カイト・カフェ

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「韓国を動かす二つのキーワード」~日本と韓国②

 お隣だから仲良くできない――それはいいにしても、
 なぜあれほどに執拗で厳しいのか。
 韓国を突き動かす二つのワード「オルバルダ」と「ヨクサパロセウギ」。
 
日本にも厳しいが国内ではさらに厳しい。
 というお話

f:id:kite-cafe:20190116202050j:plain(韓国 ソウルの東大門のライトアップ)

 【隣だから仲良くできない】

「お隣の国同士なのになぜ仲良くできないのか」という言い方もありますが、国どうしはお隣だから仲良くできないのが普通です。

 イギリスとフランスとドイツは何百年も戦争の吹っ掛け合いをしてきましたし、インド・パキスタン・中国は不倶戴天の敵同士です。ロシアと中国もアメリカという共通の敵がいなかったら明日にも戦争になりかねません。イランとイラク、シリア、トルコ、これらの国々に「ホラ、みんな仲良く、手をつなぎましょう」などと言ったら全員から袋叩きにあいかねません。

 私たちの周辺も同じです。日中韓はどの二国関係もエッチラオッチラ、仲が悪いなりに何とかうまくやっていくしかありません。それが外交なのです。
 しかしそれにしても韓国はやりにくく、面倒くさい国です(その点で言えば、中国は反日親日も損得で使い分けるだけですから、分かり易いと言えば分かり易い)。

 日本国内には500万人近い在日韓国朝鮮人がいて半島出身者も多く、人口5100万人なのに毎年700万人を越える訪日観光客を送り出している国、それなのにこのところ聞こえてくるのはぎくしゃくした話ばかりです。一方で「仲良くしようぜ」と言いながら「歴史問題では絶対に許さないぜ」というのはそれも「ツートラック」なのでしょうが、何ともピンと来ない話です。

 ここ数年「韓国疲れ」(*)という言葉があちらこちらでささやかれていましたが、文大統領が「日本はもっと謙虚になるべきだ」と言ったり国防省の広報官が「日本は無礼」などと言ったりするのを聞くと、その高慢さに疲れている身体が一気に燃え上ってしまい、次の瞬間、心は灰同然になって崩れ落ちそうです。
*韓国が日本に対し、戦時中の問題に関して果てしのない謝罪を要求することに、もう疲れ切ったという日本の状態

 韓国はなぜ、かくも執拗で厳しいのでしょう。

 実はこれについて、冬休み中、私はふたつのとても優秀な解説を読む機会に恵まれました。ふたつとも韓国の中央日報の記事です。
 最初は1月4日「約束を守る国・日本、正義が重要な国・韓国」。 

 

【「オルバルダ」と「ヨクサパロセウギ」】 

 記事はまず、昨年10月に福岡県で開かれた女子駅伝競技会で骨折した19歳の選手がはってタスキをつないだ例を挙げ、
 日本人たちにとって「約束」とは、膝がこのようになっても守らなければならない「恐ろしいこと」ということをぼんやり感じさせた事件でもあった。
と回想します。
 その上で二つの韓国語「オルバルダ」と「ヨクサパロセウギ」について紹介します。
 「オルバルダ」は「正しい」、「ヨクサパロセウギ」は「歴史を立て直す」としか日本語に訳せない言葉ですが、概念は微妙に、しかし決定的に違うというのです。

 日本人にとって「正しい」は、決められた基準に沿って行うことをいう。合意や約束があればそのとおりすることが「正しいやり式」だ。しかし、韓国で通用する「オルバルダ」の意味は、それこそ時代によって異なって受け止められる。「その時は合っていて、今は間違っていること」が「オルバルダ」という意味として使われるということだ。韓日慰安婦合意や大法院の強制徴用賠償判決がそうだ。「ヨクサ(歴史)パロ(真っ直ぐに)セウギ(立てる)」は日本語にない言葉だ。「歴史を立て直す」としか翻訳できない。

 そして静岡県立大の教授の口を借りて、
「重要視する価値が違う」「日本は約束を守ることが重要な国である一方、韓国は正義を重要視する国」
というのです。
 実際に起こっていることを説明するうえで、とてもよく分かる話です。

 

【国内はさらに厳しい】

 私は同じく韓国と緊張関係を持った国々――アメリカや中国、北朝鮮、日本の中で、わが国だけが不当に強く責められている、という印象を持っています。しかし同時に、韓国世論が“正義”をもって自国民(および自国の政府)を追及する姿は、日本に対するよりさらに厳しいという印象も持っているのです。

 国の歴代の大統領が全員不幸な末路を辿っていることや現在も続く「積弊清算(積もり積もった前政権の弊害を清算する)は、まさに、「その時は合っていて、今は間違っていること」「ヨクサ(歴史)パロ(真っ直ぐに)セウギ(立てる)」行為に他なりません。

 小さなところで言えば、「ナッツリターン事件」の大韓航空副社長、「崔順実ゲート事件」の実業家、最近では平昌オリンピックのスピードスケート・パシュート競技で仲間を置き去りにした女子選手――正義にもとる行いをした人間は完膚なきまで叩かれなければならない、それが韓国の“正義”であって、我々の正義とは重さが違います。

 私たちは70年余り前、東京で無辜の市民が箒で掃くような絨毯爆撃によって10万人以上も殺されたことも、広島・長崎に二個も原子爆弾を落とされたことも、みんな水に流してしまいました。
 昨年起きたばかりの女子レスリングや体操、アメリカンフットボールやボクシングのハラスメントについさえ、もはや加害者の名前すら忘れてしまっています。

 では韓国国民の“正義”を追及してやまないそうした激しさは、何に由来するのでしょう?

 それについては1月9日付中央日報コラム「韓国と日本、その永遠の平行線」に重要な指摘がありました。 

                        (この稿、続く)