カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「器が小さくなったのに、同じ中身を入れれば苦しいに決まっているダロ」~学習指導要領に見る《学校が忙しくて当たり前》の話①

 教師が多忙と言われても一般人には分からない。
 納期も支払期限もない子ども相手の楽な仕事で、
 長期休業はあっても倒産もリストラもない。
 しかし学校の多忙には明らか理由があるのだ、
という話。(写真:フォトAC)

【教師の多忙に関する科学的分析】

 先週木曜日(2月20日)のネットニュースに『子どもグッタリ「学校の授業が多すぎ」カリキュラム・オーバーロード問題の行方~小学校は5時間、中学校は5.4時間を提案する訳』東洋経済新聞)という記事があり、興味深く読ませていただきました。
 
 カリキュラム・オーバーロードというのは「教科の内容が増えすぎて、子どもたちにも教員にも負担が大きくなっている状況」を言うのだそうです。これまでも教科で求められるレベルが高すぎるとか、特に最近では中学校1年生の英語の敷居が高すぎるといったことが話題になっていますが、上記の記事の新鮮なところは、内容ではなく、時数を計算することで過剰になっている教育内容の実態を明らかにしようとしている点です。

 標準時数の歴史的な変遷と、その標準時数がもたらした実態についての研究は、私の知る限り、ほとんどありません。それを今回、私たちがやったことになります。
(実態解明をした東京学芸大学現職教員支援センター機構教授の大森直樹氏の説明)
 
 具体的に言えば小学校高学年の場合、1989年改訂の学習指導要領では総授業時数が1015時間だったものが「ゆとり教育」の1998年改訂で945時間に減らされ、そこで学力低下が問題にされて「脱ゆとり教育」の流れがつくられ、2008年改定では980時間に、さらに2017年改訂では1015時間と元に戻されたのです。
 東洋経済の記事ではこの段階でインタビューアーが、
「その変遷だけで、カリキュラム・オーバーロードを論じることはできないのでしょうか」
 と問うのですが、対応する大森氏は、
「比較するには、比較するための『手続き』が必要なのです。その手続きを経ない比較は、『不正確な比較』でしかありません」
と突っ撥ねて、総授業時数だけでは分からない“隠れた数字”に話を移していきます。

 しかしそんな深い話をしなくても、この段階でカリキュラム・オーバーロードは簡単に説明できると思うのです。
 なぜならその間に学校五日制のため、登校日数が減っているからです。

【政治が学校を利用する】

(表1)学習指導要領における総授業時数の変化
  1968 1977 1989 1998 2008 2017
小1 816 850 850 782 850 850
小2 875 910 910 840 910 910
小3 945 980 980 910 945 980
小4 1015 1015 1015 945 980 1015
小5・6 1085
中1・2 1190 1050 1050 980 1015 1015
中3 1155
授業日数 240日 240日 240日 200日 200日 200日

 月一回の土曜休みが始まったのは1992年。元はと言えば日米貿易摩擦で、アメリカ側から不公正競争(労働時間が違い過ぎる)を咎められた政府自民党が、企業の週休二日制普及を大きく後押しするために、まず学校を休みにするというアイデアをひらめかせたことに始まります。学校が土曜休みになれば多くの労働者が働けなくなる、特に安価なパート労働者が週休二日制の職場に移ってしまう、そこですべての企業は週休二日制を推進しなくてはならなくなる――そう考えたわけです。

 ただし文科省(当時は文部省)に任せておけば、調査、調査で学校の週休二日制度などいつ始まるか分かりません。特に1992年は新学習指導要領(1989年改訂)が正式に施行される初年度で、今から検討させたら次の改訂まで確実に10年はかかってしまいます。そこで苛立った政府自民党は省庁を通さず、いきなり党文教部会で決めてその年の9月から実施することにしてしまったのです。文科省も各自治体も、もちろん学校にとっても寝耳に水の話です。

 今でもこの件については「当時、絶大な力を持っていた日教組が――」といった誤解がありますが、この時は長年週休二日制を求めて来た日教組もさすがに慌て、準備不足を理由に反対したほどだったのです。そのくらい唐突でした。

ゆとり教育のおかげでゆとりがなくなった】

 そんなバタバタした状況で始まった学校五日制(週休二日制と言わないのは、当初、教職員は土曜日も出勤することが予定されていたためだと言われています)は、10年かけてようやく2002年に完全実施されることになりました。
 土曜登校がなくなって登校日数はかつての六分の五に減らされます。以前は240日±10日程度あった(自治体によって大きな開きがある)ものが現在は200日±5日前後に、およそ40日も削減されたのです。もちろん減った40日はすべて土曜日ですので、実際の削減時数は土曜日課の3(時間)×40(日)=120時間ほどということになります。
 
 学習指導要領の総授業時数もそれに合わせて、1989年改訂の1015時間から、1998年のいわゆる「ゆとり改訂」で945時間――つまり70時間減らされたのです。
 ただし注意深く見ると、土曜日授業がなくなって実質120時間も減ったのに、カリキュラム上で減らしていいのはわずか70時間ということになります。行き場を失った50時間(120時間-70時間)はどうしたらよいのでしょう?
 
 答えは簡単でした。月曜日から金曜日のどこか空いたところに、授業時間を1コマ入れてやればいいだけです。授業日数200日は週換算すると40週ですから、毎週1時間の授業を増やせば、40時間の回復ができます。まだ足りない10時間は――それくらいだと運動会を午前中で終わらせて、午後に2時間の授業を行う等を繰り返せば、何とか回復できます。苦しいことは苦しいですが、できないことではありません。

【苦しいのは時間だけではない】

 ただ大変なのは時間のやり繰りだけではありませんでした。授業は「生もの」ですから調理のしかたが難しいのです。
 私は社会科の教師でしたが、ゆとり教育で週4時間の授業が週3時間に減ったからと言って楽になるというものではありません。歴史の授業で平安時代以前を教えなくてもいいということにはなりませんし、単純にそれまでの授業を4分の3に圧縮する――つまりスピードアップすればいいというものでもないのです。
 さまざまに工夫しなければ生徒はついてこられない。そうした組み換えは、特に長年の経験から年間を通した授業のリズム、テンポを培ってきた私のようなベテランには、かなり苦しいものでした。教師も10年ほどやれば経験によって教材研究に心血を注がなくてもよくなり、その分を学年経営や学校運営に力を注ぐことができたわけですから、教材研究を1からやり直すということになるとかなり大変だったのです。

【器が小さくなったのに元の中身を全部入れた】

 しかし私たちはやり遂げた、そしてやり遂げたとたんに(正確に言えば始める前から)ゆとり教育に暴風雨並みの批判が起こり、2008年改訂で総授業時数が980時間までに戻され、2017年改訂では1015時間の前と同じ時数に戻されたのです。
 
 このとき学校五日制もやめて元に戻せばよかったのですが、そうはしませんでした。
 器(登校日数)が小さくなったので中身も小さくした。しかし器に合わせて適正に小さくしたのではなく、そこそこたくさんの量を無理して突っ込んだ。やがてほどなく「やっぱり全部入れた方がいいね」という話になって、最初に入っていたものをすべて押し込んでみた――小さな器に大きな中身、これでは苦しくなるのは当たり前です。同じ時数ですが、かつて240日間で行えばよかった1015時間を、今は200日でやらなくてはならないのですから、楽なはずがないのです。
(この稿、続く)