カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「人間的な、あまりにも人間的な生成AIの物語」~生成AIとの付き合い方が分かってきた④

 ウソをつくというのは極めて人間的な行為だ。
 もしかしたらAIは、人をからかったり弄んだりといった点でも、
 人間に近づいたのかもしれない。
 そして人間らしく、過ちも犯すようになった――、
という話。(写真:フォトAC)

【優秀でない者の遇し方】

 息を吐くようにウソをつく生成AIにだまされないために、すべきことのひとつは「根拠を問う」ということです。大昔の「2ちゃんねる」でやった「ソースは?」とか「ソース、キボンヌ」というあれです。生成AIはインターネット上から情報を集めてそれを組み合わせて回答しますから、どこかに元ネタはあるはずです。それをそのまま報告させるわけです。
 
 考えてみれば2か月前、オンライン飲み会の席で徳島に住む友人のK君は、
「あまり優秀とは言えないが、真面目で頑張り屋の助手を雇っているようなものだ」
と言いました。「今のところ」と括弧をつけるべきかどうか分からないのですが、「あまり優秀とは言えない助手」に「平安貴族の数について書かれた資料をいくつか探して、読んで簡単にまとめて急いで報告しろ」と難しいことを言うからウソをつかれるのです。能力が低い相手なのだからそこまでは求めず、
「読んでまとめる仕事は私がするから、とりあえず重要そうな資料を集めて持ってきなさい」
と言えばいいのです。それが昨日の、
平安時代の貴族階級の人口について書かれたサイト記事を探し、10個程度、列挙せよ」
です。
 そしてChatGPTが導き出して来た回答が、以下でした。
ChatGPT:
以下は、平安時代の貴族階級の人口に関する情報が書かれたサイト記事の一覧です:

  1. 時雨の百人一首
  2. 「光る君へ」に学ぶ日本史 平安貴族は何人いたのか?
  3. 源氏物語【42】貴族という身分
  4.  平安貴族 - Wikipedia
  5.  平安貴族は何人いたのか?
  6. 平安貴族の出世システム「官位相当制」とは?
  7. 官職・位階|平安時代の官位制を大解説
  8. 紫式部道長の家の違いは?
  9. 平安貴族にもあった“格差社会”?
  10. 平安時代の貴族の暮らしはどうだった?

 昨日はそこで、「一応私の勝ちだが、ChatGPTも素直ではなかった」という形で文を切り上げました。しかしその先にも実は面倒なやり取りがあったのです。

【人間的な、あまりにも人間的な・・・】

 ChatGPTが拾い出してくれた10個のサイト。一応リンクが張ってあったのですが、クリックするとことごとくトップページへのリンクで、肝心の記事に出会うためには、さらにひと山もふた山も越えなくてはなりません。そこで改めてこんなふう依頼します。
あなた:
上記の記事について、リンクがトップページに行くようになっているが、記事へ直接行けるよう、リンクをつけ直してほしい。
 生成AIはたちどころに返事をします。 
ChatGPT:
申し訳ございません。以下は、平安時代の貴族階級の人口に関する情報が書かれた記事への直接リンクです。
 しかし直接リンクがついたのは4番のWikipediaだけで、残りの9個はトップページへのリンクまで外して、ないもできない形にして寄こしたのです。
 ほんとうに意地の悪い、ある種の人間に似て人間的な、あまりにも人間的なやり口です。

 リンクが外れたよ、と改めて言ってやることも考えましたが、フランス語で返事が返って来たりすると面倒なので、ChatGPTとの付き合いはそれでおしまいにすると決めました。というのは質問にいちいち「~について書かれたサイト記事を探し、10個程度、列挙せよ」みたいな書き方をしなくても、MicrosoftのCopilot(コパイロット)なら必ず参照サイトを示してくれるからです。そちらに乗り換えます。

【Copilotは万能か?】

 今週、生成AIについて改めて書こうと思ったのは、「ウソつきAI」に対しては繰り返し「ソースは?」と問うしかない、という話をしたかったことと、MicrosoftのCopilotが最初からそうしたことを考慮しているので使い勝手がいいですよ、と紹介をしたかったからです。したがって書き始めのときから、この文の「落ち」は決まっていました。以下が予定稿の最終部分です。

「しかしそれにしても、数字の入った都道府県名に「東京都」と「北海道」を上げてくるCopilotに安易に頼っていいものなのでしょうか? 私はあの時、参照サイトに気づかないままブラウザを閉じてしまいましたが、そこにはいったい何が書かれていたのでしょう?
 そこで私はCopilotに同じ質問をしてみることにしました。その問いと答えが、以下の通りです。
都道府県名に数字の入っている都道府県はどこか
Copilot が送信しました:
都道府県名に数字が含まれているのは以下の4つです:
三重県 - 「三」
千葉県 - 「千」
東京都 - 「京」
京都府 - 「京」12
他に知りたいことがあれば教えてくださいね! 
 驚いたことに今度は完璧でした。わずか2か月でこんなに成長したのでしょうか?  意地悪ChatGPTとはおさらばして、しばらくはCopilotとお付き合いをして行くつもりです」

 Copilotの答えの京都府のあとにある「1 2」は参照したサイト1とサイト2のリンクで、なかなか面白い記事に繋がっていました。ところがこれを読んだ時点で、参照サイトのURLをメモしてなくて、しかたないので昨夜は改めて同じ質問をして、参照サイトを見てみようとしました。ところがその結果は愕然とするものだったのです。

名前に数字の入る都道府県名をすべて上げよ
Copilot:
日本の都道府県名で名前に数字が入るものは以下の通りです:
三重県 (Mie)
四国 (Shikoku) - これは地域名ですが、四国地方には四つの県(徳島県香川県愛媛県高知県)があります。
他に質問があればどうぞ!
 答えのレベルが大きく下がり、前回はあった参照サイトへのリンクもなくなっています。
 質問の文言が多少違うから前回と違う結果になったのかと思い直して、前回と同じ文言で訊き直します。これでつごう4回目です。
都道府県名に数字の入っている都道府県はどこか
Copilot:
日本の都道府県名で数字が入っているのは 三重県 だけです。
他に知りたいことがあれば、どうぞお知らせください!
 2カ月前に「東京都」「北海道」と答えたときと同じぶっきらぼうな口調で、参照サイトもありません。そう言えば二か月前も、参照サイトはついていなかったのかもしれません。

 やはり生成AI、ロクなものではなさそうです。
(この稿、終了)

【付録】~それでもAIはウソをつく

平安時代の貴族階級の人口について書かれたサイト記事を探し、10個程度、列挙せよ」という私の指示でChatGPTが拾い出して来た10個のサイト、しかしそこには人数に関する記述のまったくないものも含まれていました(その意味ではここでもChatGPTはウソをついたことになります)。
 貴族の人数が書かれている場合も、その数は100人~(家族も合わせて)2万人と幅が広いというよりはメチャクチャ。貴族の数は1000人、平安京の人口は1200人といったものもあります(ただしこれは予想された当然の結果でAIが悪いわけではありません)
 そういった数値のばらつきはあるものの、記事自体はそれぞれに面白いものですから、各ページへのリンクをつけて掲載しておきます。平安貴族に興味のある方は読んでみてください。

  1. 時雨の百人一首
    時雨の百人一首→コラム→身分と官職
    平安時代の貴族は全人口の0.005%に満たないほどだったといわれています。」
  2. 「光る君へ」に学ぶ日本史 平安貴族は何人いたのか?
    日本史に学ぶ→ 「光る君へ」に学ぶ日本史 平安貴族は何人いたのか?
    「平安貴族は、約5千人だった。当時は位階を持つのはほとんどが男性であった。つまりこの約5千人というのは、ほとんどが成人男性である。
    そのため妻や子供の家族を含めた貴族階級というのは、四倍の約二万人だったと推察される」
  3. 【42】貴族という身分
    式部郷→源氏物語【42】貴族という身分
    平安時代の貴族は150人から200人ていどだったようです」
  4. 平安貴族 - Wikipedia 
    人数については出てこない
  5. 平安貴族は何人いたのか?
    Japaaan→平安貴族は何人いたのか?彼らの階級や人数を知ることで理解が深まる『光る君へ』のバックグラウンド 
    「平安貴族は何人いたのかというと、家族を入れて1000人ほどだったと見られています。ちなみに、当時の平安京の人口は1200人くらいでした」
  6. 平安貴族の出世システム「官位相当制」とは?
    草の実堂→平安貴族の出世システム「官位相当制」とは? わかりやすく解説 ~位階が低いと低収入
    数に関する言及ナシ
  7. 官職・位階|平安時代の官位制を大解説
    日本・史跡ナビ→官職・位階|平安時代の官位制を大解説!仕組みが分かれば古代史はさらにおもしろい
    数に関する言及ナシ
  8. 紫式部道長の家の違いは?
    日経BOOKPLUS→紫式部と道長の家の違いは? 平安貴族が奮闘した出世の「壁」
    「 公卿1に対し、四位・五位は40倍近くいました。つまり公卿が20人とすると諸大夫は800人近くいたという計算になります」
  9. 平安貴族にもあった“格差社会”?
    歴史人→平安貴族にもあった“格差社会”? 貴族間の差なぜ生まれた?
    「一・二・三位は上流で『上達部(かんだちめ)』呼ばれ約20人、四・五位は中流で『殿上人(てんじょうびと)』と呼ばれ約100人いた」
  10. 平安時代の貴族の暮らしはどうだった?
    Histonary→平安時代の貴族の暮らしはどうだった?服装は?食事は?貴族の生活を簡単に解説! 
    人数に関する記述はなし