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「『行事の精選』という教育の質の低下」~校長先生のお仕事⑤

 文科相財務省案を批判して、
 「それでは必要な教育指導が行われなくなる」といった。
 しかし文科省は「必要な教育指導」を、
 すでにずいぶんと削減してきたのじゃないか、
という話。
(写真:フォトAC)

文科相財務省案を批判する】

 財務省の「時間外労働を月平均20時間以内に抑えることを条件にとりあえず10%まで教職調整額を引き上げ、その後時間を置いて残業代に変えていく」という案、今週火曜日(12日)阿部文科大臣は「教師の長時間勤務を改善する方策として、教職員定数の改善についてはいっさい示されていない」、その状況で残業時間の縮減ばかりを迫れば、「必要な教育指導が行われなくなる恐れがある」と批判したようです。
「仕事を減らさない人も増やさない、その状況で時間外労働の縮減を強制すれば、仕事はすべて持ち帰りになる」という、私のいつもの言い方の相似形です。
 
 文科大臣との違いは、大臣が「むりやり学校から追い返せば、先生たちは必要なこともしなくなるだろう」と考えるのに対して、私は「すべて持ち帰りにして、仕事はするだろう」と考える点です。私の方が先生たちを信じているという言い方もできますが、やるべきことをしないで被る「しっぺ返し」がどれほど恐ろしいか、理解している教員はやらざるを得ないと思っているからです。信頼を失ってコントロールの効かなくなった教室ほど恐ろしいものはありません。

【「行事の精選」という教育の質の低下】

 ただ個々の教員は教育の質を下げなくても、学校としてはレベルが落ちている現状はあるでしょう。いわゆる「行事の精選」です。
 例えばこのところ清掃の時間を週三日に減らして、間の二日間は簡単なゴミ拾いだけで済ませる学校が出てきました。これなどは典型的で、かつて「使った場所は、そのつど必ずきれいにしなさい」と言っていた指導を「散らかさないように気を遣えば、必ずしもそのたびにきれいにする必要はない(勉強の方が大事)」という方向に変換してしまったのです。一見たいしたことのない変更ようにも見えますが、「散らかさないように気を遣えば」は個々の情操がものすごく育っている場合は良いのですが、そうでなけれ「俺にとっちゃあ気を遣った結果」という程度問題になってしまいます。「マスクは風邪を引いている人だけがすればいい」と同じで、個人に判断を任せると徹底はできません。
 現在の日本の街が極めてゴミの少ないのは、自分の出したゴミを持ち帰る人たちが主流だからで、これが逆転して「正直者がバカを見る時代」になれば、つい40~50年前の日本がそうだったように、街路はすぐにゴミだらけになってしまいます。

【日本人として必要な素養が犠牲にされる】

 考えてみれば児童・生徒会も昔に比べるととんでもなく簡略化されました。運動会も半日、文化祭も1日開催となり、企画力・計画力・実行力、あるいは協働と分業、責任と信頼――そうしたことを実地で学び、訓練する機会はぐんと少なくなっています。
 万が一大規模災害にあったとき、互いに助け合って何とか生き延びる――2011年の東日本大震災でも今年の能登半島でも見られた姿が、訓練不足の子どもたちが大人になる数十年後でもみられるかどうか、私ははなはだ疑問に思っています。
 
 今年の1月2日、羽田空港で起こった「日航機・海保機衝突事故」では、日本航空516便の乗員乗客379人が衝突から18分、脱出開始からわずか12分で全員避難を完了しています。荷物を持ち出そうとして他の乗客に叱られた人はいたみたいですが、誰一人パニックになることなく、狭い脱出口から順番を守って降りたからできた偉業です。ニュースではだれも取り上げませんでしたが、幼稚園児のころから高校を終えるまで、年に4回も5回もやって来た避難訓練の成果であることは明らかです。
 行事の精選といってもさすがにそこまでは話に出てきませんが、「避難訓練も年3回程度でいいだろう」という話が出れば、3回を超えて2回になる日も見えてきます。
(しかしそれにしても衝突から6分間、キャビン・アテンダントたちが安全を確認して脱出口を選択するまでの長い時間を、乗客たちはよく耐えて待ったものです)
 
 コロナ禍以降、
「きちんと育てた道徳観ではなく、同調圧力によってやらされているならすぐにやめた方がいい」といった妙な倫理観を掲げ、私たちに同調圧力を加えてくる人が多くなってとてもやりにくいのですが、他人に親切にしたりやさしく対応できたりするのも、学校での訓練の賜物です。私たちは「人生に必要な知恵はすべて幼稚園と学校の砂場で学んできた」のです。
 それを余計な追加教育のために時間と教師のエネルギーを奪い、結局、英語もプログラミングもものにならず、何の役にも立たず、ただ、昔ながらの、そして現在日本を訪れる人々によって賞賛されるような日本人の美質を失わせて終わるようなら、実にもったいない話です。
(この稿、続く)

【予告】

 実は今日は昨日の続きで「高校の校長とは違って、義務教育の校長には行事を減らすことが非常に難しい理由がある」という話をするつもりでしたが、阿部文科大臣の談話もあって寄り道したまま時間になってしまいました。続きは月曜日にお話ししたいと思います。
 また通常は土日休みなのですが、明日は特別なことがあって残したい内容がありますので、書くことにします。とくに「光る君へ」ファン、もしくは「源氏物語ファン、もしくは紫式部ファン、あるいは歴史ファン方は特に見ていただけるとありがたいです。
(この稿、続く)