カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「男女別働社会が始まるかもしれない」~やはり男女を一緒にしておくことは危険だ

 年齢の異なる男女を同じ場所に置いておくことは危険だ――
 そう言ってしまうと身も蓋もないのだが、
 互いの人権を守り合うことが最優先となると、
 もっとも有効な解決策はそこにしかないように思えてくる という話。f:id:kite-cafe:20210618084856j:plain
(写真:フォトAC)

【ちょっと言い過ぎた】

 昨日は別にイライラすることもあって、「ハラスメントはAIに監視してもらって直せ」みたいな話になってしまい、大人げなかったと反省しています。言葉にすると上滑りしてしまいますが、実際の職場ではもう少し融通を利かせ、新入社員との対応の仕方も、次第に滑らかになっていくと思います。
 要は話法と習慣の問題で、平成以降の新世代は昭和のセクハラ・パワハラ体質をうまく消滅させていってくれると信じます。しかしもちろん今日明日のうちにそれが達成されるわけではありませんから、しばらくギクシャクした場面は繰り返されるのかもしれませんが――。
 

【「きみ、可愛いね」と、言っていいのは若いイケメンだけ】

 コロナ禍で都会に住む子どもたちともほとんど会えなかった1年間、これも半年以上も前のことですが、久しぶりに会った娘のシーナと話しているうちに妙な方向に進んでしまい、こっぴどく叱られるということがありました。娘の友人の容姿について話した時のことです。
 私もとても気に入っている娘だったので誉めたついでに「でも、顔は大きいよね」と言ったら途端に機嫌を悪くして、「そんなこと言うなんて、信じられない!」と怒り始めたのです。普段は親に対して批判めいたことを一切言わない子なので、よほど虫の居所が悪かったのでしょう。それにしても私の言ったことに対する娘の批判は、ずいぶん不釣り合いだと感じました。
 そこで、
「いや、私は基本的にべた誉めに誉めてるんだよ」
と言うと、
「とにかく女の人の容姿のことを口に出してはいけないの!」
「え? じゃあきれいな人に『おきれいですねぇ』とか言うのもダメなの?」
「とにかく外見のことは言ってはいけない。『おきれいですね』にはそもそも美醜で女の人を格付けしようという気持ちがある」
「じゃあ、『キミ可愛いね』もダメなわけ?」
「言っていいのは若いイケメンだけ。お父さんは二重にダメ」
 いや二重だなんて――、若くないのは認めるが後半はそうでもないだろう、と言いかけたのですが、それ以上話しても埒の開く話ではないので切り上げました。

 これを思い出したのは、昨日お話しした「ハラスメントが怖くて侵入女子社員を腫れ物扱いにする上司」の件があったからです。その上司が40代~50代の既婚者だったら取るべき態度は明らかで、(仕事以外で)しゃべりかけない」「触らない」「誘わない」を徹底すればいいのです。しかし20代後半から40代前半くらまでの(イケメンではない)独身、もしくはバツイチ男性だったらどうでしょう。この人たちまでハラスメントを恐れて萎縮してしまうと、職場は著しく男女の出会いの場としての機能を失うことになります。

 アメリカのように地域のスポーツサークルやボランティア、あるいは友人を呼んでのホーム・パーティーなど、男女の出会いの場がさまざまに用意されていればいいのですが、日本の場合は今も職場内が4割前後で1位です。その”職場“で(仕事以外で)しゃべりかけない」「触らない」「誘わない」が徹底されてしまうと、恋愛や結婚の窓口は一気に狭まります。

 私の28歳の息子アキュラは可哀そうに私にそっくりな悪相ですから、“時間をかけて内面を知ってもらい、その上でなんとか我慢してもらう”というのが最も可能性のある流れですが、婚活パーティや友人からの紹介と言った第一印象一発勝負では、話にならないかもしれません。

 もちろん「若くて」「イケメン」の片方が欠けても、女性に声をかける権利のすべてがなくなってしまうわけではないと思いますが、アキュラの立場に立って考えればやはり怖くて声がかけられないと思います。「のび太のくせに」みたいな断られ方をしたら、二度と立ち直れません。

 そう言えば先日、川田裕美というアナウンサーがプロポーズされたときの話をしていましたが、のちの夫となる男性は受諾の答えをもらった瞬間に滂沱の涙で、「良かった―!」「怖かった―」と叫んだと言います。
 告白やプロポーズは昔だって勇気がいりましたが、泣くほどのことではありませんでした。
 現代のハードルはさらに高くなっているのかもしれません。
 

 【人生の大切なことはすべて酒場で学んだ】

 「(仕事以外で)しゃべりかけない」「触らない」「誘わない」が徹底されると、忘年会のような公式の飲み会以外で、同じ会社の社員が男女入り混じって飲む機会がなくなります。

 近頃では飲み会に誘うこと自体がパワハラという見方がありますから、私的な飲み会がなくなることをまったく気にしない人もいますが、他方にはアフターファイブが楽しみで就職してくる若者もいれば、単にお酒が好き、人と話すのが好き、いろいろ教えてもらうことが好きという若者もいて、こういう人たちは上司に誘われるとホイホイついて行ったりします。
 注意しなくてはいけないのは、こういう人たちが単に酒を飲んで遊んでいるのではなく、意識するにしろしないにしろ、酒席を通して社会を知り人間関係を築いているということです。

 私は若いころから酒も人も好きではなかったので極力飲み会は避けてきましたが、ときを経て周囲を見回すと、驚くほど広いネットワークを持つ同僚が近くにいたりして驚かされることがありました。しかし同じものが私にはない。誰かから情報を得ようとしたり何か仕事を頼もうとしたりするとき、頼る相手がいないのです。

 もちろんそれは私が自分で選んだ道で、飲みに行かなかったからこそ手に入れることができたものもたくさんあるので不満は言いませんが、あくまで“選んだ”から文句がないのであって、最初から遠ざけられていたとしたら面白くはないでしょう。

 近頃は徐々にですが女性管理職も増えてきましたから、女性の上司が若手の男性社員を誘う場合も考慮しなくてはなりませんが、異性の部下には声をかけにくい、そこをムリして声をかけ一緒に飲みに行ってもその先の言動に自信が持てない――そうなると自然に声掛けは少なくなり、男性管理職は男性の部下だけを呼んで飲み会、女性管理職は女性社員だけを呼んでお食事会と、かなりいびつなことになっていきかねません。

 もっともこれだって「意思疎通は勤務時間内に行うべきだ」「人間関係づくりも時間外にすべきではない」といった正義が優先する話で、いずれはそうなっていくのかもしれませんが――。