歴史は繰り返さないが、歴史の風景はしばしば似てくる。
2022年のロシアの姿は、1905年のロシアに似ている。
現代のツァーリ(皇帝)の運命は、
帝政ロシア最後のツァーリと同じかもしれないのだ。
という話。(写真:フォトAC)
【3月3日、ウクライナにとって意味のある日】
今日、3月3日はブレスト・リトフスク条約の結ばれた日です(1918年)。これは前年の11月に成立したばかりのロシア・ソビエト政権が、同盟国のドイツ、オーストリアなどに対して、第一次世界大戦から離脱することを決めた条約です。政権樹立以来ずっと係争の絶えなかった周辺地域からも手を引くことを意味します。
そこで独立を取り戻した国のひとつがウクライナでした。ウクライナが同盟軍の後押しを得て、ソビエトからキエフを奪い返したのはその直前です。
ただしその年のうちにドイツ・オーストリアが第一次世界大戦に敗れると、再びソビエトとの間で戦争(第二ウクライナ・ソビエト戦争)がはじまり、4年後の1922年にウクライナはソビエト連邦の一員に編入されます。その状況は1991年のソビエト連邦崩壊まで続きました。
歴史は繰り返すと言います。必ずしも同じことが起こるわけではありませんが、風景は似て見えるかもしれません。ウクライナは西ヨーロッパとロシアのはざまで、ピンポン玉のように弄ばれてきた歴史を持つのです。
もしかしたら2022年3月の今の状況は1918年に似て、ウクライナは結局ロシアに飲み込まれてしまうのかもしれません。しかし似た風景は別のところにもあります。それはさらに十数年遡った1905年ごろの風景で、そこには別の状況がありました。
【日露戦争=第0次世界大戦】
日露戦争(1904~1905)は大日本帝国とロシア帝国の間で、およそ1年半に渡って戦われた戦争です。しかしその背後では世界の大国の利害が複雑に絡み、それぞれが国益を確保するための暗躍を重ねたために、これを第0次世界大戦と呼ぶ人がいるくらいです。
《ロシア》
ロシアはこの時期、海への出口を求めていました。自らが所有する港湾はほとんどが冬になると全面結氷するため、年間を通じて貿易をしたり海軍を動かしたりするための不凍港が是非とも必要だったのです。中国のリャオトン半島や朝鮮半島の港湾は、最も有望な港のひとつでした。それがロシアの戦争を行う理由です。
《日本》
日本にとっては、中国東北部から南下してくるロシアに対して半島の権益を守るための戦いであり、日清戦争後の三国干渉によって返還せざるを得なかったリャオトン半島を再び奪い返すとともに、大陸進出の足掛かりをつくるための戦争です。日清以来の積年の恨みは晴らさなくてはなりません。日露の衝突は必至でした。
《イギリス》
当時最大の大国イギリスは、ロシアが不凍港を求めて西ヨーロッパに進出してくることを警戒していました。日本とロシアが大陸の東で睨み合うことは、西での緊張が緩むことに繋がりますから日露対立は国益にかないます。そこで日英同盟を結び、日本を最大限に援助します。有名なロシアのバルチック艦隊がスエズ運河を通れず、アフリカの外側を回るとともに、いたるところで補給を断られたのもイギリスの差し金でした。
《ドイツ・フランス》
一方、三国干渉でともに行動したドイツ・フランスはロシアに同情的でした。ロシアが日本と対立している間は、ヨーロッパは安泰だという思いがあるので、イギリスに対抗するかのようにロシアに肩入れします。当然ロシアが勝つに決まっていますから、資金をつぎ込んでも回収は容易です。
日露ともに戦費の多くを国債によって外国から賄おうとしましたが、日本が英米で多くを調達したのに対し、ロシアが独仏の資本に頼ったのにはそうした事情があったからです。
【勝ち馬に乗ろうとする国々、ロシアの足を引っ張る国】
開戦当初、“当然負けるだろう”と思われた日本は資金の調達に苦労しますが、緒戦で連勝すると事情は変わって行き、日本国債は予想外の好条件でどんどん売れるようになります。一方、いつか盛り返すだろうと思われたロシアがズルズルと後退すると、フランスやドイツは慌て始めます。債権が焦げ付くかもしれません。
やがて、ここまで主要なプレーヤーでなかったアメリカが割り込んできます。当時のアメリカは中国に何の足掛かりもありませんでしたから、日本が圧勝してこの地で巨大な影響力を持つことは避けたかったのです。
さらに1905年1月、ペテルブルグで「血の日曜日事件」が起こり、革命の火がついてロシアの足元がぐらつき始めます。勝ち続けているはずの日本も、戦費・兵力の双方ですでに青息吐息です。
日露戦争の講和条約であるポーツマス条約は、まだやれると思っているロシアを、背後から「革命」とドイツとフランスがタックルで倒し、倒れるはずの日本は息も絶え絶えながらまだ立っていて、その間に割って入ったアメリカが勝手にレフリーを始めた、そんな感じて結ばれたものです。だから賠償金もとれなかったし誰も納得しなかった――。
【この風景は似ているかもしれない】
2022年3月3日。当初、早ければ5時間、遅くとも48時間以内に陥落するだろうと言われていたキエフは今も持ちこたえています。ウクライナはよく頑張っています(117年前の日本のように)。
ロシア軍は志気に欠けるという報道もありましたが、日露戦争の際にロシア東部に配置されていたのは軍の精鋭ではありませんでした。あとから回り込んできたバルチック艦隊は精鋭ですが、日本海に入ったころには疲れ果てていました。
2022年、もたもた時間をかけているうちにウクライナ支持の声はどんどん広まり、中立国のスイスとスウェーデン、フィンランドまでもが国是を破ってロシア制裁に参加してきます。銀行間ネットワークからロシアの銀行を外す計画について、二の足を踏んでいたフランスやドイツが積極的になったことはプーチン大統領にとっても誤算だったことでしょう。
国際的な経済制裁が発動されたらロシアに抜け道を用意するはずだった中国も、つい先日、名指しはしないものの戦争を批判してアリバイ作りを始めたように見えます。
(ウクライナ東部を独立させたロシアは、無理に『偽満州国』をつくったかつての日本と同じだ。我々、中国の方針はこのままで大丈夫なのか)
経済制裁は時間をかけると結局、発動した国にブーメランになって返ってくるといいますが、短期間ならその暇もありません。
各国が制裁に雪崩を打つ中、民間企業もそれとなく反ロシアの旗色を鮮明にし始めます。GM、トヨタ、ホンダはロシア国内の工場を停止し、ワーナー・ブラザーズ、ディズニー、ソニーが、ロシアでの映画公開を停止します。フェイスブックやユーチューブはロシア側のプロパガンダの取り締まりに乗り出し、アップルは1日、ロシア国内でiPhoneなどの販売を停止しました。
いまやみんなが勝ち馬に乗ろうと躍起になっています。
そしてロシア国内では昨年圧殺したはずの反政府運動が、反戦運動という形で再燃しつつあります。もちろん海外在住のロシア人の活動は激しい。
プーチン大統領に核攻撃の準備を命じられた瞬間の、将軍たちのうんざりしたような表情――。
もしかしたら2022年のロシアは、1905年のロシアと同じ轍を踏むかもしれません。そう言えば昨年春の反政府デモのスローガンは、ロシア革命の時と同じ「ツァーリ(皇帝)を倒せ」でした。
3月3日。日本で女の子が雛飾りのボンボリに灯を点して雛菓子を食べている時間に、ポーランドのウクライナ国境近くのキャンプでは、同い年の女の子が「私は死にたくない」と言っている。
この不条理は何とかしなくてはなりません。