他の世界では常識のど真ん中にある話が、
私の世界ではまったく知られていないことがある。
別の島宇宙に住む者どうしだからだ。
あちらでは今、初音ミクが革命を起こしているらしいが――。
という話。
(写真:フォトAC)
【情熱の連鎖が生んだ音楽革命】
先週土曜日(4月19日)の新プロジェクトXは「情熱の連鎖が生んだ音楽革命~初音ミク 誕生秘話~」というタイトルでした。
初音ミクというのは二つの側面で説明しなくてはならないのですが、ひとつは未来から来たボーカロイド(ボーカルのできるアンドロイド)のひとり、青く長い髪をした少女というキャラクター。もうひとつは2007年に北海道のクリプトン・フューチャー・メディア(以下クリプトン)という会社から発売された歌声合成ソフトの名前です。このソフトを使えば楽器の演奏できなくても音符が読めなくても、誰でも作詞作曲をしてキャラクターの初音ミクに歌わせることができるらしいのです。
私は噂こそ耳にしていましたが詳しくは知らず、2012年暮れの紅白歌合戦でX JAPANのYOSHIKIと共演した際に始めて見ました。それでも意味は分かっていなかったのですが――。
新プロジェクトXではソフト開発の中心となったYAMAHAの技術者と販売に携わったクリプトンの代表、そうして歌声合成ソフトに初音ミクというキャラクターを与え、その声を選定したクリプトンの若手社員の3人を中心に開発物語を紡いでいきます。
【ボーカロイド「初音ミク」の誕生】
2004年、クリプトンはYAMAHAの技術者が2年の歳月をかけて開発した歌声合成ソフトを女声版の「MEIKO」と男声版の「KAITO」として発売します。ところが女声版は1500本、男声版に至っては500本しか売れないという大惨敗。音楽雑誌からは「三歳児のようなたどたどしい歌声」と酷評される始末で、商品として成り立たなかったのです。
YAMAHAの技術者がそれでもめげずに開発を続け、クリプトンの代表はなんとか販売につなげようと思案している最中の2007年、コンピュータソフト市場に不思議な現象が起こり始めます。3年前に発売した「MEIKO」が急に売れ始めたのです。
何かと思って調べると、前年の12月から始まった「ニコニコ動画」(以下「ニコ動」)という動画投稿サイトにMEIKOを使ってアニメやヒット曲を歌わせる動画が次々と投稿されるようになっていたのです。しかもそこで展開される書き込みは、MEIKOを実在するひとりの歌手のように語り合っています。
クリプトンの代表はそこに可能性を感じます。歌声合成ソフトを使って勝手につくって勝手に盛り上がるという、いわば“同人文化”のような世界にニーズがあるのではないかと考えたのです。
自分たちの歌声合成ソフトをもっとみんなの想像力を掻き立てるものにできないか――。ここで起用されたのがクリプトンの2年目若手社員です。彼を中心に改めて販売戦略が練られ、ボーカロイドに“初音ミク”(未来《みく》から来た初めての声の意味)という実在しない女の子のキャラクターが被せられ、元となる声の持ち主が選定されます。
開発開始から半年後の2007年8月、いよいよ「初音ミク」が発売されます。その売れ行きはすさまじく、最初の1カ月で15,000本。ニコ動には投稿が殺到し、言葉遊びや自作のアニメつきなど、思い思いの創作を愉しむ人々で溢れかえります。
さらに数カ月後にはプロを凌ぐ作品も投稿されるようになり、そこに米津玄師や YOASOBIのAYASEらが加わるようになってきます。
【初音ミクが世界を変える】
新プロジェクトXの初音ミク誕生物語はここで終了します。爾来10数年、初音ミクは私のまったく知らない世界、私がいつも言う別の文化的島宇宙で地歩を固めてきました。その様子は先月(2025年3月)16日のNHKスペシャル「新ジャポニズム 第2集 J-POP“ボカロ”が世界を満たす」で紹介されました*1。
それによると2007年8月の初音ミク発売は、まずプロの音楽業界に衝撃を与えました。初音ミクは電子装置ですから、1秒間に10音の歌詞を歌うとか、一瞬にして1オクターブ上がって1オクターブ下がるとか、人間にはとうていできないことを簡単に成し遂げてしまいます。それは製作者側にとって、いままで「人が歌う」ことを前提として自己規制してきたタガが外れ、可能性が無限に広がったことを意味します。音楽に対する考え方がまったく違ってくるのです。
さらに初音ミクが発売されてその驚異的な能力が明らかになると、人々は曲をつくって初音ミクに歌わせる活動と同時に、逆に初音ミクの歌う曲を人間がカバーする「歌ってみた」もスタートさせます。いわば自らが育ててきたボーカロイドの軍門に下り、しかしボーカロイドの麾下に入りながらもボーカロイドを越えようとする試みだったと言えます。それも2007年のことでした。
【さて、駒はそろった】
新プロジェクトXとNHKスペシャルを見て知った初音ミクの話をここまで延々と書き連ねたのは、昨日お話しした「あ、ボク、それ、知ってる」的“知ったかぶり”のためではありません。今回に限って言えば“例外”で、初音ミクという私にとっては異世界の存在について考える上で、まず基礎を揃える必要があったからです。
簡単にまとめれば、わが国発の「初音ミク」という歌声合成ソフトが、私の知らないところで音楽業界を席巻し、世界を変えようとしているということです。
(この稿、続く)