カイト・カフェ

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「10年:教育と指導のザルツブルクの小枝」~教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方へ② 

 学校の仕事は大枠で1年ごとのルーティーンワークだ。
 だから基本的なことはわずか1年で身につく。つまり2年目は別世界。
 さらに職人世界だから10年、まじめに取り組めば確実に身につく技能が多い。
 つまり先に行けば先に行くほど楽な面が少なくない、

という話。  

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(写真:フォトAC)
 
 

【2年目は違う】

 昨日は「年度の後半は適度に祝日があるよ」「行事も減って楽になるよ」というお話をしました。それとともに教員の生活は職人と同じで、同じ活動を繰り返す中で技量を高めるものだということも申し上げました。

 例えば大工さんのところに見習いとして入ったとします。雑用を別とすれば、最初に覚えるのは道具の扱いでしょう。縦に切るときは材木をこんなふうに固定して、こんな態勢で、ノコギリのこちらの刃を使ってこの程度の速さで引く、といった具合です。カンナの刃の出し入れの仕方、出す長さ、ノミの使い方、印のつけ方・・・覚えることは山ほどありそうです。しかもより速く、より正確に、より美しく、切ったり削ったりできるようになるためには、何年も修行しなくてはなりません。
 しかしだからといって2年目も3年目も同じように、縦挽きの時はノコギリのこちら側とか、カンナの刃を出すにはここを叩く、などとやっているわけではありません。いちど覚えてしまえば二度と覚え直さずに済むこともたくさんあるのです。

 教職で言えば、朝の会の進め方だとか班決めの方法、給食の配膳の手順といったことは2年目も3年目もバタバタとうろたえていいようなものではありません。年間200日もやってきたことですから自然にできます。教材研究の仕方だとか授業の進め方とかいったことも、基本的な部分は習得済みです。
 そうした基本的で細かな点こそ、実は初任の年に頭を悩ませ神経をすり減らし、ボロボロさせられた原因の大きなひとつです。それがなくなる。しかもありとあらゆることに一年先の見通しがつく。

 初年度と2年目は天と地ほど違う――。そのことは4月1日から始まる準備職員会ですぐに明らかになります。
 前年度とほとんど同じ内容の書類なのに、2年目は実によくわかる。担当者が強調する部分もなぜ強調されるのかわかる。わかるから余裕も生まれ、いまやっている部分は大丈夫と思ったら内職もできる。
 内職と言ってもやがて議題となる自分の担当部分を確認し、発表の心構えをするといったことですが、現在進んでいるところと自分の発表部分を交互に見ながら、時折思いついたように手を挙げて、他の人の部分についても意見を言ったり討論に乗ったりする、そうした姿はまさに一年前の先輩たちが見せていた姿そのものです。
 
 

【10年:教育と指導のザルツブルクの小枝】

 私は昨日「初日・ひと月・一年」というお話をしましたが、ここで新たな括りを提案します。それは「10年」です。
 世の中のたいていのことは10年間、まじめに真剣に取り組めば、ある程度かたちの見えてくるものです。経験の積み重ねが価値である職人の世界は特にそうで、岩塩の採掘場に枯れ枝を投げ込んでおくといつの間にか塩がびっしりとついてダイヤモンドのような輝きを放つという“ザルツブルクの小枝”のように、技能が自然と身に付いて輝きを増すのです。

 例えば朝、10分ほど遅刻してきた子が「医者に寄って遅くなりました」と答えたとしたら、教師の次の言葉はどうあるべきでしょう?
「ご苦労さん、席に着きなさい」では話になりません。子どもはウソをついているのかもしれないからです。したがってここで言うべきは、
「どこの医者だ?」
です。朝9時前から診察している医者などめったいるものではありません。しかし全くないわけでもなく、特に田舎の診療所などは7時前から診てくれるところもあります。
 ここですんなり病院名が出てきたら引き下がってかまいません。「わかった、確認しておく」と言って実際に確認すればいいだけのことのことです。口ごもるようでしたら、「後で話す」と言ってのちに指導します。

 すると言った以上、確認は絶対にしなくてはなりません。その上でウソだったら改めて指導します。この場合、指導の時間まで、生徒はドキドキして過ごすはずですから、それだけでお仕置きの半分は終わったようなものです。しかし早朝から見てくれる病院が事実だったら――これは知識として蓄えておきましょう。公的にも私的にも役立つ情報です。
 この方法の最も優れている点は、クラス全員の前でやることで、「ウチの担任はそこまで調べる人だ」と恐怖心を植え付けられることです。以後、これに似たウソは誰もつかなくなります。

 以上は先輩から教えられたことであり、実体験です。10年ほど教員を続けているとこういう知識が山ほど溜まってきます。お決まりの言い方をすれば「指導の引き出しが増えてくる」のです。そうなると生徒指導はグンと楽に、たのしくなってきます。ああ言えばこう言う世界ですから、言葉のやり取りで他人を打ち負かすことの大好きな人間にとっては、ゲーム感覚で遊べるたのしい場です。自己効力感もハンパではない。
 生徒指導はゲームだと言うと不謹慎なようですが、こちらが楽しくてあちらが成長するなら、それに越したことはないじゃないですか?
 
 

【付録】

 それでは演習です。
「面談の場で、生徒に『オマエなんか大嫌いだ』と言われたらどう答えるか」
(これについてはこのブログで何度か書いています)
「授業中の教室に遅刻してきた生徒が荒々しくドアを開けて入ってきた。『静かに席に着きなさい』と注意すると『うるせえ、ジジイ!』と声を荒げてまた出て行ってしまった。このときどうするか」
 もちろん答えはたくさんあると思います。

(この稿、続く)