「結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由」~健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい

 中・韓はもちろん、ヨーロッパ・アメリカでもふんだんにできるPCR検査。
 なぜ日本では増やせないのだろう。
 すでに4カ月にわたって答えの出せないこの問いに、
 果敢に立ち向かうメディアは出てこないのか。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200526070708j:plain(「実験」フォトACより)

【結局分からない、日本でPCR検査が増えない理由】

 昨日は安倍内閣の支持率が大きく下がったという話から、結局、日本にはPCR検査を大量に行う能力がなかったのだから、そこのところをきちんと説明し、検査なしで感染を抑えていく道筋を示せば、国民も納得し協力したはずだ、ということで文章を締めくくりました。ところが書いている自分自身が、やはり納得できないのです。

 日本はなぜPCR検査を増やさないのか、という話は以前にも書きました。 その時の疑問がいまだに解決していません。

kite-cafe.hatenablog.com

 感染症の専門家の話を聞くと、どうやらPCRはけっこう難しい検査らしい、という気がしてきます。例えば、『2020.05.13 東洋経済on line 「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題』では、感染症専門の医師が、
 昔からPCRはたいへんだといわれる。その技術を持つ人の養成は一朝一夕にはいかない。
 テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね。現場を知らない、完全に上から目線。「検査技師なんて」という一段下に見る感じも透けて見える。

とおっしゃっています。私はそれが本当だと思います。だから厚労省がいくら予算を出しても検査数は伸びないのだ、人間は簡単に用意できないのだからと・・・。

 ところが他方では京都大学山中伸弥先生ですら「もっとPCR検査を増やさなくてはなりません。必要ならウチの研究室も貸します」くらいのことを平気でおっしゃるし、それより何より、爆発的な感染の広がった欧米諸国では、例えばイタリアで感染者数が最も多かった3月21日は6557人、スペインで9222人(3/31)、アメリカに至っては4万5675人(4/24)もの新たな感染者を掘り起こすことができるのです。陰性だった人も含めると、そのときいったい何人のPCR検査を実施したのでしょう。
 
 

【医療先進国ドイツの場合】

 一昨日のNHKこれでわかった!世界のいま」ではドイツの取り組みを紹介していましたが、驚いたことに1週間で100万件も検査ができる体制が整っているのだそうです。

 国内の100以上の民間検査機関がかかわっており、全自動検査機をつかって同時に人間の数倍から数十倍の能力で検査を進めているといいます。欧米ではすでにかなりの数の機械が入っていて、中には日本製ものまでたくさんあります。
・・・・と、ここまで来て、私はふたたび、みたび、アレ?何回目かな? 脳内パニックになってしまいます。
 疑問満載!
  1. 日ごろは血液検査などを行っている民間の検査機関って、その日常の検査がなくなるわけでもないのに、週に1施設平均1万件もPCRを請け負う余力がどこにあったのか? コロナがなければ年じゅう暇だったのか?
  2.   PCR検査なんてコロナ以前はそんなにしょっちゅうやるものではなかったと思うが(インフルエンザには簡易キットがある)、欧米は何の必要があってそんなに大量の全自動検査機を買っていたのだ? コロナのおかげで役立っているだけで、それ以前はほとんど邪魔者扱いではなかったのか?
 さらに番組では「ドイツでは、医師の判断で町のかかりつけ医でも検体を採取し、検査機関へ送ることができる」と紹介されていました。しかし私の記憶だと、ひとりのPCR検査をするために、医者は使い捨てのマスク・フェイスシールド・手袋・防護服・サージカルキャップを装着し、検体採取後はいちいち部屋の消毒をしなくてはならなかったはずです。
 だからドライブ・スルー方式やウォークイン方式が始まったと聞いたつもりでしたが、ドイツでは町医者が気楽にそんなことをやってくれるのでしょうか? 1回1万5000円もする検査を、保険適用でバンバンやられてドイツ政府は困らないのでしょうか?

 まるきりのド素人で、難しいことのわからない私でも思いつくこれらの疑問を、NHKを始めマスコミの人々はまるで不思議がる様子がありません。肝心な部分は分からないまま、ひたすら「ドイツはすばらしい」「日本もドイツを見習うべきだ」と言っても、ことは進まないでしょう。
 
 

【健康長寿村と金属ボウル、一粒で二度おいしい】

 私は子どものころ、数学がとても好きでした。結論までの通り道はたくさんあっても、結局いきつく先はひとつだという透明さが好きだったのです。
 小説家の村上龍も「反比例の漸近線はたとえ目視でx軸やy軸に接しているように見えても絶対に接していない、その透明さが好きだ」と言って『限りなく透明に近いブルー』を書き、芥川賞を取りました。

 同じように科学と呼ばれるすべての学問は、どんな分野でも突き詰めていけば人々の意見は必ず一致する、貝合わせの貝のように寸分の狂いもなく合わさるはずだ――若いころはそんなふうに思っていたのです。
 ところが実際にはそうでないのです。

 例えば福島原発事故の際、放射線はある程度までは浴びても問題ないという説(閾値説と言います)と、たとえ1万分の1マイクロシーベルトであっても害があるという説がぶつかり合って、最後まで解決できませんでした。逆に「多少の放射線は浴びた方がいい。飯館村は50年経ったら健康長者村」などと暴論を展開する輩まで出て、マス・メディアは侃々諤々だったのです

 さらに遡って松本サリン事件の際、マスメディアは「サリンは直前の段階の薬品さえあれば、調理用の金属ボウルの中でも生成できる」という科学者の意見を繰り返し紹介し、おかげで現場の近くに住む男性は9カ月に渡って最重要参考人として扱いを受けました。

 オウム真理教が摘発され、当時の上九一色村サリン製造工場の内部が公開されると、私たちは「サリンの直前の段階の薬品」をつくることがどれほど大変かを初めて知りました。科学者はウソを言ったわけではありませんが、普通のサラリーマンにできる仕事でないことは十分に分かっていたはずです。マスコミもうすうす分かっていながら、最後まで金属ボウルを離しませんでした。

「なぜPCR検査は増えないのか」
 あるいはそれに類するタイトルの記事・ニュースはいくつも見てきましたが、ダイヤモンド・プリンセス以来4カ月経ってもいまだに分かりません。
 おそらくマスコミは真実を知りながら、それを言ったらニュースが終わってしまうので言わない――そんな感じがしてきました。
「一粒で二度おいしい」のはグリコ・キャラメルだけではありません。