初音ミクの成功の要因はさまざまに検討された。
しかし多くは結果論で、開発の動機ではなかった。
初めからわかっていたことは、ただひとつ、
この国に創作のマグマが充満していたことだ。
という話。
(写真:フォトAC)
【初音ミクはいかにして世界に広がったか】
NHKのふたつの番組*1が分析した初音ミクのヒットの要因は、次のようにまとめることができます。
- 初音ミクが無色透明で汗や匂いを感じさせない“空っぽの箱”だったので、リスナーは感情を投影しやすかったこと。
- 無機質な声、無機質な歌い方であるため、人間の歌い手だとアクが強すぎる「居場所がない」とか「声が出せない」とか「愛されたい」といった生々しく暗い感情を吐露しやすかったこと。
- そうしたひとりひとりの心の中にある感情こそが、多くの人々に共有されることで救われるべきものだったこと。
- ボカロPと呼ばれるボーカロイドを使って作詞作曲をする人たちの多くが、旧来の道筋では自己表現の場を持てなかった人だったこと。彼らもまた、かつて居場所がなかったり声が出せなかったりした人たちで、だから同じタイプの人たちの心を揺り動かすことができたこと。
- たまたま動画投稿サイトの流行と重なり、ブームに乗ることができた点。初代ボーカロイド「MEIKO」では表現しきれない飢餓感のあるところに初音ミクを投入できたこと、等々。
しかしそれらはいずれも偶然だったりヒットしたあとで分かったことで、発売前から予想できたものではありません。企業として製品の開発を開始し、続けるためには発売前に「それは商品として成り立つだろう」「最低でも開発コストは回収できるだろう」といった読みがなくてはなりません。初音ミクの場合、それは何だったか。
【創作のマグマは日本に偏在していた】
番組(新プロジェクトX)の途中で発売元のクリプトン社の代表がボーカロイドの未来にについて、「(音楽を)勝手につくって勝手に盛り上がっているという“同人文化”の可能性を再確認した」と語る場面がありました。動画投稿サイトに初代ボーカロイドによってつくられた曲が次々と上げられていることに気づいた時の話です。再確認というからには、最初から意識されていたことなのでしょう。
番組の終盤にも司会者の言葉としてですが、
「何か作りたい、発信したいっていうマグマが、世界中に溜まっていたということなんですね」
という話がありました。
要するに楽器はできない、楽譜も書けない、しかし音楽をつくりたいんだ、作詞・作曲をやりたいんだ、できた曲をみんなに聞かせたいんだという人々がかなりいると、最初から信じられる状況があったということです。そうした信頼があったからこそ、何年もかけて歌声合成ソフトの開発が続けられたわけです。
そして日本の企業がそれを成し遂げた。ITに関しては一歩も二歩も前を進んでいるアメリカや中国を尻目に、日本だけが行えたのは、結局、初音ミクを待望する創造のマグマが、日本だけに偏在していたからだと考えられます。
【習わなかったこと、日ごろやっていないことは、できない】
話は少し変わりますが、齢をとるとできなくなることが増えてきます。体力・筋力・瞬発力等、肉体的な衰えがありますし、昔はできたことでも長くしないうちにできなくなっていることも少なくありません。
スキーもスケートも、今は昔のようにうまくは滑れないでしょう。もう10年以上も遠ざかっています。ギターも数十年といった単位で触っていませんからコード進行ですら曖昧です。
歌うことについては、最初の一音がきちんと出せるかどうか、自信がありません。素っ頓狂な音が出て笑われてしまうのではないかと不安です。伴奏に合わせて歌えるかと言われればさらに自信がなくなります。絵も、いま描けと言われるとやはり難しいと思います。中学校1年生のときは美術部だったのに――。
「何を弱気な――」と励ましてくれる人もいるかもしれませんが、日ごろやっていないというのはそういうことなのです。できる気がしない。
半世紀前の私は違いました。自分の将来を決めかねていた時期でもあり、絵描きにもなりたいし小説家にもなりたい。ドラマやバラエティの脚本家もいいと思いましたし、シンガー・ソングライターも俳優もよかった。バンドを組んで女の子をキャーキャー言わせたかったし、それでいてまったく逆に、自動車の設計のような落ち着いた仕事が向いているのではないかと考えた時期もあります。なぜ、そんなふうにあれこれできると思えたのかというと答えは簡単で、そうした基本的な訓練が、当時はすべてできていたからです。
そのころの私は週に2回の歌と楽器のレッスンを受け、作曲の手ほどきも受けていました。絵を描いたり彫塑をつくったりいとったことも週に2時間以上は勉強していましたし、文章は毎日のように書かされ、朱を入れられていました。図面を描くというのも比較的うまい方でした。
どこでそんな総合的な指導を受けていたのかというと、言うまでもなく学校です。公立の小中学校で、毎日のように国語や音楽、図工・美術、技術・家庭科といった教科を1年に240日(当時)も9年間やっていたわけですから、一通りできるようになって当然だったのです。
【初音ミクは日本の教育がもたらした】
何か新しいことを始めるためには「自分にもできるかもしれない」「少しがんばればなんとかなるかもしれない」といったある程度の自信がなくてはなりません。18年前に初音ミクが発売された際、当時の価格で12,000円という大金を投じることのできた若者は、みんな「自分にはできる」「12,000円分くらいは楽しむことで回収できそうだ」と踏んだのです。なぜなら彼らは全員、基礎的な音楽教育を受けていて作曲の経験があったからです。やったことがあるからできるだろうと、合理的な判断ができたのです。
諸外国ではムリでしょう。そこまで丁寧な音楽教育は受けていませんし、「歌うのはシンガー」「演奏するのはミュージシャン」という感覚の強い傾向があるからです。「自分にもできる」「自分もやっていい」ということにはなりにくい風土があります。
そう考えると18年前の初音ミクの大ヒットは、日本の音楽教育と音楽風土があってこそのことだったと分かります。いや、そもそもボーカロイドの開発事業そのものが、基礎的音楽教育を受けた日本人の存在を前提としていて、彼らの中に「創造のマグマ」が溜まっていると信じられたからこそ続けられたものだったのです。
音楽だけではありません。ボカロ曲に歌詞をつける、アニメを制作して曲に合わせる、そうしたこともすべて、実技教科も大切にする日本の教育があってこその話です。
ひとは本能的な部分を除けば、学ばないでできることはひとつもありません。あとは何を学ぶかの選択だけのこととなります。音楽や図工美術の授業を減らし、AIにもできる英語やプログラミングに力を入れつつある日本の現在に、私は大きな危惧を感じています。
(この稿、終了)