カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「人間ドックで危機管理を学んできた」~マニュアル化と小さな工夫

 人間ドックに行ってきた
 結果はいつものように
 「問題はあるが心配はない」だったが
 そこに面白い発見と学びがあった

という話。f:id:kite-cafe:20220202073200j:plain(写真:フォトAC)

【問題はあるが心配はない】

 人間ドックに行ってきました。正式な検査結果はのちに郵送されてきますが、とりあえず検査後の医師の話では、いつもの通り、

「問題はたくさんありますが、心配はいりません」
といった内容でした。
 
 人間ドックも五十代になるまでは「健康を確認するための年中行事」でしたが、以後は「何か出てくるか怯えながら迎える日」になっています。死ぬのは怖くないのですが、それまでの面倒が嫌なのです。死ぬための準備というのは周囲を巻き込まざるを得ず、しかも生産性はゼロ。しかし、だからといって「アッ、ウッ」と胸を押さえて死ぬのも困ります。整理しておかなくては禍根となるものを山ほど抱えています。

 今回もそんな少し重い気持ちを抱えて検査センターに行ったのですが、そこで面白い発見をしたので記録にとどめておきたいと思います。

【検査番号がてんでんばらばら

 昔は受付の30分前に行っても二十数人の列ができていたのに、今は分散受付でわすか3分前に到着した私が2番でした。定時に開いたドアに入ったのも私を含めて3人という余裕です。

 しかし2番に入っても検査順が2番になるわけではありません。8時の開始とともにすぐに始められる検査もあれば、準備に時間のかかるものもあるからです。あるいは胃カメラや超音波検査のようにたっぷり時間のかかるものと、身体測定みたいにあっという間に終わってしまうものとの、組み合わせも関係するのかもしれません。実際に「受付2番」の私が最初に呼ばれたのは、ずいぶん後のことでした。
 しかも渡された検査番号は謎の34番。受付順の2番とどういうかかわりがあるのか全く分かりません。さらに不思議なのは聞こえてくる検査番号が87番だの152番だの、てんでんばらばらで統一性がないのです。

 もしかしたら企業別とか年齢別だとか、そこには深い意味があるのかもしれませんが、とりあえず私が気づいたのは、「これなら順番をあとに回されたと、怒る機会はないな」ということです。
 これが通し番号で私が「10番」だとして、12番の人が先に呼ばれたらイラっとしかねません。しかし番号がバラバラなので「検査番号152番の方」とか言われても、その人が私より先に受付した人なのかあとなのか、まるっきり分からないのです。これでは怒りようがありません。

 結局、終わってみればかなり早い順位で会計を済ませることができましたから、おそらく「受付2番」にふさわしい合理的な動き方をさせてもらったのでしょう。早く来た甲斐はありました。つまらないことでイライラすることもなく、順調に終えることができたわけです。
 考えてみれば「検査番号」などどうでもよくて、個人が識別できれば「パンダさん」だの「キリンさん」だのでもいいのです。書類に通し番号を入れておけばあとで整理するのも簡単です。よくできた仕組みだなあと感心しました。

【「私、(2度目の)失敗はしないので」――そもそも2度目をしない仕組み】

 今回のドックでは、今までにないできごとがありました。採血の際、穿刺(針を刺すこと)に失敗されたことです。考えてみたら私の採血はいつも楽ではなかったようで、10年以上さかのぼれば、右左の腕を何度も探してようやく血管をみつけ、採血を始めたこともあったくらいです。
 今回の看護師もだいぶ苦労して血管を探し、刺してみたものの血液は上がって来ず、しばらくあれこれやった挙句に諦めて、
「申し訳ありませんが打ち直してよいでしょうか?」
 もちろん嫌だと言っても始まりませんから「けっこうですよ」と答えたのですが、針を抜いてカットバンを貼り「揉んだりしないように」などと簡単な注意事項を申し渡すと「採血者を交代します」とか言ってさっさと後ろに下がってしまったのです。すぐに代わりの看護師がやってきて、今度はうまくできました。

 私が感心したのは、穿刺に失敗した担当者は2度と同じ相手に針を刺さないという仕組みです。どんな寛容な人間でも同じ看護師に2度も失敗されたら穏やかではいられないでしょう。ただし別の人間がやって失敗したら雰囲気はまったく違います。採血者が代わってもうまく行かないとなると、むしろこちらに責任があるような気さえしてきます。さらに――。
 その件はそれで終わったのですが、しばらくあとに行った血圧測定の場で、2枚のカットバンに気づいた担当者が改めて「申し訳ありませんね。二度も刺すことになって」と詫びます。そんな言葉がすぐに出るのは、穿刺ミスが珍しいことではないからでしょう。しかし咄嗟に詫びの言葉になるのは、こんなところにも教育が行き届いているということなのかもしれません。

 毎日100人近い人間の検査をしていれば、ミスをゼロにすることはできません。そうである以上、起こった事故にどう対処すればいいか、前もって仕組みをつくっておくことが大切だと改めて思わされたできごとでした。

【危機管理のマニュアル化と工夫】

 人間ドックというのはかなりルーティーン化された世界です。だから危機管理もしやすいという面もあるかもしれません。しかしそれ以外の場でも、危機管理の様式化というのはやはり必要なはずです。
 学校でも、保護者とトラブルになったらこういう手順でこうしましょうといったマニュアルをつくっておけば、一応その場は凌げそうです。それだけで円満に終わる場合もあれば、うまく行かなくても考え直す時間が生れます。
 あるいはドックのバラバラな検査番号のように、ちょっとした工夫だけででずいぶん楽になる面もあるのかもしれません。
 もちろんそうしたマニュアルづくりや工夫は、忙しい先生たちの仕事ではなく、管理職のやるべきことです。