カイト・カフェ

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「欠席確認の怠り、私にも経験がある」~なぜあの子は車内で死ななければならなかったのか①

 父親の些細な勘違いから2歳の女の子が死んだ。
 しかし保育園が一本の確認電話を入れるだけで起こらなかった事故だ。
 なぜその程度のことができなかったのか。
 ところが私自身にも同じ経験が、しかも二度もあるのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【欠席確認の怠り。私にも経験がある】

 大阪の岸和田で2歳の娘を保育園に預けたと思い込んだ父親が、9時間に渡って車内に放置、熱中症で死なせてしまうという事件がありました。一義的に責められるべきは父親で、ご自身も繰り返し自責の念に苦しめられていると思いますが、ここに来て、子どもの登園していないことを確認しなかった保育園の責任についても、問う報道が目立つようになっています。
 いうまでもなく欠席確認ができていたら事故は起きなかったわけで、刑事的な責任はないにしても、道義的責任は問われるべきでしょう。考えてみれば昨年から今年にかけて、いく度となく繰り返された園バスやスクールバスの置き去り事故も、最後の砦の担任が確認したかどうかで子どもの生死が分かれたともいえます(例えば牧之原市認定こども園広島市の特別支援学校の違い)。
 園や保育士、学校や教師は何をしているのだといった類の話ですが、実は私も教員時代の初期、2度も連絡を怠ってたいへんな目に遭いかけたので悪く言えません。

【ケース1】

 1度目は中学2年生の担任だった2学期初日のことでした。生徒も中学校2年目なら私も教員歴2年目、しかも夏休み明けで気が緩み切っていたのかもしれません。
 担任するクラスに入って朝の挨拶をし、教室を見回すと一名足りない。
「◯◯はどうした?」
と聞いても答える生徒がいないので後で確認することにして、ひとこと担任としての話をし、提出物を出させて、そうこうしているうちに始業式の時間になってしまったので生徒を廊下に出して整列させ、その足で職員室に行って確認の電話をすればよかったのが、当時担任していたのがなかなか目の離せないクラスだったのでそのまま一緒に体育館に入場して、そしておそらくそのあたりから、生徒の不在を忘れてしまった――。
 
 中学校の担任というのは1日の大半を他のクラスの授業をして過ごすものです。いったん自分の教室を離れるとなかなか戻って来られない。いまとなっては思い出せないのですが、給食の時間はおそらく食べるのと日記を読んでひとこと添えるのとの同時進行で、生徒の方はまったく見ていなかったのかもしれません。帰りの会になってようやく落ち着いて教室を見回したら、当たり前ですがやはりあの生徒がいない。それでそそくさと生徒たちを部活に送り出し、職員室に走って電話をしたのです。
 電話口には直接本人が出て、
「おい、今日はどうした?」
と訊くと、
「エーッ! 夏休みって今日までじゃなかったんですかぁ?」
 現在なら大問題となるところかもしれませんが、子も親も恥ずかしかったのか、その後なにも言ってきませんでした。

【ケース2】

 2回目の失敗はそれから4年後くらいのこと。病弱で、いまから考えると不登校の傾向もある男子生徒の例です。体もちいさく、ちょっと見で小学校4年生くらいにしか思えない子でした。
 たびたびというか、それ以上に欠席が多く、本人はもちろん親も私も欠席慣れしてしまって、確認を怠る傾向はかなり前から続いていたのかもしれません。
 親が連絡を怠ると私も確認の電話を入れなくてはならないのですが、両親共稼ぎで電話に出るのはいつも祖父母。それも農業従事者ですので午前中は家を空けることも多く、なかなか出てくれない。午後改めて電話をするとおばあさんあたりが本当に済まなそうに詫びの言葉を並べる。電話口で100回くらい頭を下げる様子が目に見えるようでした。
 それが嫌で私も電話をかけるのを面倒がるようになる。やがて「午前中に何回かかけてもダメだったのだから言い訳にはなるな」が「午前中かけたことにすればそれでいい」に代わり、いつしかかけたりかけなかったりということになっていたのです。
 
 その日は1時間目の授業が私の教科だったので、だらしなく朝の会を延長してそのまま授業に入り、1時間目が終わったら電話しようと思っていたのが授業の終わり近く、突然ドアをノックする音がして教頭先生が顔を出しました。ちょっとちょっとと言って廊下に呼び出し、
「いま鉄道警察から電話があって、◯◯くんを保護してるって・・・」
 いまで言うプチ家出でした。
 あとから聞けば最寄りの無人駅から乗った生徒が、車内で乗車券を買うのに1万円札を出したので、それを怪しんだ車掌が鉄道警察の連絡してくださったそうです。本人はただ当てもなく遠くに行きたかったようです。これも保護者が学校に謝りに来て事なきを得ました。いまならこちらが記者会見で謝らなくてはならない話かもしれません。

 ちなみにその時生徒が持っていたお金は、前日、家から持ち出した昭和天皇在位60周年記念金貨を、銀行で換金したものでした。10万円金貨を換金しに来た、小学生にしか見えない子にすんなり現金を渡した銀行も考えものだとも思いました。

【1年間、のべ8000人に責任を持つ】

 いずれも30年以上前の話ですでに時効になっていると思います。しかしいまなら許されないでしょう。特に二番目の例で、生徒が行った先で自殺でもしようものなら、親は絶対に許してくれません。それまでのいきさつを無視して責められても、仕方ないことです。

 私のように手ひどい失敗をすれば二度とそのようなことが起こらないよう努力することもできますが、40人の生徒の200日に責任を持つ、1年間でも延べ8000人の子どもに気を配るわけですから容易なことではないのです。

(この稿、続く)