昔の教師だって暇だったわけではない。
しかし気持ちに余裕があった。
指導のためにたっぷり時間は使っていても、
子どもたちのためにもう一肌脱ごうと思うことができた。
という話。
(写真:フォトAC)
【誰が私たちを引き離したのか】
ほとんどの教師の一番の願いは児童生徒の健やかな成長であり、大部分の保護者の関心は我が子が健康で健やかに育つことだと思っています。その意味で教師と保護者の利害は完全に一致しているのに、なぜこうもうまくいかなくなったのか――。
教師は“もう部活の面倒は見切れん”と言い、保護者は“これ以上、学校にこき使われるのは敵わない”と言う、こうした乖離は、いつから、どんなふうに起き始めたのか――ずっと心を痛めてきました。
私は昭和時代に教員となって平成の大部分を教職にあった人間ですが、昔だって教職員と保護者は一定の緊張関係がありました。しかし互いの腹には一物も二物もありながら、表面的には仲良くするだけの余裕がありました。
もちろん今でも教育現場で教師と保護者が、言葉の刃(やいば)の切っ先を突き合わせて、丁々発止のやり取りをしているとは思いませんが、昭和に比べるとはるかに関係は悪く、互いに見えないところで政治を動かし、反目し合うようになってきた気がするのです。
部活の地域移行やPTAの解散は、まさにそうした反目と術数の結果です。何が、あるいは誰が私たちを引き離したのでしょう?
とりあえず考えられる犯人は4つ、
「多忙」と「市場原理」と「格差」と「インターネット(SNS)」
です。
【半世紀前の教師も、暇ではなかったが余裕はあった】
40年も前の話ですが、私は田舎町の中学校で「資料室の係」というのをやっていたことがあります。任されている「生徒指導係」だの「防災・安全係」だのといった五つほどの係のひとつで、担当者は私一人、したがって主任です。
資料室というのはひとことで言うと「捨てるに捨てられないガラクタの倉庫」で、寄贈された文化財的農具だとか、廃棄物なのか保管物なのか分からないような昔のテープレコーダだとか、そういったものが山積みに置かれている文字通りの「開かずの間」で、係主任の仕事は年に何回か中に入って異常がないかどうかを確認するだけです。「開かずの間」ですから異常が起こるはずがありません。けれどそこで、私はとても面白ものを発見したのです。昭和30年ごろの当番日誌です。
公簿であり副校長(教頭)の記録する学校日誌と違って、当番日誌というのはその日の日直が校内の様子を記録する肩の凝らない記録で、無味無臭の文章が続くのですが、行間に読み取れるものも意外と多く、のちに結婚することになる教員ふたりが同じ日の当番だったといった記録を見つけると、朝夕の見回りをしながらどんな会話をしていたのだろうと、想像をめぐらすだけでも楽しいものでした。
その日誌の中に、こんな記述があったのです。
「今日は放課後時間があったので、嫌がる生徒を残させて、一緒に野球をやった」(大意)
【かつては部活も楽しかった】
おそらくそれが部活動の入り口のひとつでした。昔の教師だってそんなに暇だったわけではありませんが、少なくとも子どもたちの放課後に付き合ってやろう、スポーツくらい面倒を見てやろうといった心の余裕があったのです。「嫌がる生徒」の方も教師にじゃれているのです。
私が教員になったのは1983年(昭和58年)のことでしたが、そのころも毎晩9時~10時まで学校に残る生活をしていながら、「部活動さえなければ」といった発想はありませんでした。面白かったのです。私の手の中で子どもたちの技能が伸びて行くのが目に見えたからです。
本業の社会科の方では、目の前にいる子どもたちは勉強が好きで、社会科で技能を高めようという子ばかり――という訳にはいきません。むしろ少数派です。ところが部活動の方は来ている子の全員がその種目が好きで、技能を高めてできれば選手になりたい、選手になってひとつでも上の大会に出たい、そんなふうに思っている子ばかりなのです。
単に同じ地域で同じ年に生まれたというだけの、何の共通性もない烏合の衆の学級と違って、部活の方は最初から目的集団です。目的を達成するために何をすればいいのかもはっきりしていますし、子どもたちも目的の前に素直です。顧問である教師の努力が反映しやすい世界でもあり、楽しくないわけがありません。
【とても部活なんてやっていられない】
その部活が負担になる――原因のひとつは明らかに本業の方の殺人的多忙化です。
「総合的な学習の時間」「小学校英語」「プログラミング学習」「キャリア教育(職場実習やキャリアパスポート)」「ICT教育」「特別の教科『道徳』」「環境教育」「薬物乱用防止教育」「全国学力学習状況調査(その結果起こる学校間・地域間競争)」「教員評価・学校評価」「学校評議会」「地域連携」「不登校対策」「いじめ対策」「教員不祥事対応」「不審者対策」等々、これらはすべて平成以降に創設されたものです。
それらすべては自分自身が児童生徒としても、教育学部の学生としても経験してこなかった内容です。さらに言えばコンピュータプログラミングや英語が人に教えるほど堪能だったら教師になんかならなかったという人もたくさんいるはずです。
そうしたものが大量に入って来て、本業で溺れるようになり、本業ではない部活動の居場所がなくなったのです。昔のように教科指導や学級指導にじっくり取り組むために夜遅くまで働くのではなく、様々な仕事に追い立てられて学校にいるようになったのです。
(この稿、続く)