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「ボクは“何者でもない透明なボク”ではない」~東大前駅切りつけ犯にみるこの国の未来② 

 「東大前駅切りつけ事件」の犯人は1982年生れ、
 その世代には特徴的な人々がいる。
 戦後80年で最も暗い時代に思春期を迎えた若者たちは、
 何かを証明せずにはいられないのかもしれない。
という話。
(写真:フォトAC)

【透明なボク】

 経典や神話に書かれている内容はすべて完全に事実だと信じる立場を原理主義と言います。原理主義者はどの世界にもいて、例えばキリスト教原理主義者はノアの箱舟や紅海が裂けて道ができた出エジプトなどを実際にあったことと固く信じています。そのうえで歴史上実際に起こった証拠を探したり、それを裏付ける研究を支持したりしているのです。

 もちろん非キリスト教徒のほとんどは、これらが象徴的な意味や宗教的教訓を伝えるための比喩であって、実際にあったことではないと考えています。ただしその中にも、経典や神話がそのままの事実ではないにしても、何らかの歴史的記憶や伝承が含まれているかもしれないと考える立場もあります。
 紀元前13~15世紀と推定される出エジプトエクソダス)はなかったかもしれませんが、紀元前6世紀のバビロン捕囚はどうやら事実のようで、同じ事象を、聖書の記述者のひとりはバビロン捕囚としてそのまま描き、別の記述者は出エジプトの伝承と混同して記述した、というふうにも考えられるのです。日本で言えば、神功皇后の神話には卑弥呼の記憶が色濃く影響していると考えるような場合す。

 私は28年前の神戸連続児童殺傷事件の際の酒鬼薔薇聖斗*1の犯行声明文の中にあった、
 「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボク」
 という表現――基本的には酒鬼薔薇がつくった荒唐無稽な意味もない話で、忘れ去られてかまわないような話だと思うのですが、もしかしたら表現に100分の1、いや1000分の1くらいの真実もあるのかもしれないと思ったりもするのです。それはこの年代が、極めて異常な思春期の迎え方をしてきたからです。

【この先の世の中は真っ暗なままかも知れない】

 今回の東大前駅切りつけ事件の犯人は酒鬼薔薇聖斗と同じ1982年生れ(もしかしたら1歳、違っているのかもしれない)です。年号で言えば昭和57年生れで「9歳10歳の壁」を越えて社会が見え始める11歳(小学校5年生)を平成5年に向かえています。すでにバブルは弾け、不況の真っ最中でした。「物心ついた時からずっと不況」という世代の最初のひとりです。

 平成5~6年はそれでも「景気は循環するもの、しばらくすれば回復するさ」とタカをくくっていられた時期です。それが彼らの中学校に入学する平成7年(1995年)くらいになるとさすがの私たちも「これは今までとちょっと違うのかもしれないな」と思い始めます。不景気は固定化され、「陽は二度と昇らないかもしれない」と思うようになったのです。
 
 思い起こせば半世紀以上も前の私の中学高校時代は、それとはまったく違うものでした。高度経済成長期で父のボーナスが入るたびに大型家電がひとつずつ加わって生活が激変し続ける時代。生きて行くこと自体が浮き立つような雰囲気でした。
 昨日より今日の方がいいのだから、明日はもっと素晴らしいに違いないと単純に思えた時代。いい高校からいい大学へ、いい大学からいい企業へと進めば幸せになれる――今はそんなふうに言えばバカにされますが、70年代~80年代は少なくとも収入面では、確実に幸せになれたのです。それが82年生れには全く逆だった――。
 昨日より今日の方が苦しい、明日はもっと苦しいのかもしれない――そんな雰囲気の中で思春期を迎えた子どもたちに、社会は、あるいは自分たちは、どんなふうに見えたのでしょう?

【夢を持つことすら憚られる】

 「自分はひとかどの者であるべき人間だが、今は何者でもない」
 それが一般的な若者のあり方です。大小の差はあってもそれぞれに夢や願いや野心があって、しかし今のところ何者でもない。何もないここから飛び立とう、それが若者の住むべき世界です。ところが平成の若者はそれすら憚られたのです。
 有効求人倍率は幾度となく回復の兆しを見せながら、21世紀に向けて繰り返し下がって行くだけでした。そしてついに2002年(平成14年)、82年生まれが二十歳となったその年に、有効求人倍率は0・5まで下がってしまいます。これはひとつの求人に対して二人が応募している状態です。まったく仕事を選ばなくてもふたりにひとりしか就職できない。そんな社会は、彼らの目にどんなふうに映っていたのでしょう。

【キレる17歳】

 「キレる17歳」というのは2000年を初めとする数年の間、17歳の少年による凶悪犯罪が相次いだことから生まれた言葉で、特に1982年(昭和57年)生まれと1983年(昭和58年)生まれの少年が2000年~2001年かけて起こした凶悪犯罪について語られたものです。
 ただし2000年~2001年にかけて特に犯罪が多かったということではなく、82年~83年生れに犯罪者に多いというわけでもありません。数ではなく、豊川市主婦殺人事件の犯人少年の語った「人を殺してみたかった」という動機の特異性、さらには犯行の一部が生中継された西鉄バスジャック犯の大胆さと残忍さ、そして二人が酒鬼薔薇聖斗と同じ年であったという共通性から注目されものでした。
 その後2008年に加藤智弘が秋葉原事件を起こし、2012年に「コンピュータ遠隔操作事件」が起こると82年生れは繰り返し思い出されます。

 「酒鬼薔薇聖斗と同じ82年生れ」は周囲だけではなく本人たちにも強く意識されていたようで、西鉄バスジャック事件の犯人は日記に豊川市主婦殺人事件と酒鬼薔薇事件を挙げて『あんな風に騒がれてみたい』と綴り、悪い意味でライバル心に煽られていた様子が伺えます。秋葉原事件の犯人も酒鬼薔薇を意識し、コンピュータ遠隔操作事件の犯人は酒鬼薔薇事件と秋葉原事件を強く意識していました。もしかしたらそれぞれが、史上稀に見る大事件と比較対照の上、あれよりももっと派手に騒がれてみたい、巧妙にしたいと、自己顕示欲を露わにしていたのかもしれません。

【ボクは“何者でもない透明なボク”ではない】

 東大前駅事件の犯人は17歳ではありませんし、起こした事件は酒鬼薔薇事件や西鉄バスジャック事件と比ぶべくもないお粗末さで、とてもではありませんが“同じ82年生れ”という括りに入れられるのものではないかも知れません。
 しかし“何者でもない透明なボク“が”何者かであるボク“であることを証明しようとした犯罪としては、主観的には、西鉄バスジャック事件や秋葉原事件に匹敵するものだったのかもしれないのです。少なくともマスコミは、この「空っぽで透明な43歳」を「早期過剰教育の犠牲者」として取材し始めたのですから。
(この稿、続く)

*1:1997年に神戸市須磨区で小学生5人が相次いで襲われ、2人が死亡、2人が重軽傷を負った事件の犯人少年。当時中学校3年生で酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗って犯行声明を出したことから酒鬼薔薇事件とも呼ばれる