我が子が大谷翔平になることを誰も本気で考えないのに、
勉強のこととなると子どもの限界が見えなくなる。
「せめて旧帝、できれば東大、最低でも早・慶・上智」
これは努力だけで何とかなる話ではないのだ。
という話。(写真:フォトAC)
【せめて旧帝できれば東大、最低でも早・慶・上智】
大谷翔平選手の御両親が本を書いたという話はつとに聞きませんが、鈴木一郎(イチロー)選手のお父さんは書いています。しかも(私の調べたところでは)7冊も。確かにあの偉大な大リーガーがどのように育てられてきたかは興味深い話です。今からイチローではちょっと時代遅れの感がありますから、大谷選手のお父さんが本を書いたら私も読んでみましょう。しかしもちろん孫を大リーガーにしようとか、せめてプロ野球選手にしたいと考えてのことではありません。単純に好奇心を満たしたいためです。
さて、ここまで書いて、「せめてプロ野球選手にしたい」という部分――もちろんこれは冗談で小指の先ほども思っていないのですが、その点を強調しておかないと呆れられたりバカにされたり、逆に「そんな甘いモンジャ、ネーダロ!」と怒られたりする話かもしれません。プロ野球選手になることがいかに大変かは、多少の知識があれば普通は絶対に口にできない、それが普通の感覚です。ところがこと勉強となるとそれとそっくりなことが、親たちによって平気で口にされます。
「せめて旧帝(旧帝国大学)、できれば東大・京大、最低でも早・慶・上智」
分かっていないのです。現況に疎い親たちだから仕方ないという面もありますが、こうした思い違いは、実は子どもたちにもあるのです。
【地頭がよくなくちゃ東大にはいけない】
数年前、娘のシーナが高校時代を思い出して、こんな話をしたことがあります。
「私が高校時代に東大か医学部を受験したいといったとき、お父さんよく止めなかったよね」
答えは簡単です。
「『オマエにはムリだ』とか『受かるはずがない』とか言って親子関係を悪くするまでもなく、放っておいても遠からず諦めるに決まっていると思っていたから」
私は教科担任として教えた子も含めると4000人ほどの児童生徒と付き合ってきました、それを含めても、シーナはおそらく10本の指に入るくらいの努力家です。そして努力できる子にありがちな話ですが、どんなものでも努力で手に入ると思い込んでいる様子がありました。裏を返せば「努力したのに手に入らなかった」経験がほとんどなかったからから、努力することもできた、ということでしょう。
しかしそのシーナをしても、東大も京大も、そして日本中の医学部も、あの程度の能力では絶対に届かないと、私は知っていたのです。たくさんの子どもを見てきましたし、多くはその行く末も知っていたからです。ほどなくシーナは東大のことも医学部のことも言わなくなりました。
別の話をしましょう。
私は教員を十数年続けた後で大学院に内地留学し、そこで心理学の勉強をしました。そのときの担当教官のK教授には、息子さんと娘さんがひとりずついて、息子さんは東大、娘さんはお茶の水大学の学生でした。教授のおっしゃるには「二人ともオレがつくったK(実際には教授の名)式教育法で大学に入れた」のだそうです。どんな教育法なのかは、説明を受けたかどうかさえも覚えていないのですが、私のところに保育園に通う息子がいることを思い出すと、こんな提案をしてきたのです。
「Tさん(私のこと)。保育園の息子さん、いるよな。その子をオレに預けなよ。K式教育法で絶対に東大へ入れてやるから」
私は息子を東大に入れたいとも思っていませんでしたし、漠然とあの子は動物園か水族館の飼育係になるのではないかと思っていたので話半分に聞いていたのですが、得々と話す話がひと段落ついたとき、教授はふと思い出した感じで言ったのです。
「あ、でも知能指数が130以上なくちゃだめだよ」
ホラみなさい。
知能指数130は印象として大雑把に言えば、10歳の子どもが13歳の子ども、つまり小学校4年生が中1の生徒とムリなく一緒に勉強できるレベルのです。ウチの息子にそんな能力があるとは思えませんし、知能指数130以上の子ならK式でなくても、私のやり方で十分東大に入る可能性が見えてくると、そんなふうにも思ったものです。
何かムダな話を聞かされた気もしますが、何式教育法をやるかは別としても、東大に入るのに知能指数130が最低条件だということは勉強になりました。知能指数130以上の人の割合は人口の2.5%としかいません。その人たちだけが”候補生”になれる。東大はそのくらい難しいのです。
【私立が楽なわけではない】
早・慶・上智だって同じように難しい。
ビリギャル*1が慶応に入れたからといって、誰でも偏差値を40も上げて慶応に入れるわけではありません。主人公の小林さやかさんがそのころ通っていた愛知淑徳高校は愛知県における有数で中堅の中高一貫校で、昨年の大学合格実績を見ると旧帝大・一橋・東工大で10名、その他の国立大学38名、早慶上智ICUが38名、GMARCHと呼ばれる人気大が82名、関関同立159名という凄さで、ここでビリでも地頭はハンパじゃない。ビリで偏差値が最低であったとしても、普通の公立校ならトップクラスに入っています。
全国的にみると淑徳高校は進学校としてラサールや開成ほどに有名なわけではありません。だからとんでもない飛躍を遂げたように見えるだけで、「入学時ビリだったにもかかわらず、たった1年でトップクラスに上り、慶応に入った」という話がラサール高校や開成高校だったら、「あるよね」か「その程度?」で終わってしまう話です。
高校に入学した時点では1位合格者と最下位合格者の得点差など20~30点程度しかありません。もっと成績の良い子は他の高校へ行っていますし、低い子は来ていないからです。ですからビリが1年でトップになるなど、さほど大変なことではないのです。
*1:『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の主人公
【東大生の親たちは「金持ち」で括れるのではなく、「優秀」で括れる】
しかしそれにもかかわらず、私たちは「そこまで成績を上げるには何か秘策があるはずだ」という思い込みや願いをもって、ついつい成功者の話に耳を傾けてしまいます。私は子どもを3人とも東大医学部に合格させましただとか、アメリカの大学で賞をもらったとか、ブログなどをみると息子は東大で娘は医学生といった話がいくつもあって、そこも魔法の薬を求める人々で賑わっています。「子どもを医者にした家庭の共通点」みたいな他人にフンドシで儲けようという人もいます。
しかし誰も親の学歴や親戚の身分を問わない。
東京大学に関してしばしば話題になることとして、親たちの年収が平均よりはるかに高いという話があります。金がなければ受験戦争に勝てない、東大生は親たちが金持ちなので良い塾に通って東大に入ることができた、そんな神話の始まりです。しかし平均年収が高いのは事実でも、分析が誤っているのです。
親が頭が良くて高学歴なので収入の良い職業についていて、その頭の良さを受け継いでいるから子は東大に入れた――あるいは家族や親戚じゅうが高学歴で東大卒がウジャウジャいて、東大に入るのが当たり前だと思っていたから入れた、そう考える方がむしろ腑に落ちます。
私の知る例は多くはありませんが、我が子の東大生・医学生をネタに本を書いたり講演会で稼いでいる人たちは、みな高学歴か学歴を隠しています。「自分や配偶者が頭のいい人間だったから子どもたちも東大へ行けた」では、お金にならないからです。
この身もふたもない話、明日、ひっくり返します。
(この稿、次回最終)