カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「外出禁止令も出せない国の誇り」~今日の私はとても憂鬱だ 

 昨日(4月8日)、東京都の新たな新型コロナ感染者は過去最高を記録し、
 日本全体でも500人を超えた。
 私の知る日本でこんなことが起こるはずはないが、
 起こったことは現実で、私は受け入れるしかない。
 今日の私はほんとうに憂鬱だ。
という話。

f:id:kite-cafe:20200409071100j:plain(「マスクを着けたヨークシャテリア」フォトACより)

 

【これは、だめかもわからんね】

 1985年8月の日航機墜落事故の際、フライトレコーダーに残された機長の言葉の中に、今でも耳に焼き付いてを離れないひとことがあります。

 ジャンボ機の最後尾で圧力隔壁が爆発して垂直尾翼を吹き飛ばしたあと、20分以上、空を迷走したあと、機長がぽつりとつぶやいた、
「これは、だめかもわからんね」
という言葉です。

 123便はその後も10分近く飛行を続け、夕闇の御巣鷹の尾根に墜落します。その間機長は幾度も「ライト・ターン」「レフト・ターン」と叫びながらなんとか立て直そうとしますが、実は操縦かんに伝わっていたのは機械が作り出すニセの反応で、すでに方向舵を失った飛行機は機長のコントロール下にはなかったのです。

 昨日、新たに見つかった東京都の新型コロナウイルス感染者は144名とこれまでの最多でした。4月に入って1日が66名、2日が97名。3日に少し下がって89名。そして4日・5日に116名、143名とうなぎ上りだったのが、6日に83名、一昨日の7日が80名と急に数が減ったように見えたのです。そう言えば3月20日のお花見3連休からちょうど2週間が終わりました。もしかしたらそのときに感染した人の数字が出きったのかもしれません。
 そんな思いで昨日の数字を待ったのですが、144名の記録更新でほんとうにがっかりしました。全国では500人を超える人数です。
 そして思い出したのが、123便の機長の、
「これは、だめかもわからんね」
だったのです。

 そう言えば東日本大震災福島第一原発1号機の覆いが吹き飛んだ時も、この言葉を思い出しました。

 

【外出禁止令も出せない国の誇り】

 私はこれまで何度も自分のことを熱烈な民族主義者だと呼び、日本と日本人を信じていると言い続けてきました。そもそも21年前にWebサイトを立ち上げたのも、そうした思いからだったのです。

 当時はこの国とこの国の国民を蔑んでいれば評論家が務まった時代でした。
「だから日本はダメなんですよ」
「そういうところが諸外国からバカにされる理由です」
「その件に関して、日本は先進国から20年は遅れていますね」
 私はそれが我慢できなかった――。

 2011年に起こった東日本大震災はそんな私にとって自分の信念が証明された画期的な出来事でした。あれほどの災害だったにもかかわらず、人々は落ち着いて行動し、悲しみに打ちのめされることなく互いに協力し合って辛苦に耐えた、感謝の気持ちを忘れず、自分のことは後回しにし、「しょうがない」と自分を慰めて前を向いて進もうとした――それこそが私の考えていた日本人です。

 その後のマスメディアは浮かれたように、「日本人のここがスゴイ」だの「外国人が感動した日本の姿」だのといった下品な番組を作り続け、それはそれでやりきれない気分にさせられたのですが、私個人は自分の仕事を終えた、浮かれたメディアを質すのは他の誰かの仕事だと思って心理的な引退を決め込んでいたのです。
 ところが――。

 今回の新型コロナ事態における日本の対応は、国の内外からけちょんけちょんです。
 直接的には安倍政権の対応のまずさということになっていますが、ダイヤモンド・プリンセス対応にしてもPCR検査の少なさにしても、あるいいは遅すぎると言われた緊急事態宣言にしても、別の政権、別の総理大臣だったらもっとうまくやれたかというとそんな気もしません。
 日本の体制が都市封鎖を許さず、政府が感染経路をたどるために個人情報を自由に扱うようにはできていないからです。

 外出禁止令を出しても罰金を取ることもできない国――しかしそれでやっていいけると私は思っていました。日本人はそういう点では優秀だからです。事実、つい2~3週間前までも、かなりうまくやっていたではないですか。

 

【私たちが日本人を育てた】

 なぜ私がそこまでこの国と日本人を信じることができるのか、信じようとしているのか――それには理由があります。
 言えばきっと呆れられると思いますが、それは私たちが育ててきたからです。

 “私”は省いてもいいですが、近代教育だけでも150年余り、日本の教師たちが心血を注いで育ててきたのが今の“日本人”なのです。

 いじめがあるじゃないか、不登校がいるじゃないか、学力はどうしたと散々に叩かれてきましたが、日本の教師たちはそれでも子どもを育てる仕事に執着しました。
 きちんと並びなさい、順番は守るものです、責任をもって係の仕事をしなさい、約束を守るのは人間の最低の条件です。計画的に物事を進めなさい、常に相手のことを考えなくてはいけません、自分のことは後回しにしましょう、いつも誰かのために働きなさい、公平を最重要視すること、あなたの自由と同じように他人の自由も尊重しなさい、手を洗いなさい、歯を磨きましょう、だれにでも分け隔てなく優しくするのが正しい生き方です――。


 日本の学校の日常は、朝から晩まで道徳教育をしているようなものです。もちろん家庭も社会も”日本人”の重要な要因ですが、全国の子どもを網羅的に、組織的に、かつ計画的に教育してきたのは学校だけです。

 全国に百万人もいるという教師たちが150年もかけて育ててきた日本人が、失敗するはずがない、失敗しても必ず克服できる。
 私はそう信じています。いや、信じたいと思っています。
 しかし今――。

「これは、だめかもわからんね」
 そんな言葉が頭の隅にデンと居座ろうとしています。
 何とかならないものか――。

 今日の私はとても憂鬱な気分です。