわよね」
「だからね、ほんとうは他人には言えないこと――あなただから特別に話すことなんだけど、私、以前、保険会社にいたことがあるでしょ? そのときの関係で、ちょっとしたグループにコネがあるの。市内の有名企業数十社の経理を担当しているグループで、本業は資産管理なんだけど、そこにお金を預けると1年で1割の利子がつくの。100万円だと10万円」
「これは誰でもいいっていうことじゃなくて、長年、社会のために尽くしてきたあなたのような人たちに、企業の収益を分配しようといった、そんな性質のもので、今ちょうど一人分、300万円の枠が出てきてるんだけど、もしよかったら、やってみる? あなただったら私が推薦すれば通ると思うのよ」

【才能が仇になる・誰も何も考えなくなる】

 「誰にも言ってはいけない」「あなただけに話す」「あなたは特別の人だから選ばれた」「チャンスはそれほど多くない」「無理をする必要はない」「あなたがやらなければ権利はほかの人に譲る」
 あとから考えればいずれも詐欺の常套句。年利0.05%の時代に10%(200倍)もの利子をつけるといった時点で詐欺だと疑うべきところを、信奉者たちの頭の中には一片の疑念も浮かばない。基本的な利息計算もしない。大切なのは「私が選ばれた」ということ、「機会はめったにない」ということ「今やらなければ権利が他人のところに行ってしまう」ということ。そしてほかならぬM・Dが持ってきてくれた話だということ、M・Dが私を認め、選んでくれたということだ。たとえこの話が嘘で、1割どころか銀行の0.05%すらつかなかったとしても、どうせ遊んでいる金だ――。
 M・Dに絶対の信奉を寄せる人たちはそんなふうに考える。まさか元金そのものがなくなるなんて夢にも思っていない。

 その後、いくらもしないうちにさらに切羽詰まったM・Dは、相手が絶対に解約しないとみて「一口50万円、毎月1割、複利方式」などというトンデモない商品を持ち出すが、もうM・D本人も信奉者も、利息がいくらになるかなんて、考えることもしなくなっている。M・Dにとってはどうせ返すことのない、どうでもいい金の話だ。信奉者はM・Dが自分に仇なす筈がないと思っている、と言うか自分の中に芽生えつつある不安や疑念から目を背けたがっている。だから深く考えようとはしない。
「4口くらいどう?」
と言われて200万円、ポンと出してしまう。すでに渡してしまった千数百万円が人質になっているかのようにも感じている。
 しかしこの「『一口50万円、毎月1割、複利計算方式』を4口」――きちんと計算すると10年後は186兆円というとんでもない金額になっているのだ。今年の日本の国家予算(約118兆円)をはるかに超えている。

【終焉と教訓】

 もちろんそんな状況が果てしなく続くわけはない。誰かが「王様は裸かもしれない」と疑い始める。そして今回も仲間うちの空気を読まない”かつての新参の老女”、あの「自分にも一枚かませろ」と迫った女性が状況を覆す。
「とりあえず利益を確保する」
と言いだして、計算上の元利合計2,600万円を請求する。もちろんM・Dには払えない。“利息分”ですら払えない。
 以後、1年近い暗闘が繰り返され、ついに老女は警察に駆け込む――。

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 三日前、私は、
「世の中にまったく1㎜も理解できない2種類の人々がいる。ひとつは児童虐待の人々、もうひとつは人を騙して金品を奪う者」という話をしました。しかしこうしてM・Dの物語を書いてみると、この人たちにも結局、言い訳のあることが分かります。
 M・Dの場合は「主体的に犯罪者になったのではない」ということです。
 自分はただ単に他人から褒められたかっただけなのだ。ちょっと見栄を張って背伸びをして見せただけなのだ。それなのに新参の仲間と運命のために詐欺師にならざるを得なかった。その意味では私こそが被害者で、犠牲者で、可哀そうな存在なのだ。ほんとうの私は犯罪など行う人間ではない。それなのに運が悪いばかりにこんなことになってしまった。自分に悪いところなんかひとつもない。ひとつも悪いところはない。
――そう思っているからこそ、あんなふうに堂々としていられるのです

(この稿、終了)