教育や子育ては恐ろしく効率の悪い仕事、
本を与えたところで習慣となるかはわからない。
しかし蒔かない種は芽を出すことはない。
子や孫の誰かにいつか、それが実を結ぶかもしれない。
という話。
(写真:フォトAC)
【教育はとてつもなく効率の悪い仕事】
学校も家庭も同じですが、子どもを育てるというのはたいへん効率の悪い仕事で、与えたものの大部分が実を結びません。自分自身を振り返っても、義務教育を終えたころにはできた多少の英会話も因数分解も、化学式の計算も鉄棒の逆上がりも、今はほとんどができなくなっています。そしてできなくても困らない――。その部分だけを考えるとなんと無駄なことをしてきたのかと思いたくもなってきます。しかしその無駄は“どう考えても必要な無駄だった”と考えるしかありません。
昔、高橋和己という小説家が、
「知識を生かすということは巨大な定置網を張って魚を待つようなもので、魚の引っかかる網目は一つしかないが、その一つが生かされるためには巨大な網が必要なのだ」
といった話をしたことがありますが、ものすごく大量の知識技能をもっていて初めて、一部が生かされるのです。教育もそれと似ていますが、こちらの方は感覚的に、「何十種類もの発芽率の悪い種を同時に蒔き散らす」ような話で、何が芽を出してくるのかわからないのです。
何の教育・学習が役に立つかわからない、しかし種は蒔かないことには始まらない。
【非効率、しかし蒔かない種は芽を出さない】
本をよく読む子に育ってほしい――そう願うなら、家庭内のいつでも手の届くところに大量の書籍があること、親や兄弟が常に本を読む習慣をもっていて、しばしば話題になること、欲しいと思った本はすぐに手に入ること(書店にたびたび出かける、ネットで購入する、図書館に行く)などの条件があるべきだと思うのですが、そうすれば必ず読書好きの子どもが育つかと言えばそうでもありません。
私の家にはこれ見よがしにたくさんの本が飾ってありますし、職業柄、夫婦ともに家庭内で本を広げることが少なくありませんでした。子どもたちには常に図書券を渡して好きな本を買えるようにしておきましたし、ふたりとも小学校5年生になるまでは毎晩の読み聞かせを欠かしませんでした(不思議なことに5年生の入り口の、ほんの数日で、ふたりとも“もういい”と言って唐突に読み聞かせを卒業してしまいました)。
私が続けた読み聞かせのおかげで、二人とも読書好きになったかというとそうとも言えません。姉のシーナは今でも読書を欠かしませんが、弟のアキュラは読み聞かせ終了と同時に読書からも卒業してしまい、大学生になるまで参考書や問題集以外の“本らしきもの”がそばにあった試しがありません。1万円の図書券も、2~3か月に1回、欲しがるかどうかといった程度で、私も少々がっかりしました。
しかし見方を変えれば、“だからこそ読み聞かせは必要だった”という面もあるのかもしれません。私が読んであげなければこの子は『十五少年漂流記』も『ロビンソン・クルーソー』にも一生触れることなく終わってしまったかもしれないからです。
ただし、蒔いてさえおけば、遅れて種が芽を出すこともあります。
アキュラも大学生になってからは思いがけない本を手にしていて私を驚かせますし、姉の家を訪ねて甥(ハーヴやイーツ)と遊ぶ時も、本の読み聞かせは欠かしません。ついでに言えば、趣味の釣りや動物飼育も、私が一緒に始めたのがきっかけだったのかもしれませんし、まったく関係ないのかもしれないのです。シーナが大人になってから突然、山登りを始めたのも、もしかしたら習慣的な飲酒さえも、私のせいかもしれませんし無関係なのかもしれないのです。
【孫にも読み聞かせをする】
ところで呆れたことに、あんなにたくさんの読み聞かせをしてあげたのに、母親になったシーナは自らの子に読み聞かせをすることを好みません。読み聞かせは就寝前が一番良いのですが、寝かせつけに行って、読んで、寝落ちしたのでは仕事にならないからです。もしかしたらその上で、子どもが寝た後は夫婦の会話を楽しみたい、といった事情もあるのかもしれません(その点で、私の家は便利でしたし、意図的に寝落ちして、持ち帰りの仕事は早朝から行うようにしていました)。
二人の子ども、私にとって孫にあたる小学校4年生と保育園の年長の読み聞かせは、もっぱら私の仕事です。シーナが帰省した時や、稀に私が訪ねて泊めてもらう時などは必ず寝かせつけの仕事をさせてもらい、物心のつく前から読み聞かせをしていたのです。したがって二人とも、両親いずれでもない別の人の部屋で眠る初めての体験は、私の寝室でしたものです。まだ生後3か月にも満たない孫3号も、やがてそうなるでしょう。
(で、ここから先はつい今しがた書いたばかりの話の焼き直しになるのですが)しかし私の読み聞かせのおかげで二人の孫が読書好きになったのかというと、やはりよくわからないのです。
1号のハーヴは常に物語を手放さない子で、年齢に不似合いな高いレベルの読書を続けていますが、私のおかげと言うよりは、常に本を読んでいる両親の影響が大きいようです。2号のイーツは就寝の時間が近づくと、「今日はこれを読んで――」と2~3冊の本を抱え込んで読み聞かせをせがむような子ですが、日常的に読書をしているようにも見えません。むしろボールやおもちゃを持って走り回っていることの似合う子です。しかし最近、私はこの子が「読み聞かせ」を最も楽しいことのひとつ、そして最も大切なことのひとつと捉えている証拠を見つけました。
【孫が孫に読み聞かせをする】
下は、孫3号のドリが初めて自宅に入った生後5日目のときの写真です。右で椅子に座っているのが孫2号のイーツ、保育園の年長組です。
まだ文字も十分に読めないのですが、そうすべきだと思ったのでしょう。自分の一番好きな本を持ってきて、ドリの傍らで読み聞かせを始めたのです。一生懸命読んでいるのですが(元は動画)、もちろんドリは何のことかわからず、フニャフニャしているだけです。何しろこの世に生を受けて五日目ですから――。
イーツはそれでも読むのをやめません。

(この稿、終了)
[参考]