一部のメダリストたちの名前が変だ。
その子の親たちは、最初から自分の子を、
コスモポリタンに育てる気だったのだろうか?
頭の固い私には頭の痛い問題である。
という話。(写真:フォトAC)
【競技歴3年目の世界頂点】
28日に開催されたパリオリンピック、スケートボードの「女子ストリート」は日本勢のワン・ツー・フィニッシュで終わりました。吉沢選手金メダル、赤間選手は銀メダルですが、前半は東京オリンピック銅メダルの中山選手が5位につけていたので表彰台独占の期待も高まっていたらしいのですが、残念ながらそこまではうまくいきませんでした。しかし中山選手の最終7位も立派な成績です。まずはおめでとうございます。
さて、そう言いながらも、この14歳と15歳のメダリストに対して、私は何かすっきりしないものを感じています。それはひとつには、スケートボードという競技の特性なのかもしれませんが、世界の頂点に立つために注ぎ込んできた年季があまりにも短いという感じです。
Wikipediaによると吉沢選手の場合は、
『 7歳のとき、兄の影響でスケートボードを始めるが、あくまで本人は遊びという感覚であり、両親も「子どもの習いごと」という認識だった』
ちょっと待て、それってたった7年前のできごとだろう?
『2021年、東京五輪のスケートボード競技で、西矢椛が見せた「ビッグスピンボード」という技が、普段自分が公園で行っている技と同じものであることに気づき、自分の競技レベルを確かめたいという観点から大会に出場するようになる』
って、東京五輪の頂点で行われていたこと普段自分が公園で行っている技が同じってことか? もしかしたらこの子、競技歴3年未満か? ――ということです。
そう言えば文中に出てくる西矢椛(もみじ)。「13歳、真夏の大冒険!」で勇名を馳せた2020東京オリンピックの金メダリストですが、この子も本格的に練習を始めたのは小学校1年生の時ですから、わずか6年の経験で世界の頂点に立ったわけです。
私のようなジジイは(ジジイでなくても教師は)「苦節10年(それだって短い)」みたいな話が大好きですので、本格的に競技を始めてわずか3年でトップ・オブ・ザ・トップになられては困るのです。世の中はそれくらい簡単にできていると、子どもたちが誤解しないかと怖いのです。
1992年のバルセロナ・オリンピック競泳女子200メートル平泳ぎの覇者、14歳の岩崎恭子はマイクを向けられて、
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
と語って周囲をあきれさせましたが、2024年のスケートボードでも同じことが起きています。
要するに「天才は別格」とか「特別な世界のできごと」といった類の話なのですが――。
【キラキラネームがキラキラメダルを引き寄せる?】
もうひとつの素直になれない理由は、このメダリストたちの名前です。
吉沢恋と赤間凛音。それぞれ「よしざわ・ここ」と「あかま・りず」と読むのだそうです。しかし「恋」「凛音」は一般的には「《れん》または《こい》」「《りんね》または《りおん》」でしょう。
テレビに映った現地の順位表をみると、
- YOSHIZAWA Coco
- AKAMA Liz
と、ふたりとも完全に外国人名前です。凛音選手の場合は、
「世界中に親しみが持たれ通用するように、エリザベス女王も使った愛称のリズとした」
のだそうですが、恋選手の場合は、
「これからも家族一緒に生きていきたいという思いから、『心』の字が入った名前をつけてもらいました」(日刊スポーツ)
とかで、「世界に通用する」とか「ココ・シャネル」を意識したとかいったふうではないようです。
それにしても思い起こせば東京大会の覇者の西谷は椛(もみじ)、今回7位の中山は楓奈(ふうな)。どれもこれも一筋縄ではいかないキラキラネームばかりです。
教員社会ではひところ、
『「キラキラ・ネーム」なんぞつける親はロクなものじゃない、つけられた子どもの方もたいていの場合はロクなものじゃない』
がいわば定説だったのですが、それもオリンピックのメダリストになられてしまうと「グウの音も出ない」ところです。
もちろんキラキラネームをつければオリンピアンになれるというものでもありませんから放っておいてもいいような問題ですが、私の硬い頭の中の常識が覆される事件ですので、少し参っています。