「校則はくだらなければくだらないほどいい」~校則の話⑦

 スカート丈や髪染め、下着の色指定などが理不尽な校則だとして
 ブラック校則批判の人たちは どこまで子どもを自由にしたら納得するのだろう
 小中学生のピアスやタトゥーも許されるべきなのか
 そう考えていくと いかにもくだらない現在の校則の価値が見えてくる

というお話。

f:id:kite-cafe:20190910081648j:plain(アルベルト・エデルフェルト 「海岸で遊ぶ男の子たち」)

 

  【子どもたちはどこまで自由であるべきか】

 ブラック校則を非難する人たちは子どもたちをどこまで自由にしたら納得して鉾を納めてくれるのでしょう?

 9月2日に引用した「その校則、ちゃんと説明できますか? ― なぜ、理不尽な校則は変わらないのか」の教育研究家、妹尾昌俊先生は、
スカート丈から下着の色の指定、髪の毛を染めさせることまで、なぜ、学校にはわけの分からない校則があるのか、なぜ直そうとしないのか。
とおっしゃっていますから、少なくともスカート丈や下着の色、髪の色くらいは自由にすべきと考えておられるのでしょう。

 私としては、上はブラウス越しに、下は超ミニのために、ほとんど丸見えになっている下着がものすごく派手だったり、茶髪どころかレインボーカラーの頭髪の中高生が何人も出入りしたりする学校は不健全だと思いますが、妹尾先生はそうでない学校こそ理不尽だとお考えのようです。では、その先どこまで行けば、ストップをかけたくなるのでしょう?

 

【子どもたちにとって、規制は乗り越えるべき目標である】

 ネックレスやピアスならいい、くらいは言いそうですね。
 でも片方の耳に8個続けて並べるピアスだったらどうですか? 
 鼻ピアスは? 唇ピアスは?
 あるいは角ピアスと呼ばれる動物の角や牙を差し込むものはどうでしょう?

 夏の体育の水泳の時間に生徒を裸にしたら、三分の一がタトゥーを入れており、そのうち二人は和彫りのクリカラモンモンだったというような状況があった場合、それを受け入れることができますか?

クリックすると元のサイズで表示します 子どももバカじゃないからそこまではしないだろうとお思いの方は、かつてのヤマンバやギャル男を思い出してみましょう。

 世にギャルやコギャルファッションがはびこり、仲間内でガングロメイクが一般的になると、一部の子はあそこまでやらないと“差別化”を果たせたと感じられないのです。

 同様に、髪染めやスカート丈が自由で下着の色にもこだわらない学校――つまりみんなが自由にファッションを楽しんでいるような世界で、それでも「その他大勢のひとり」ではない自分を表現しようとしたら、ステージは一段上げなくてはいけないのです。
 そんなとき角ピアスやタトゥーは格好の道具となるはずです。あの子たちはやるときはやります。

 児童生徒の、ピアス、タトゥーを含むどんな表現も受け入れることができる、表現の自由は徹底して守られるべきだとお考えなら、これ以上の議論は無意味です。私は表現の自由という大義のために自分の教え子を犠牲にする気はありません。

 しかしそうではなく、小中学生および高校生くらいまではファッションに規制があってもよいということでしたら話し合いましょう。
「ピアスは左右の耳にそれぞれ1個まで」とか、「タトゥーおよびタトゥーシールは、はがきサイズ未満を1個まで」とかで、いかがですか?
 それこそくだらない校則だと思うのですが、ピアスやタトゥーを許可して行き過ぎを止めるにはこんな文言にするしかありません。

 さらにその上、考えておかねばならないことに、「子どもたちにとって規制は乗り越えるべき目標であり、指導は常に100%成功するわけではない」という事実があります。

 

【校則はくだらなければくだらないほどいい】

 指導は100%うまく行くとは限りません。どんなに厳しくやっても児童生徒を制止しきれないときがあります。
 現在でも茶髪禁止でありながら繰り返し髪を染めてくる子はいますし、スカート丈の検査が繰り返し行われているとしたら、それは違反も繰り返されているからです。

 したがって「ピアスは左右の耳にそれぞれ1個まで」「タトゥーおよびタトゥーシールは、はがきサイズ未満を1個まで」と決めたところで、それを乗り越えようとする生徒は必ず出てきますし、一部は実際に乗り越えてしまいます

 昨日申し上げた通り、非行文化で一度デビューしてしまうとなかなか“降りる”ことができません。見かけを元に戻すことは学校や教師に対する降伏を意味しますし、仲間からは裏切り行為とみなされる危険性があるからです。 
 さらに髪の色やスカート丈や下着の色でさえ難しいのに、その上タトゥーや角ピアスの穴となると物理的に原状回復が困難になります。

 外見で人を差別するなといいますが、タトゥーを入れたり角ピアスを着けたりした中学生を、何の抵抗もなく受け入れるほど社会は成熟していません(それが成熟と言うなら)。
 同様に、殺人や傷害事件を起こすこと、売春を行うこと、妊娠すること――他にもありますが、いずれも取り返しのつきにくい事象で、学校は指導に失敗したくないのです。失敗したら被害はその子が負わなければなりませんから・

 しかし遡って、髪染めやスカート丈やパステルカラーの下着だったらどうでしょう。これらはすべて原状回復が簡単ですし、指導に失敗しところで子どもの将来に傷はつきません。要するに髪やスカートなんて、みんなどうでもいいこと、くだらないことなのです。
 そして、だからこそ教師としてはそこで戦う価値があります。

 戦国時代の戦で、出城も持たずに最初から本丸で戦おうとするのは、いかにも愚かでしょう。いざとなれば落ちてもかまわない出城で、まず戦いはしておくべきです。
 それと同じで、校則はくだらなければくだらないほどいい――。

 髪染めやスカート丈で勝ったり負けたりしているうちは子どもはその先へ進みませんし、そんなどうでもいいことで戦っている間に彼らも大人になり、校則のない世界に旅立っていきます。
 こうして、
「社会に出ればたくさんの軋轢がある。せめて外見くらいは大人とぶつかり合わない姿で卒業させたい」
という教師の願いは達成されるのです。

 そしてそれが、
スカート丈から下着の色の指定、髪の毛を染めさせることまで、なぜ、学校にはわけの分からない校則があるのか、なぜ直そうとしないのか。
の答えなのです。


                     (この稿、終了)