カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「配偶者在宅ストレス症候群かもしれない」~老後の夫婦の生き方①

 昨日は朝からずっと奇妙な緊張感に包まれていた。
 何かが違う、
 何か今までにない特別なことが起ころうとしている、
 ――やがてあることに気がついた。
という話。(写真:フォトAC)

【なぜか朝から緊張の一日】

 一昨日(3月31日)に昨日の分のブログを書こうとして、4月1日の学校の様子を振り返った、そのせいもあるのかもしれませんが、昨日(4月1日)は朝から妙に緊張感の高い日でした。
 朝6時のNHKニュース見ながら「もうみんな起きたかな」と心配し、7時のニュースが始まると、「電車に乗ったかな」「自転車の準備はできたかな」「必要なものは車に積んだかな」などと気になります。この場合の「みんな」はかなり漠然としているのですが、言ってみれば日本中の新入社員、新人公務員、あるいは異動や転職で新たな職場に移った人たちです。

 私も会社員の経験があるのですが一般的な入社の形をとっていませんので、4月1日の緊張というのは30歳で教員になったその日が初めてです。そしてその日一日のことを、40年以上も経った今でもとてもよく覚えています。そのくらい緊張していた。
 ですから昨日も、
「7時50分になった。初出勤で控室に入ったな」
とか、
「あれ案内にあった8時が過ぎたのにひとり間に合ってないぞ(心配だな)」
とか、
「8時10分、いよいよ職員室に入って校長先生から紹介される時間だ」
とか、5分刻みは大げさにしても10分毎くらいには時計を見ながら、過去の自分の緊張感を味わっていたのです。
「10時20分、最初の休憩。『コーヒーほしい人!』なんて言っている先生がいるぞ。手を挙げておこ。頭がくらくらする」
とか、
「12時20分、やっと昼食だ。頭の中、真っ白」
とかやっていて、さすがに昼を過ぎると《現場を去って12年目の今ごろ、オレは何をやっているんだ?》《何がこれまでと違うんだ?》と自問したのです。

 実は答えは分かっていたのです。昨日、2025年4月1日火曜日は、結婚して37年目にして初めて、夫婦そろって家にいる4月1日だったのです。

【妻が家に帰って来る】

 結婚してから28年間は夫婦共稼ぎでガンガン働き、29年目からは私が勤め人を辞めて専業主夫・家庭菜園ティスト・文筆家となって家居9年。その間に妻も定年を迎えたものの、再任用教員、常勤講師、就労支援施設職員などと7年間勤めて昨日3月31日、すべての職からいったん身を引いたのです。その翌日が昨日。

 もちろん夫婦で教員でしたから、土日祭日以外にも長期休業で二人とも家にいる、という日も少なくなかったのですが、これまでのように朝から二人そろって家にいても、休業日が終われば両方または一方が勤務に出て家にいいなくなる状況と、もしかしたらこのままずっと家で一緒かもしれない状況では、まったく異なります。後者だと夫婦二人で調整しながら、家での暮らしを設計しなくてはなりません。それがけっこうたいへんかもしれない。
――昨日はその緊張感が底辺にあっての、一日だったのです。

 知り合いのひとりは夫婦で顔を突き合わせる生活に半年で疲れ、必要もないのに外に働きに出たと言いますし、別のひとりは食事の時間以外は2階の自室に引きこもり状態だと言います。動画を見たりゲームをしたりと、やることに事欠かない人なので何とかもっているみたいですが、誰もができることでもないでしょう。ゴルフが趣味の友人はしょっちゅう出歩いています。ゴルフ仲間が飲み仲間ですから、コースに出ても、打ち放しでも、居酒屋に行って時間は潰せる。夫人はなかなか煩いみたいですが、家で角を突き合わせているよりはマシだと言っています。その辺りは毎日こまごまと注意されるよりは月に2~3回ドヤされる方が

マシという中高生に似ています。

【配偶者在宅ストレス症候群】

 我が家は非常に逆転傾向の強い夫婦で、先に家に入った私の方が家庭内に地盤を持っています。買い物と調理以外の家事はすべて私が行ってきましたし、畑仕事・庭仕事もあります。今後家庭内に居場所を探さなくてはならないのはむしろ妻の方です。

 老人には「きょうよう(今日すべき用)」と「きょういく(今日、行くところ)」とが必要だと言いますが、私と結婚する前から脇目もふらずに教育を行って来た人です、勤めを辞めて生きる場があるかどうかはどうも疑わしい。
 動画だ、ゲームだ、ゴルフだという訳にはいきませんし、元来がケチですから旅行に出ることもなく、演劇やコンサートも好みません。友人もそれほど多いようには見えません。
 邪魔にするつもりはないのですが、もしかしたらそうした妻の存在自体が、私の目に余る日が来るかもしれないのです。そうなったら配偶者在宅ストレス症候群で病むのは私の方です。
 昨日一日の緊張感は、そうした未来に対する予兆だったのかもしれません。
(この稿、続く)