夏休み中のほぼ毎日、学校のプールが開放され、
当番の保護者が子どもを引率してくる時代があった。
それが大方の保護者の利益でもあった時代だ。
しかし社会は変わり、そして誰もいなくなった。
という話。(画像:スタジオジブリより*1)
【学校のプール開放の縮小は今に始まったことではない】
先週金曜日、夏休み中にプールを開放する学校が少なくなっているという朝日新聞の記事*2をネタに、
「夏休み中の学校のプール開放がなくなりつつある。それは学校からプールという施設自体がなくなってしまう前兆である。かつて水泳指導は学校の最重要指導項目のひとつだったが、いまやキャリアパスポートや道徳所見のために諦めざるを得ないのだ」
という内容のお話をしました。教師たちが気乗りしない、あるいはない方がいいと思っている仕事がたくさん手つかずのままなの、それぞれが重要だと思っている仕事ばかりが削られようとしている、だから教師の働き方改革は進まないという話です。
もっともそれはこれまで何度も繰り返してきた話題で、先週の場合は新聞記事を引用すると直に、
「ただし学校のプール開放の縮小は今に始まったことではありません」
と続けて、昭和時代の水泳指導事情、特に夏休みのプール開放について紹介しようとしたのです。ところが思いのほかの長文なってしまい、書きかけの話は全部今週に回すことにして、いつもの話を1日分として余談のように書いたのでした。週が改まったので、本来、出そうと思っていた内容を出します。予定の通りの出だしで――。
「ただし学校のプール開放の縮小は今に始まったことではありません――」
【プール開放で保護者が助かった時代】
かつて昭和の真夏、日中、薄いワンピースに日傘をさし、サンダルシューズを履いた女性が、学年の異なる小学生の集団を率いて、学校へ向かう姿がたびたび見かけられました。それはひとつの風物詩のようなもので、私の記憶の中ではモネの「日傘をさす女」のような姿ですが、そんなにたおやかなものでもなかったでしょう。
女性は地域の母親で、PTAが作成した当番表に従って子どもたちを集め、人数とプールカードを確認してから学校まで引率し、遊泳中は子どもの安全を監視し、終わると再び人数とカードを確認して地域まで連れ帰る、それが毎日毎日、交代で繰り返されたのです。
元気で賑やかなお母さんもいましたが、たいていは不機嫌で、ブスッと黙って歩き、ブスッと静かに監視します。それはそうでしょう。クソ暑い日差しの中を、汗で化粧を崩しながら学校まで歩き、冷たい水の中ではしゃぐ子どもを尻目に汗をしたたり落とし、ときどき意識が遠のいて、これで監視が行き届くのか、安全を計る私の方がプールに倒れこんで溺れてしまうのではないかと、そんな仕事が楽しいわけがありません。
しかし保護者は、夏休み中のプール開放がなければ幸せという訳にも行きません。昭和の母親は多くが自営だったり農家だったり専業主婦だったりで、けっこう多くが日中を家で過ごしていました。そこに夏休みの子どもが居続けるわけですから気が休まらない。
朝食を片付けたところから昼食のことを考え考え始め、洗濯の傍ら子どもたちの勉強の様子を覗う。覗うだけならいいのですがたいていは怒ってばかりで、それもストレスになります。
子どもだけで外で遊ばせることには限界がありますし、家に閉じ込めておけば果てしなくうるさい。街に連れ出せばお金もかかるし時間もかかる。そもそもよほど暇な専業主婦でもない限り、1日じゅう子どもの相手をしている余裕は、時間的にも精神的にもありません。
学校がプールを開放し、地域の母親が当番で連れ出してくれるなら、往復を含めて都合2時間の静かな時間が生れます。さらにプールで遊び疲れていつもはしない昼寝でもしてくれたら午後も静かな時間が持てる――。
かくしてお盆の期間を除くほとんどを、子どもはプールと外遊びと昼寝と、ほんの申し訳ばかりの勉強で過ごしたのです。親からすればひと夏に1~2回のプール当番をやるだけで、残りの日々をどこかのお母さんのおかげで心安らかに過ごせるわけですから悪くない話です。
夏休み中はプール開放の外に、ラジオ体操や花火大会、さらに夏祭りの子ども神輿といったいつの間にか地区からPTAに移されてしまった行事への参加など、保護者・PTA役員がやらなくてはならない仕事はけっこうたくさんありました。しかし子どもの面倒を見てもらえるといった側面もあったので、さほどの負担とも思わず、けっこう長く続いていたのです。
ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」には、お盆で友だちがみんな田舎へ行ってしまったので小学生が二人きりでラジオ体操をする場面がありました。あんな調子でラジオ体操もプール開放もほぼ毎日行われていたのです。
【親の生活が変わり、子の生活も変わった】
様子が変わったのは平成不況からです。女性の社会進出が進み――というよりは主婦も働かなければ平均的な生活のできない時代になって供働きが増えると、ラジオ体操だのプール当番だのは次第に重荷になってきます。
それでもラジオ体操は朝6時25分からなので何とかなりますが、半日がかりプール当番はそうはいきません。とりあえず「学期中は子どもだけで登校しているのに、夏休み中だと保護者の引率が必要だというのは不合理だ」ということで、当番仕事は遊泳監視だけになり、現地(学校プール)集合が一般的になりました。さらに毎年のように日数が削られ、かつては夏休み中はほぼ毎日だったのがお盆前だけになり、やがて7月いっぱいだけとなって今や終わりを告げようとしています。ラジオ体操もそれに準じて、夏休みの最初の一週だけになり、それもなくなる傾向にあります。
親の生活が変わったように、子どもたちの遊び方も変わり、特にテレビゲームが出現してスマホやゲーム機を使ってのオンラインゲームが中心の時代になると、水泳どころか家から出ることすら億劫になってきます。エアコンも普及して子どもたちは昔のように「家でじっとしているなんて大嫌い」ではなく、「外に出るのは大嫌い」という子が増えてきます。一部の子は日焼け止めクリームを塗って日傘を持たなければ外に出られない時代ですから、家の中でのゲーム三昧がいいに決まっています。親も、子どもが家にいてしかもうるさくなければ、その方がむしろ安心です。
保護者の負担軽減ということで縮小気味だった夏休みの宿題も、近頃は教師の負担軽減(働き方改革)ということで、まったくなくしてしまう学校も出てきました。*3子どもたちには天国のような毎日です。
【ウィン、ウィン、ウィン。そして、誰もいなくなった】
安全に、しかも子どもに静かにしていてほしい保護者と、エアコンの効いた涼しい部屋でゲームをしたり動画を見ていたりしたい子どもの間に、こうしてウィンウィンの関係が生れ、かつては毎日数百人も集まった学校にプール開放に1日十数人しか来ないといった日が続きます。
準備をして指導をして片付けまでする教師にとっては、張り合いのない話です。おまけに昨今は水道の締め忘れで教員個人の責任が問われる事案が続いています。教師もやりたくない。
こうして夏休み中のプール開放は縮小し、開放日のなくなる傾向は加速します。
(この稿、続く)
*1:サイトに「画像は常識の範囲でご自由にお使いください」の但し書きがあります。
*2:「夏休みの水泳指導、取りやめ相次ぐ理由 子の泳力に影響、懸念の声も」(2024.08.01)
*3:しかし宿題廃止の主因は、相変わらず保護者からの学校・教委に対する強い要請です。