学校における教育内容の国家基準「学習指導要領」。
しかしそこには特別活動の授業時数が示されていない。
つまり理屈上は無制限に増やすことができるのだ。
なぜそんなことになったのだろう?
という話。
(写真:フォトAC)
【1960年代、登校日数250日超のゆとり教育】
私は1960年代の小学生で、おそらく1958年(昭和33年)改訂の小学校指導要領下で小学校生活を送っていたことになります。その指導要領を見ると総授業時数を示した「別表」に「特別活動」の項目はなく、本文にも時数に関する規定のないことが分かります。それどころか名称も「特別活動」ではなくて「特別教育活動」。内容も「児童会」「学級会活動」「クラブ活動」の三つだけです。「学校行事」は「道徳」「特別教育活動」と同じ列に並ぶ別建てになっているのです。その「学校行事」にも時数の規定はなく、ただ、
「学校行事等の指導計画作成およびその実施にあたっては,各教科,道徳および特別教育活動との関連を考慮するとともに,教育的見地から取り上げるべき種類ならびに実施の時期・時間・回数・方法などを決めなければならない」
と書いてあるだけでした。ですからその気になれば何十時間やってもかまわなかったのです。
そう言えば、いま考えると恐ろしいことですが、私の通っていた小学校には清掃の時間が1日3回もあって、朝、登校すると同時に朝掃除、給食後に普通の掃除、それが終わると庭掃除。庭掃除といっても実際には園芸中心で、けっこう広い学級花壇の世話に余念がありませんでした(園芸のできない冬はどうしていたのだろう?)。
登校日数は240日をはるかに越えていたと思うのですが、だから余裕があったのかもしれません。私たちはしばしば思い違いをしますが、本気で「ゆとり教育」を追求するなら、学習内容を減らして登校日数を増やさなくてはならないのです。
私がその下で学んだ1958年改訂学習指導要領で、年間の総授業時数は1085時間でした。仮に登校日数が252日(学校6日制で42週間)だったとして一日の授業時間を計算すると、252日のうち土曜日は42日。半日日課3時間授業ですのでこれだけで年に126時間(3時間×42日)の授業ができます。残りは959時間。これを月~金曜日総数210日(252日―42日)で割ると1日平均4.57時間。4時間授業を3日、5時間授業を2日やればお釣りが出ます。
もちろん特別活動の時間が計算に入っていないので、毎週3時間を特活に充てるとして年間126時間。さすがにこれだけあると十分です。これで月~金が5時間授業、土曜3時間でうまく収まります。6時間授業なんて必要ありません。なんなら週日から5時間授業の日を一日減らして4時間とし、引いた1時間の42週分(42時間)をまとめると8~10日分ほどになりますから、これを運動会などで使えばいいのであって、確かに登校日数はさらに増えますが、かなりゆったりとできます。
昭和のあいだはそんなふうに呑気にやっていたのかもしれません。
そう考えると1998年の改訂で登校日数は大いに減ったのに学習内容はそこそこにしか減らさなかった「ゆとり教育」が、まったくゆとりを生み出さなかったという昨日の話も、改めて分かってもらえると思います。
【なぜ「Tokkatsu」は隠されたのか】
ところで「特別活動」全体は、なぜ授業時数表に入って来ないのでしょう?
| 1968~69 | 1977 | 1989 | 1998 | 2007 | 2017 | |
| 小1 | 0 | 34 | 34 | 34 | 34 | 34 |
| 小2~3 | 0 | 35 | 35 | 35 | 35 | 35 |
| 小4~6 | 0 | 70 | 70 | 35 | 35 | 35 |
| 中1~3 | 50 | 70 | 35~70 | 35 | 35 | 35 |
| 選択教科からの時数の流用(中学校) | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ | ✕ | ✕ |
| クラブ活動(中学校) | ◯ | ◯ | ◯ | ✕ | ✕ | ✕ |
中学校学習指導要領の方が動きが大きいのでそちらで見ますが、1969年の改定で50時間という中途半端な時間が与えられていた特別活動は、77年改訂で70時間、89年改訂では「35~70」(現実には35と70との二択)という幅を持たされて迷走した挙句、1998年からは35時間(「特別活動の授業時数は、中学校学習指導要領で定める学級活動(学校給食に係るものを除く)に充てるものとする)」という注意書きがある)に落ち着きます。その間も細かく見ていくと、35時間をクラブ活動の時間として使えと言ってみたり学級活動にしろと言ってみたり、足りなければ選択教科の時間から少し持ってきてもいいと言ってみたり、あれこれ細かい出入りはあったものの、結局、「特別活動」の全時数を明らかにしないという点では一貫していた様子が分かります。なぜはっきりと書かないのか――。
ひとつには、学校行事などは地域とのつながりの深いものも多く、一様に決めてしまうと身動きが取れなくなる可能性がある、といったことだったのかもしれません。臨海学校をやりたい地域もあれば「今さら海は・・・」といった地域もあります。同窓会とのつながりが深くて特別な行事をしなくてはならないというところもあるでしょう。そうした個々の事情を潰さないよう、敢えて枠を決めなかった、そういうことかもしれません。
しかし私はもっとロマンチックな想像をしています。それは特別活動の時間を時数表の中に入れて目に見える形にしてしまうと、縮小あるいは削減の対象にされてしまう危険性があるので、それを避けたかったからではないのかというものです。時数を細かく書かなければ一度消えてもいつの間にか復活できる――。現在一部の先生方から猛然と非難されている、
「せっかくコロナ禍で縮小した運動会を、なぜ元に戻すのだ」
といったことは、「学校行事は70時間」とか決めてしまうと起こりえないのです。なぜなら下限・上限が決まっている以上、運動会を縮小したらその分を何かで埋めなくてはなりません。一度別のもので埋めてしまうと、元に戻すのは容易ではないのです。
【子どもの成長が教師の一番の喜び】
教師の一番の喜びは「児童生徒の成長」です。
格好をつけているみたいですが、営業職サラリーマンの一番の喜びは「営業成績」、技術屋の喜びは「技術革新」、漁師の一番の喜びは「漁獲高」だといったのと同じ意味での「児童生徒の成長」です。自分の技能・才覚や努力によって子どもが一段高いところに昇る、それが教師たちの有能感や自己効力感、自尊心を満足させるわけです。しかし同じ学校現場でも、子どもの成長が支えやすく見えやすい場面とそうでない場面とがあります。
教科で言えば、国語はほんとうに大変で、半年間、本人が真剣に取り組んでもなかなか成績が上がるものではありません。いくら優秀な教師でも国語で成果を出そうとしたら相当に辛抱強い取り組みが必要です。しかし社会科や理科は違います。これらの教科は努力が反映しやすく、成長が見えやすいのです。極端に言えば歴史で、鎌倉時代までの学習はボーっとしていたのでボロボロだったが、室町以降は俄然、張りきって勉強したので成績が良かった、といったことは社会科では起きます。理科でも化学はダメだけど生物は強いという子はいるでしょう?
もちろんそうは言っても教科教育は地頭(じあたま)の問題もありますし、学校に上がってくるまでの積み重ねにも差があるので、一様に成績を伸ばすのは容易ではありません。優秀な教師の下で本人も頑張れば全員が東大に合格できるような力がつく、ということは絶対にありませんし、なくてもかまわないのです。中学校を卒業するときまでに小学校6年生程度の学力がついていれば、何とかなります。
【秘宝は露わになり、壁は崩され始めた】
しかし特別活動が子どもたちにつけようとする力はそういう訳にはいきません。
話し合いによって問題解決を図る力、役割を分担し責任を持って遂行する力、組織を動かす力、人間関係を円滑に進めようとする力、等々々。それらがなければ社会で生き生きと生きていくことはできませんし、いま通っている学校もつまりません。
最近ネットで、ロシアで教育を受け、先生から「カンニングしてもいい、生き延びるためにはそういうズルも必要だ」と教えられて育った日本人女性が、そのようなロシアのユニークな教育方針によって創造力を育んだのかもしれない、という記事を読みました*1。もちろんロシアで生き抜くためにそうした知恵も必要なのかもしれませんが、日本社会で日本人として生きるためには別の学習が必要です。
私を含む多くの教師が「特別活動」を通して子どもを育てることを無上の喜びとし、代々の文科官僚も都道府県市町村教委も「特別活動」の重要さを認識し、愛してきた。「日本人を日本人に育てるための教育」だからです。そしてだから「Tokkatsu」という秘法は授業時数表の枠外に秘宝として隠され、守られて来た――ファンタジーめいた言い方をすればそんなふうに私は思うのです。
そしていま、「はてしない物語」で「無」がファンタージェンを侵したように、映画「マトリックス」でバーチャルが現実社会を乗っ取ったように、「進撃の巨人」で壁が崩されたように、海外からの注目が集まりつつあるというのに、日本の学校から「Tokkatsu」は消されようとているのです。
(この稿、次回最終)