カイト・カフェ

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「文章に外国語を入れたくないが、それでも入れないわけにはいかない」~そろそろ外来語に疲れてきた①

 いくつかの理由から、
 私は文の中に外国語が入るのを嫌う。
 しかしそれでも避けきれない場合がある。
 ひとつは固有名詞、そして日本に今までなかった言葉、
という話。(写真:フォトAC)

【私が外国語を文章に入れない理由】

 文章を書くときにこころがけていることのひとつは、安易に外国語を使わないということです。正確に言えば、日常生活に定着した言葉でもできるだけ使わないようにして、誰かの話した言葉として使う時のみ、カッコつきで表記するようにしています。
 例えば「OK」というような場合です。
 
 なぜ使わないかというと、ひとつには外国語の場合、どれほどたくさんの人の合意が成立しているか疑わしいからです。案外分からない人も多くはないか、そういうことを怖れるからです。例えば今、書いたばかりの、
「どれほどたくさんの人の合意が成立しているか」
は、
「どれほどたくさんの人のコンセンサスが成立しているか」
でほとんどの人が通じると思うのですが、それでも私のような高齢者を考えると、「合意が成立しているか」の方が分かる人が多そうです。
「 [『コンセンサス』と『合意』は微妙に違っていて、『コンセンサス』は『コンセンサス』でなければ意味が違ってくる」と主張する英語使いもおられるかもしれませんが、少なくとも現在の日本では大半の人々が同じものとして使っているはずです。
 ただ使い方が少し違っていて、「合意」は「成立させる」と親和性が高く、「コンセンサス」は「得る」と親和性が高い印象があって、だから極めて似ているにもかかわらず、ふたつの言葉は残っています。
 
 それと対象的な言葉が「フェーズ」です。一時期かなり流行した言葉ですが、「フェーズ」は「局面」と1mmもずれなく使われましたから、いつの間にか消えてしまいました。《結局、気取って使う言葉だった》という扱いで廃ってしまった――もはやそういうフェーズではなくなったということです。
 
 外国語を使わないふたつ目の理由は、文体の問題です。単純に言えば、明治時代の文章に寄せていくか、最先端のポップな文章に寄せていくかという、単なる好みの問題です。どちらでもいいのですが、ひとつの文章の中で揺れるのはよろしくない、読みにくい、頭に入って来ないと思うのです。
 
 みっつ目はキーボードが打ちにくいという、文章上は極めてどうでもいい理由です。もしかしたら普通に打てる人は分からないかもしれないのですが、私のようにへたなタイピストだと、外国語はとても打ちにくい場合があります。今、書いたタイピストはいいのですが、先日、多用せざるを得なかった「ウォッチ」は本当に嫌でした。
「腕時計」なら「u・d・e・d・o・k・e・i」の8文字、「ウォッチ」なら「u・x・o・c・c・h・i」の7文字と一見「ウォッチ」の方が早く打てそうな気がしますが、「腕時計」の8文字の中にはやたら打ち慣れている「母音(a・i・u・e・o)」が5文字もあるのに対して「ウォッチ」の方は母音が三つしかありません。しかも滅多に打たない「x」があるし、そもそも「Watch」は「ウオッチ」みたいな発音はせず、普段は「ヲッチ」乃至は「オッチ」みたいになるはずです。ですから「ウォッチ」と打つたびに頭の中で「ヲ」を「ウオ」に変換し、「u・x・o」を思い出さなくてはいけないので、頭も指も躓く――。
「ビューティフル」も「サスティナビリティ」も皆、打ちにくい。

 四番目の最後の理由は、これも個人的な問題ですが、私は外国語が分からない、特に新しい言葉が頭に入って来ないのです。

【それでも外来語を使う場合(固有名詞)】

 しかし、それでも使わないわけにはいかない外国語もかなりあります。
 ひとつは固有名詞。
 大昔、ロシア文学が初めて日本語に翻訳された時代、女性名の「ソーニャ」「ナターシャ」はそれぞれソフィア、ナタリアの愛称だからということで「ソーちゃん」「ナタちゃん」と訳した人がいたようです。ほぼ伝説ですが、もちろんこれは「ソーニャ」「ナターシャ」のままでかまいません。同じく都市名「ペテルブルク」を「ペテロ市」、「レニングラード」を「レーニン市」と訳す人もいません。
 アメリカには「新ヨーク」だの「新オーリンズ」だの、あるいは「聖エンジェルス」だの「聖フランシスコ」だのといった町がありますが、すべて「ニューヨーク」「ニューオーリンズ」「ロサンジェルス(ロス・エンジェルス)」「サンフランシスコ」といった現地の読み方に統一しています。
 
 ついでですが、私が中学生だったころ、地理の時間にタイのメナム川という大河について勉強しました。ところが現在は教科書のどこを開いても「メナム川」は出てきません。
 実はこの川、タイでは「チャオプラヤ・メナム」と呼ばれ、「チャオプラヤ」が川の名、「メナム」は「川」を意味するのだそうです。ですから私たちが「メナム川」呼んでいたのは日本語で「川川」ということになってしまい、そこで現在は「チャオプラヤ川」に統一されているのです。

【日本になかったものは外国語のまま】

 基本的に外国語が入って来ても、日本に同じものがあってすでに名前がついている場合は外国語に置き換えないのが普通です。ドッグやキャットは昔から日本にいましたからだれも「ドッグ」だの「キャット」だのは言いません。しかしドッグ・フードやキャット・フードはありませんでしたから英語のままです。
 パンダやライオンは日本にいなかった動物なので外国語のままですが、「スマトラ・タイガー」は「スマトラ」が日本にないので「スマトラ」のまま、「タイガー」は日本にいた(来たことがある)ので「トラ」と訳します。かつて上野動物園で観客にオシッコをかけまくっていたあのトラが「スマトラトラ」と呼ばれるのはそのためです。
 弥生時代の日本には馬はいなかったので。日本に来た時は中国語のまま「(ン)マァ」と呼ばれ、やがて「ウマ」になりました。
 
 どんなに避けても避けきれない外来語はまだまだあります。
 (この稿、続く)