79回目の終戦記念日がやって来た。
あの時代はあまりに多くの命が失われたが、
彼らが守ろうとしたこの国は、今の姿でいいのだろうか?
それでも何とかやっているよと、誇りたい気持ちが、私には、ある。
という話。(写真:フォトAC)
【戦没者310万人の重み】
終戦から79年を迎えた15日、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われました。
戦没者310万人の内訳は次の通りです。
[軍人・軍属]
国内で亡くなった人 20万人
海外で亡くなった人 210万人
計 230万人
[民間人]
国内で亡くなった人 50万人
海外で亡くなった人 30万人
計 80万人
[特に死者が多かった戦闘]
東京大空襲 10万人
広島原爆投下 14万人
長崎原爆投下 7万4千人
沖縄戦 9万4千人
【亡くなった人たちの数を思い浮かべるための物差し】
これはおそらく不謹慎な比較だと思うのですが、2022年2月24日のロシア軍侵攻から今日まで、2年半に渡って戦われているウクライナ戦争での民間人の死者が、2424年2月15日の時点で3万457人にのぼると報告されています。同じ時期に亡くなったウクライナ兵もほぼ同数の3万1千人と言われていますから、合わせて6万1千人以上が亡くなったことになります。
もうひとつ現在進行形の大きな紛争のひとつ、昨年10月27日から始まったイスラエルによるガザ地区侵攻で、亡くなったパレスチナ人の数は3万5000人以上に達していると言われています*1。
第二次世界大戦で亡くなった日本人に比べたら、ウクライナやガザで亡くなった人の数はとても少ないと言いたいのではありません。逆です。6万人、3万人といった数は、80万人、230万人といった数に比べたらずっと想像しやすく、具体的に感じることができるということです。
例えば人口6万人前後の都市と言えば、山形県天童市(60,933人)、宮城県栗原市(60,69人)、石川県加賀市(60,425人)などが挙げられますし、人口が3万人前後となると、「市」とともに「町」も出てきて、福岡県朝倉郡筑前町(30,041人)や愛媛県八幡浜市(30,033人)、埼玉県児玉郡上里町(30,003人)などを列挙することができます。どれもその都市にお住まいか近隣の方でないと知らない自治体ですが、すべての都道府県に同じ程度の市町村はりますから、調べて思い浮かべてみるといいでしょう。それだけの数の人々がウクライナやガザ地区で亡くなっていて、その50倍か100倍の日本人が先の大戦で亡くなったのです。
(参照:全国1741市区町村の人口ランキング・面積ランキング・人口密度ランキング)
あるいは、私はよく分からないのですが、一般に大きさを想起させるとき道具として使われる東京ドームだの日本武道館だのの収容人数を並べると、次のようになります。
東京ドーム:野球観戦時最大で43,500人、コンサートで55,000人
甲子園球場:47,508人
国立競技場:80,000人
日本武道館:14,471人
【戦争で亡くなった方たちへ。今のこの国で良かったでしょうか?】
戦場で亡くなった兵士の大部分は10代~30代前半の若者でした。恋人もなく家庭も持つこともなく死んでいった者もいれば、若い妻や幼い子どもを残して亡くなった人たちもいます。彼らの無念、残された者の無念を思うと、80年近くたった今でも、やはり心は痛みます。
戦争の時代に私はまだ生まれてさえいませんでしたが、生き残った者たちの仲間として、戦没者に対して不思議な負い目を感じています。そして毎年8月15日になると、こんなふうに問いたくなるのです。
「あなたたちが命を懸けて守ろうとした国家や国民は、今こんなふうになっている。これで良かったでしょうか? 及第点はいただけるでしょうか――」
正直言って、ぎりぎりかもしれませんが私は及第点がもらえるような気がしています。足らないところも山ほどありますが、私たちは頑張ってきましたし、いまもなかなかうまくやっているからです。
今も足らない部分は、これからも一生懸命に補っていくだけのことです。
*1:この日の夜のニュースで死者4万人を越えたという報道がありました。