カイト・カフェ

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「汝、印鑑するなかれ」~ノスタル爺の不安と郷愁①

 政府に関わる書類から、一斉に押印がなくなる勢い。
 その流れは当然、都道府県から市町村、そして学校へと降りてくるだろう。
 必要ないものは淘汰されてしかるべき、
 それはそうだが、やはりなあ・・・

という話。

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(写真:ファトAC)

 

【印鑑がなくなるかもしれない】

 菅総理の一言で、政府に関わる押印が一斉になくなってしまいそうです。上川法務大臣はさっそく婚姻届けや離婚届の押印をなくす方向で検討に入ったということですが、そのことを伝えるニュース番組の中でインタビューを受けた若い女性が、
「楽になるからいいんじゃないですか」
と言うのを聞いて、私は少し天を仰ぐような気持ちになりました。
 結婚や離婚が楽にできるようになって、いいことは何もないように思ったのです。

 妻にそう言うと、
「手続きのことを言っているので、結婚や離婚そのもののことじゃないでしょ」
と女どうし肩を持ちます。
 しかし結婚も離婚も一生の問題――最後の最後に朱肉にトントンとハンコを押しあてて、もう一度その決断が正しいかどうかを吟味し、「よし、それでいい」となったら気合を入れて「エイヤア」とばかり用紙に押し付け二度と後ろを振り返らない—そういうことの必要な場面だと思うのですがどうでしょう。

 死亡届まで自分で出しに行けとは言いませんが、結婚届も離婚届けも二人で証人の家々を回って、血判をもらうくらいの心構えで判を押していただき、そして一緒に役所に提出する、そんな心構えがなくてどうする――。
 そう言うと妻は、
「古いわねえ」

 冗談じゃあない。古い新しいが善悪の分かれ目だとしたら古女房こそ悪の権化だ。今すぐここで悪を神仏に詫びろ、腹を切れ――とは言えないので、
「古いからといって印がなくなったら御朱印帳はどうやって集めればいいんだ。掛け軸から印がなくなったらどうやって真贋を明らかにできる、そもそも印のない掛け軸なんてシナチクの入っていない醤油ラーメンみたいなで、味気もなければ素っ気もない。そういうものだろう」
とゴネると、
「もう、いい加減にしてくださいね」
と言ってウイスキーのボトルとグラスを持って行ってしまいました。
 
 

【印を贈る】

 もちろん政府もすべての押印をなくすと言っているわけではないので、家や車などの大きな買い物や借金の申込書などでは最後の最後にもう一度迷うための押印など残るのかもしれませんが、ハンコは日本文化そのものであって、総理の一言でなくしてしまうのはいかにも惜しい気がします。

 かつて私が勤務したことのある山の小さな中学校では、秋の同窓会入会式で3年生に印鑑を贈呈するのが習わしでした。
 高校生になると生活の一部に社会人としての活動が入ってくる、そのとき先輩から贈られたこの印鑑を使って、心を込めて押すのですよ、そんな思いで贈られる印です。ほぼ全員の子が、入学願書で初めてのその印を使いました。何となくそれで力が湧くように思ったのです。

 それを覚えていたこともあって、私は二人の子を社会人として送り出す際に印鑑のセットをプレゼントしました。そこそこに値の張る実印と銀行印と認印のセットです。銀行印などはすでに三文判で登録してあるので手間をかけて切り替えたかどうか定かでないのですが、親としては良いことをしたように思っていました。
――それがムダになる(かもしれない)。返す返すも残念なことです。
 
 

【印に関する思い出】

 とうぜん学校からも押印はなくなる方向だと思うのですが、そもそもどんな場面で使っていたのかと考えると、たとえば出勤簿の印、給与受け取りの印、会計担当者として会計報告に使う印、そのくらいしか思いつきません。
 なくすと言っても出勤簿などは毎日サインすることを考えたらハンコのほうがよほど簡単な気もします。事務の先生が打つ書類の受領印なども、一日に数十という数を考えるとサインでは気の毒な気もします。おそらくこういうところでは残っていくのでしょう。印鑑を禁止すればそれに代わるスタンプを作るだけのことです。

 校長先生の手元には学校印と職印という重要な印があります。学校印の方はめったに使いませんが、職印の方は重要な二つの書類に絶対必要です。
 卒業証書と高校に送る調査書(内申書)です。後者については省略の方向に進むでしょうが、卒業証書の方はなくすわけにはいきません。ないと格好が悪いからです。

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 この卒業証書に打つ職印というのが実はけっこう難物で、一生残るものですから曲げたくないのです。
 多くの場合それは担任教師の最後の仕事で、校長先生からお借りした印を曲げてはいけないと思うと、さらに曲がってしまう。
 そこで私が発明したのが「押印アダプター」(右写真)でした。カセット・テープの蓋を利用して作った逸品ですが、今はもう必要のないものとなりました。けっこう重宝したのですが。
 
  いずれなくなってしまうかもしれない調査書に打つ職印――これについても私はかなりこだわった時期があります。
 公式の書類はすべてそうなのですが、印は校長先生の名前の最後の文字を半分隠すように打たなくてはいけないのです。しかもその角印の右の枠線は、書類の行末にそろわなくてはいけないという約束があります。

 文科省から回ってくる書類は、その部分がいつもきちんとしていて感心しました(右の写真)。で、それを真似るわけですが、押印のための余白をきちんと作るには校長先生の名前の位置に工夫が必要なのです。それを私は時間をかけてきちんとやった、
――だから大変だった、
・・・だからやめるべき、なのでしょうね。

 

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