「みんな、もうちょっと丁寧に説明し合おうよ」~新型コロナの報道と政府 

 大切なことを、言葉できちんと伝えていくことが民主主義の基本だろう。
 しかしマスコミも政府も、手間を惜しんで言葉も惜しむ。
 もっと丁寧な話はできないものか。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200428080805j:plain(「稲村ヶ崎海岸」フォトACより)

【外に出たがる人たちの声にも耳を傾ける】

 前々回の土日、鎌倉や湘南海岸、都内の戸越銀座などにかなりの人出があったのに、前回の土日(25日、26日)にパタッと減ったのには驚きました。うっかり行ってテレビにでもうつされたら困るとでも思ったのでしょうか? こんなに簡単にいなくなるとは思わなかったのです。

 というのは、「近くから夕飯の買い物をしに来ただけなのに」というおばちゃん風の女性の言い分や「風通しの良い公園で運動しているのとどう違うの?」と言ったサーファーの言い分に、それぞれ説得力を感じたからです。
 屋外のことですし、いくら何でもすれ違ったくらいで、あるいは店や近くの人と一言二言かわしたくらいで、感染が広がるとも思えません。

「濃厚接触」の新しい定義、
「必要な感染予防策をせずに手で触れること、または対面で互いに手を伸ばしたら届く距離(1m程度)で15分以上接触があった場合に濃厚接触者」厚労省
に照らし合わせても、八百屋の店先で15分以上話をする人もいないでしょうし、サーフボードに乗ったまま1m以内にいたら別の意味で危険ですからありえません。

 人間は理屈で動くものではありませんが、筋の通らぬことを通すのはやはり大変です。庶民の素朴な疑問には、分かりやすく、丁寧な説明がなくてはいけません。私はそれもマスメディアの仕事だと思うのです。

 映像に撮って全国に流し、それとなく、あるいはあからさまに非難する以上、何が悪いのか、なぜ悪いのか、丁寧に説明してやる義務があると私は考えます。そうしないとせっかく取材に答えてくれた人は、単なる馬鹿かふてぶてしい人間しか見えなくなります。

 難しいことではないでしょう。観光客や多すぎる買い物客に戸惑う地元の人々の不安には、おそらく合理的な理由があるのです。それをよく吟味し、言語化すればいいだけのことなのですから。

 

【不安な人々の心の声を聴き、言葉にする】

 先々週の土曜日の戸越銀座の人出を見て、人々が不安になるのは、おそらくそこに万が一の可能性が幾重にも重なっているからです。ひとつひとつの可能性はとても低くても、それが重なれば事故につながりかねない。

 交通事故に絶対に遭わない完璧な方法は一切外に出ないことです。事故なんてそう簡単に起こるものではありませんが、出歩いていればいつか遭うことになるかもしれません。
 コロナ感染も同じで、すれ違いざまにマイクロ飛沫を吸い込むとか、たたまた手に取った買い物かごにウイルスがついているとか、触った手すりについていたとか、そういうことはめったにあるものではありませんが、その万が一の可能性が、混雑した場所を2度、3度と訪れることで2倍、3倍になっていくことが不安なのです。

「特別な場合を除いて、交通事故だと被害者が10人、20人となることはめったにない。しかしコロナ感染のでは“濃厚接触者の自宅待機”ということも含めるといったい何百人に迷惑をかけることになるのかもわからない。だからおばちゃん、買い物に来るなとは言わないが、少し頑張ってまとめ買いをし、商店街に来る回数を減らそうよ、ね」
――そんな言い方をすれば引き下がりやすいのかもしれません。

 サーファーには、
「そりゃあ私だって波の上で互いにうつしあうなんてことはめったにないと思うよ。浜に戻ってもお互いに気を遣っていることだろう。でもさ、ところで、キミたちはどうやってここまで来たのかな? まさか友だちと一緒に三密の典型みたいな自家用車に乗ってこなかったよね? 何時間も大声でおしゃべりをして、マイクロ飛沫を車内に広げ、吸い込みながら来たわけじゃないよね。
――もっともそれは仲間内のことだし、都会に戻ってみんなで青ざめればいいだけだけど、他所の県に来る以上、私たちの県に対してはそれなりの礼儀を守ってくれなくちゃね。

 例えば自動販売機のボタン。汚染されているかもしれないその指で押さないでくれる? 公衆トイレやコンビニ・トイレを使うとき、用を足した後で手を洗うなんてことはしなくていいから、入る前に丁寧に石鹸で洗って、それからドアノブやペーパー・ホルダーに触るようにしてくれないかな? あ、もちろん唾が飛んで壁や手すりを汚染させないようにマスクは必須だけどね。今回のコロナウイルスは罹っている本人ですら分かっていないことがあるのだから、他所の県に来る以上、そのくらいはしてもらわないと――」
 そんなふうに言えば、面倒くさくなって来るのをやめてくれるでしょう。

 と、実際にはそうしたことをしなくても客足は絶えたので、もうどうでもいいことなのかもしれませんが、日ごろ、
「教師は丁寧な指導もしないで、『決まりだから』という説明だけで生徒を縛ろうとする」
などとおっしゃっているマスコミ諸氏が、
「政府が『最低7割、できれば8割、人との接触機会を減らしてほしい』と言っているのだから戸越銀座や湘南に来るのはやめましょう」
みたいな報道をするので、少しイラついて申し上げたまでです。

 

【政府の説明もあまりにも雑だ】

 しかし今回のコロナ事態に際して、私はマスコミに対するのと同じような苛立ちを政府にも感じているのです。説明があまりにも雑なのです。

 日本で最初の感染者が見つかった1月末から今日までの政府の施策を、私は基本的に高く評価しています。中でも東京都知事が悲鳴を上げた3月末くらいまでの施策は(多少の不備・遺漏はあったにしても)みごとと言うしかないように感じています。このとき稼いだ2か月余りの時間が、その後、中国・韓国および欧米諸国の成功や失敗からたくさん学ぶ余裕を与えてくれたからです。

 私はそのために特別な記事を書いたくらいです。

kite-cafe.hatenablog.com  同じようにこの時期の施策を天才的だと考える人は少なくいようで、最近それを高く評価する記事がけっこう見られます(その多くは「しかしその後ダメになった」みたいな記事ですが)。ただし事態が動いている最中はものすごく評判が悪かった――。誰一人、行われていることの意味や意図をきちんと説明してくれなかったからです。

 焦点を絞って言えばダイヤモンド・プリンセスへの対応について、そのころ提起された山ほどの疑念や問題、
「なぜ早く全員を下ろして、患者を病院に搬送しないのか」
「なぜ早くPCR検査をして、陰性の人だけでも自由にしてやらないのか」
「なぜ乗客が深刻に求めている薬が届かないのか」
「2週間の観察のあと、下船した乗客を公共交通機関で帰したのはなぜか」
等々、あとから聞けばそれなりの理由があったのですが、当時はまったく黙して語らなかった。なぜ、あの時点できちんと説明しようとしなかったのか、そして今も、施策のひとつひとつ、変更の理由についてはきちんと説明してくれない――そこに私は苛立ちを感じるのです。

 

【黙っていては伝わらない】

 文芸春秋の今月号(5月号)の中で、私は次のような一節を見つけました。
 衛生政策で有名な後藤新平は、
「寝覚め良き事こそなさめ、世の人の、良しと悪しは言ふに任せて」
と詠みました。(中略)
 緊急時のリーダーは世評を放置し、慈心良心に従って断行する必要があります。

磯田道史感染症の日本史」~答えは歴史の中にある)

 まあそうかもしれないけど、もう少し事情を説明してくれてもよさそうなものじゃありませんか。
 いつか分かってくれるだけでは、人は十分に動かないものです。