子育て支援が行き過ぎている、独身手当も必要だ。
これまで渡した結婚・出産の“お祝い金”が回収できない。
世の中、あまりにも不公平だと、
大声で言える不思議な時代が来ている、
という話。
(写真:フォトAC)
【こころ貧しき人々の話】
先週水曜日(2025.07.23)の朝日新聞AERAデジタルに『独身女性「私たちは持っていかれるだけ」の不公平感 渡し続けたご祝儀「50万円超」を回収できる日は?』という記事が載っていました。タイトルを見ただけで内容がわかりそうな記事ですが、気になった文節だけを拾い上げると次のようになります。
- 同僚の結婚や出産のお祝いでかかった出費は、50万円を軽く超えます。いつか私もお祝い金を回収できる日がくるだろうか、と考えたことは、一度や二度ではありません。
- (インタビューを受けてくれた)女性の職場では、同僚同士で結婚祝いや出産祝いを贈り合う文化もある。職場の人から結婚式に招かれたら、基本的には出席するのも暗黙のルールだ。
- 今は子育て支援や介護の福利厚生制度は充実しているけれど、独身に限った制度ってないですよね。
- 40歳を迎えてから、「このまま一生、独身でいるかもしれない」と考えることが増えたという。老後のためにも少しずつ貯金しているが、「一人で稼ぎ続ける生活への不安は大きい」とこぼす。
- 子どもって本来は自己責任で産むものだと思うけど、なぜ子育てになると、“社会が”とか“地域が”という文脈になるのか
- 教育費の無償化の流れを見ると、「他人の子どもの教育費をなぜ払わないといけないのか」というモヤモヤが募る
- 3人以上の子どもを扶養する「多子世帯」の大学の授業料を無償化する流れにも、「国の“産めるだけ産め”という無言の圧力を感じる」と話す。
- 子ども1人を育てるのに2千万円以上かかるから子育て世帯は大変、だから社会的な支援がもっと必要だというけれど、私からすれば“それも織り込み済みで産んだのでは?”と言いたくなる
全6回のシリーズのまだ2回目で、このさき別の展開も見えてくるかもしれませんが、とりあえず今回に限って言えば、“結婚できない女性”の繰り言ばかりを拾い上げ、不平不満を煽っている記事としか思えません。実際のところこれを転載したYahooニュースには賛同のコメントがウジャウジャついています。
しかし、
「いつか私もお祝い金を回収できる日がくるだろうか」
と言われても、
「早くその日が来るように頑張ってくださいね」
と言うしか答えようがありません。
世の中には意図的に“結婚しない人生”を選択した女性もたくさんいますが、そうした意志的な人たちはお祝い金を回収できる日がくるだろうかなどと考えたりしないし、「一人で稼ぎ続ける生活への不安は大きい」とこぼすこともありません。すべてこうしたことは織り込み済みだからです。ただその他の女性たちが現在の境遇を「選んだ結果ではない」と拒絶するのも、それはそれで間違っているように思うのです。
【あなたの人生もあなたが選んだ結果でしょ?】
女性の職場では、同僚同士で結婚祝いや出産祝いを贈り合う文化もある。職場の人から結婚式に招かれたら、基本的には出席するのも暗黙のルールだ。
現状を考えれば、同僚に慶事や弔事があったら関係に応じて祝儀や香典を出すのが当たり前という職場は少なくありません。そんな一般的な職場にいながら、それでも金を出すことが嫌だというなら、孤立を厭わずに人間関係を最小に留め、金は一切払わない、式にも参列しないと意志を貫けば良かったのです。
あるいはそもそも初めから、日本国内では就職しないという自己防衛もできたはず。
金を出したくないということではなく、今日まで渡し続けた祝儀や香典を早く回収したいというのなら、さっさと結婚するか早く親に死んでもらうか、やり方はいくらでもあるじゃないですか(死んでもらうのは言い過ぎでした)。あるいは回収した上で、それ以上の金を稼ぎたいなら、嫌われることを覚悟で何回でも結婚して、何回でも披露宴に招待すればいいのです。たくさん子を産んで、そのたびに“出産祝い”をもらえばさらに儲かります。それをいまだに“お祝い金”未回収でいるのは、その人たちがそういう選択をしたからです。
結婚を考えるべき時期に仕事が面白くて仕事にかまけていたとか、高望みをしすぎてみすみす機会を取り逃がし続けたとか、友人がみっともないくらい必死に婚活をしている時期に超然と彼女たちを見下していたとか――。仮に仕事や介護に忙しかったとしても、結婚して子どもを持つという観点から見れば、それは怠惰なまま、日々便々と怠け暮らしたのと大差ありません。その結果が今の状況です。いまさら独身に限った制度ってないですよねとか、教育費の無償化の流れを見ると、「他人の子どもの教育費をなぜ払わないといけないのか」というモヤモヤが募るとか、みっともないじゃないですか。
【政府はセクハラ政策をしているわけではない】
子どもって本来は自己責任で産むものだと思うけど、なぜ子育てになると、“社会が”とか“地域が”という文脈になるのか
その答えは誰だって知っています。あなただって知っている。
「国の“産めるだけ産め”という無言の圧力を感じる」
それが答えです。
これ以上人口が減っては困るので、子育て世帯には手厚い支援が行われ、“ひとりで育てようなんて考えなくていいですよ。社会が、地域が支えます”ということになるのです。
AERAが取り上げた女性たちは、政府が「“産めるだけ産め”と言っている」などとセクハラぎりぎりの政策を打ち続ける意味を、まるで分かっていない。その無知につけこんで面白がって記事にするAERAも相当に人が悪い。
(この稿、続く)