カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「フワ雷同」~フワちゃん事件にみる人間関係の臨界点について

 芸人のやす子さんを中傷したのが原因で、
 タレントのフワちゃんが芸能活動を中止するとか・・・。
 しかしあの程度のことは、これまでもして来ただろう。
 今回に限って問題になったのは、それなりの理由があるのか?
という話。(写真:フォトAC)

【何があったのか】

 世の中には取るに足らないできごとが山ほどあって、そのいちいちに立ち止まる必要はないのですが、最近起こった「フワちゃん舌禍事件」(と名づけておきましょう)は、どうでもいいことなのに気持ちの隅に引っかかってとても気になりました。喉の奥に本当に小さな魚の骨がささって妙に気になる、そんな感じです。

 事件のいきさつはこうです。
 8月2日(今年2024年)、お笑い芸人のやす子さんがX(旧Twitter)に「生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」という投稿をしたところユーチューバーでタレントのフワちゃんが言及。「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と引用リポストし、ネット上で大きな反響を呼んだのが始まりです。端的に言えば炎上したのです。
 その直後、フワちゃんは問題の部分を削除し、「言っちゃいけないことを言って傷つけてしまった」と謝罪のコメントを投稿した上で、やす子さん本人にも直接謝罪しました。しかしそれでも炎上は収まらず、出演していた番組やCMからは降板に追い込まれ、現在のところは芸能活動の休止、復帰の予定なし、といった状況です。
 
 不躾でクソ生意気な小娘のことで、私には何の興味もないのですが、ただ何となく罪と罰の対応が悪い――やったことに対して「活動停止(実質的な追放)」はあまりにも重い気がするのです。言ったこと・やったことはいかにもこの子にはありそうなことで、これまでも何回も見逃されてきた――それどころか期待され、煽られてきた内容です。それが今回に限ってなぜこれほど重く扱われるのか、そこに違和感があったのです。

【誰に対して「死んでください」と言ったのか】

 このことを家族で帰省中の娘に聞くと、興味深い話をしてくれました。それは「やす子に『死んでください』はないよな」ということです。
 私は知らなかったのですが、やす子さんという人はとても苦労した方で、いわゆる毒親に育てられ、貧しさの中でひどい仕打ちにあい続けたために、中学校3年生のときに自ら児童養護施設に進んだという過去を持っているのです。家庭生活が不遇なら高校生活も上手く行かず、仲間外れにされてトイレで昼食を食べたこともあったといいますです。
 ネット市民には自らの経験をやす子さんに重ね合わせる人も多く、多くの人々がやす子さんに心寄せる状況がそもそもあったのです。そこに火種を投げ込むからあっという間に炎上したのだと、そんな説明でした。

 ある番組では元衆議院議員杉村太蔵さんが「これ(死んでくださいと言われた対象が)僕だったらたぶん、フワちゃん、謹慎しない」と言い、周囲から「そんなことはない」とたしなめられた*1みたいな話がありますが、私も同じ考えです。正義は普遍的なものですが、現実問題として「この人には言っていいこともあの人に言ってはいけない」ということはいくらでもあることです。
「人間に対して『死んでください』は絶対に言ってはいけない言葉だ」
 それが原則でも、流れや雰囲気の中で許されている場面は必ずあり、逆にどんな場面であっても絶対に許されない相手もいるのです。
 現在のやす子さんは後者でしょう。もちろん何十年も経てば状況は変わりますが、まだまだ話が生々しすぎます。
*1:杉村太蔵さん、フワちゃん騒動に「これ、僕に言っていたらたぶん、彼女は謹慎しない」と言及するも出演者らが一斉にツッコミ:中日スポーツ・東京中日スポーツ

 【誰が「死んでください」と言ったのか】

 言ったのはタレントのフワちゃんです。しかしどの時点のフワちゃんかという問題は残ります。タレントはナマ物ですから、新鮮でピチピチと面白かった時期のフワちゃんは何をやっても許されるのです。それが、時が過ぎて新鮮さが失われ、面白みが消えて鬱陶しさだけが残っていたとしたら、これまで通っていたものも通らなくなります。
 賞味期限が過ぎてそろそろ捨てなければならなくなったときは、本人が自らを調理して新たな味として提供しなければ、静かに忘れ去られるか一気に捨てられます。

 フワちゃんの場合は人々から時期が待たれていたのかもしれません。
 事態がこうなると、昔は世に出なかったことが次々と出てきます。「すっかり天狗になっている」「あからさまな『上から目線』でこちらを見る」「人を選らぶ。自分より立場が低いとみると挨拶もしない」・・・。
 芸能界の事情にまったく疎い私にとっても「今さらそれを言う?」みたいな話ですが、「目障りだからいなくなって欲しい」と思っていた人たちが、ここぞとばかりに叩いているようなのです。まさに「フワ雷同」。
 要するにタレントとしてのフワちゃんは自らの賞味期限を見誤っていた。変わろうとしなかった。だから刺されるのです。

 

【社会の壁】

 「社会の壁」という言葉がありますが、あれはコンクリートのような固い材質でできたものではありません。表面はゼリーのようにぷよぷよと柔らかく、押せばいくらでも中に入り込んでしまいそうな感じで、実際に相当深く押し込んでもかなり許容性があるように見えます。しかしそれを《受け入れられている》《すべて許されている》などと勘違いするととんでもないことになります。
 ある臨界点を越えると、それは信じられないほどのすさまじい弾力性をもって壁の外へ弾き返してしまうか、恐ろしい吸引力をもって内部に取り込んでしまいます。
 フワちゃんの落ちた罠はそれです。あの生意気な態度、上を上とも思わない傲慢さは、それがたとえ演技だったとして長く許されるようなものではなかったのです。許され、煽られているように見えたのは、それが面白く、また金を生み出してくれたからで、賞味期限が過ぎれば捨てられるのは当たり前です。
 
 世間的には親友だと思われている元HKT48指原莉乃さんはかつてフワちゃんについて、こんなふうに語ったと言われています。
「絶妙なラインで生きている子だなって思った(笑)。英語を話せたり、気を使えたりと常識もあるんだけど、本質的にどこか欠けている部分があるから、いつか大炎上して終わると思う!」
 今回のできごとを予言したようだと言われていますが、「本質的にどこか欠けている部分があるから」という一言、若いのに慧眼と言うしかありません。しかし分かっていたなら、もう少し寄り添ってやればよかったのにと思うのは、私が実情を知らないからだけなのかもしれません。