カイト・カフェ

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「日本の学校にプールをつくらせたふたつの事件」~学校から水泳指導がなくなる②

 何と言っても日本は世界トップクラスを誇る教育大国だ。
 ほとんどの学校にプールがあって水泳指導が充実している、
 それだけでも世界を圧倒しているが、
 施設の充実にはそれなりの理由があった。
という話。(画像:フォトAC)

ネバーランドの教育】

 日本の教育は間違っている、日本の教育は世界に後れをとっている、といった話が出るたびに私は、
「よく分からなけどそれはその通りだとして、では日本はいったいどこの国の教育を見習ったらいいのだ? どこの教育制度を目標としたり手本として今後の教育を考えたらいいのだろう?」
と訊くことにしています。私のこの問いに明確な国名や都市名をあげて答えた人はいません。少なくとも私の声の届く範囲にいる人たちはそうです。

 アメリカの学校のように自由で闊達な雰囲気をもち、イギリスのパブリックスクールのような気品と知性を漂わせ、ブータンの子どものような輝く瞳と、上海の子どもたちのような高い学力、それらをドイツのような半日学校で実現する、それがベストだ――などと言ってはいけません。そんなパッチワークのような都合のよい教育はネバーランドにしか存在しないのです。どこの国でも教育は最重要課題でありながら、いまだに満点の答えが見つけられないまま、苦労を重ねているのです。

【それでも日本の教育は優れている】

 ただ、その中にあって、日本はかなり優れた教育制度をもっていると私は信じています。日本の特別活動をエジプトが真似しようとしているという話は以前、ここでも取り上げました*1が、
美術や音楽が必修であったり、技術家庭科という生活に密着した教科があったりすることも、他国にほとんど例のない日本の教育のすばらしさだと私は思っています。
 日本の子どもは針と糸を渡せば、男の子だってボタンのつけ直しくらい簡単にやってしまいます。コロナ禍の初期、絶望的なマスク不足に際して、一部の人々はミシンを購入して布製のマスクを自作し始めました。それも技術家庭科で経験しているからできることで、経験がなければまず「やってみよう」という気にならないものです。

 以前は日本の理科室が注目され、海外の教育視察団が絶えなかった時期もありました。ちょっとした研究室並の道具を揃え、年がら年じゅう実験を繰り返して体験的に科学を学ばせる国も、日本を除いてあまりないと聞いています。
 行事が多すぎると嘆く現場の先生の声も聴きますが、役割分担だとか責任を果たすとか、協力するとか人を信頼して任せるとかは、みんな学校行事を通じてつけてきた力です。学校がそうした教育を放棄しても、何十年後かの日本人は相変わらず公共の場の美化に心を配り、危機に際しても整然と対処できると信じるのは、愚かなことです。人は学んで練習しなければ、正しいこと、きちんとしたことを実行できないのです。
 日本の学校には、強くたくましく、そして正しく優しい日本人を育てる仕組みが山ほどあります。それこそが考えられる最高の教育で、私たちが諸外国に目標や手本を見つけられないのは、我が国が先頭に立っていて、他の国から目標とされ手本とされる国だからです。もちろん問題も山ほどありますが、それでも私たちの前には、とりあえずあそこを目指して行けば大丈夫といった手本も見本もないのです。足元を固めるしかありません。
 さて、その上でのプールの話です。

【日本の学校にプールをつくらせたふたつの事件】

 日本の学校におけるプールの設置率は小学校で87.8%、中学校でも72.2%にも及び、世界に例を見ないほど突出していると言われています。例えばアメリカや中国などの国ではプールどころか水泳の授業もない学校がほとんどです。
 なぜこれほどのプールがあるのかというと、1955年に起こった二つの水難事故が引き金となって、日本じゅうで狂ったようにプール建設が急がれ、水泳の授業が充実したからだと言います。
 
 ひとつは1955年5月11日に起こった「紫雲丸事件」。瀬戸内海を航行する鉄道連絡船の「紫雲丸」と大型貨車運航船「第三宇高丸」が衝突して「紫雲丸」が沈没。修学旅行の児童生徒100名を含む168名が亡くなった事故です。2014年に起こった韓国のセウォル号沈没事故と同じように、子どもたちの命が一挙に失われたことにより、社会に衝撃を与えました。
 もうひとつは同じ年の7月28日、三重県津市の市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市内河原海岸で水泳訓練中に溺死した「橋北中学校水難事件」です。こちらの方は生存者の一人が「海の底からたくさんの女性がひっぱりに来た」と証言しているように、猟奇的で謎の多い事故でした。おそらくパニックが一瞬のうちに広がったというだけの事故でしたが、日本中を震撼させるに十分な力はあったようです。日常的に水練をしていないと、いざという時に役に立たないのです。
 この二つの事件を通して、四方を海に囲まれた日本では子どもに泳ぎ方を学ばせることは重要な課題であり、それは海や川での水泳訓練といった特別な形ではなく、できるだけ学校に近い安全な場所で、日常的に練習することによって達成されるべきだという考え方が広まって行ったのです。

【学校にプールがなく水泳を学ばない国】

 最近韓国では池に浮かべた長い浮橋を、沈まないように一気に駆け抜けるゲームが流行っているようで、YoutubeTikTokの動画でよく紹介されています。
 先日そのひとつを見ていたら、お腹の少し突き出た30代くらいの男性が失敗して池に落ち、最初は何をしているのかよく分からなかったのですが、両手で何回か水面を叩きながら沈んで行き、やがて姿が見えなくなってしまいました。溺れたのです。誰も助けに行く様子がなかったのは、皆、溺れていることに気がつかなかったのか、気づいても助けに行くことができなかった(泳げないから)かもしれません。
 学校にプールがなく水泳を学ばない国(ということは韓国に限らず、日本以外の国)ではこういうことも起こるのです。どこかに全く泳げない人が出て来る。