子どものいる世帯がたいへんだから支援をしよう――。
子育て支援をそういうものだと考えると、不公平感が漂う
しかし考えてみるがいい、単身世帯が標準になったら、
その世界を誰が支えていくのだ?
という話。
(写真:フォトAC)
【確かにたいへんだった人たちはいる】
「意志的に“結婚しない人生”を選択した人も含めて、30歳~40歳を過ぎて未婚の人たちはそれなりに非婚を選んだ人たちなのだ」
――昨日はそういった十把一絡げの乱暴な言い方をしましたが、もちろん「そうせざるを得なかった」「それ以外の選択肢のほとんどなかった」人たちはいくらでもいます。小中学校の教員だった私の教え子の大部分が、高卒の18歳や大卒の22~23歳を就職超氷河期に迎え、中にはいまだに非正規という人もいます。
“ひとり口は食えないが、ふたり口は食える”というように、収入が少なくても一人暮らしよりは二人暮らしの方が経済的で、冷蔵庫もテレビも、フライパンからまな板に至るまで全部ひとつで済みますから貧しい人こそ早めに結婚すべきなのですが、実際問題として、特に収入の少ない男性はプロポーズすらままなりませんし、相手の親のところに行って「非正規で年収は250万円しかありませんが娘さんをください」とはなかなか言い難いものです。ですからまじめできちんとした子(と言っても皆40歳代以上ですが)に限って、望んだわけでもないのに未婚のままという状況があります。その人たちに対してまで「それもキミの選択。自己責任」というつもりはありません。
人生に運不運はつきもので、しかし経済不況や戦争・災害、パンデミックといった、世代ごと、国民ごと、あるいは世界規模で受ける不運については、とりあえず黙って感受するしかありません。けれど同じ境遇にあっても、幸せな人とそうでない人に分かれてしまうのは、そうした大枠における運不運の問題ではなく、その人のものの見方、その人の生き方、そしてその人の“運に対する握力(新たに運をつかむ力)”の差なのではないかと思うのです。
【子育て支援は可哀そうかどうかの問題ではない】
昨日取り上げたAERAの記事にあった、
子ども1人を育てるのに2千万円以上かかるから子育て世帯は大変、だから社会的な支援がもっと必要だというけれど、私からすれば“それも織り込み済みで産んだのでは?”と言いたくなる
こうした話を堂々とできるのは、この人が政府の子育て支援を、
「経済的に苦労している国民を、可哀そうだから助けてあげる」
という文脈でとらえているからであり、だから「独身者だってけっこう大変なのよ。独身手当を!」みたいな話になるのですが、政治はそんな甘いところにあるわけではないです。政財界の圧倒的に多くの人たちは「少子化は日本のあり方を根本的に変えてしまう」「とにかく若い人たちに、一人でも多くの子どもを産んでもらわなくては困る」と本気で考えているのです。
「ジジイ、ババアの年金のために、私たちに子どもを産めというのかよ!」みたいな誹謗に耐えても、その人たちは何とか人口を維持しようと考えています。維持できないにしても、少しでも抵抗しようと。
【少子化はすべての人々の課題】
たとえばトヨタ自動車みたいに世界中で稼いでいる企業も、その莫大な収入を国内に持ち込めません。潤沢な資金を使って工場を拡大し、さらに生産を上げようとしても人手不足で働いてくれる人がいないからです。だからといってその金を国内の社員の賃金に回したら、人手は集まってもあっという間に「生み出す価値よりも賃金の方が高い」と不健全な企業になってしまいます。結局だから、海外で稼いだ金は海外に投資するしかない。もったいない話ですがそれが日本の現状です。
あるいは、つい先日の参議院選で外国人労働者の扱いについて不快な話が飛び交いましたが、それとて少子化が解消されれば終わる話です。人手不足、特に社会基盤を支えるエッセンシャル・ワーカーと呼ばれる人たちが日本人で占められるようになれば、外国人の居場所はぐんと少なくなってしまいます。
さらに、経済規模に対して消費者としての日本人の不足も深刻です。半世紀近く前の、若いくせにスポーツカーを乗り回して夜な夜なディスコで金を使い、クリスマス・イブには彼女のために高級ホテルの一室を押さえ、「スキーに連れてって」と言われれば10時間のドライブに耐えた挙句にスキー場では2時間のリフト待ち、といったすさまじい消費世代は絶滅してしまいました。
これから増えていくのは、いまさら家も建てない、新車の購入もためらう、疲れてしょうがないから旅行にも出ない、そういった私たち老人世代なのです。
政府がセクハラまがいの「産めよ、増やよ」政策を打ち続けるのは、結局いまのままの豊かさを享受するには人口の維持が欠かせないからです。
【まず話を聞いて認めたフリをして、それから説教する】
子育て支援や教育支援を充実させるなら、独身者も支援すべきだと主張する人たちは、そうした日本の現状を学んでこなかったのでしょうか? 独身者支援を拡充して、誰でも気安く単身生活を送れるようになったら、数十年後、その結果うまれる大量の「家族の支えを得られない独居老人たち」を、誰が支えていくのでしょう?
いま「子育て世帯(とくに「多子世帯」)」を支援するというのはそういう意味です。数十年後のあなたを何とか生かしておくために、いま、子どものいる世帯を生かしておかなければいけない、できれば増やしたい――。
「他人の子どもの教育費をなぜ払わないといけないのか」
の答えもそこにあるのです。
そうしたことは全6回のシリーズの後半で、AERAがしっかり説教してくれるでしょう。いま、親切であなたの意見を取り上げてくれるのは、その日のための伏線なのです。
(この稿、続く)