妻に食べ方が下品だと言われて口中調味をやめ、一口ひとくち、口の中が空になったら次の食べ物を入れるという今日的な食べ方を始めたことについて書いています。
【試してみたらいいことも多い】
新しい食べ方でまずよかったのは、食事の時間が延びるということです。
現場の教員であった時代、給食は長くても6〜7分で食べ、残りの時間を子どもの日記を読んだり宿題のチェックをしたりするのが常でした。ですから家庭でもとにかく食べるのが早い。もしかしたら妻が私の食べ方に30年も気づかなかったのもそのせいかもしれません。二人とも教員ですからほとんど競うように食べていたのです。
しかし私の方が先に退職し、健康のことを考えるとそろそろゆっくり食べるようにしなくてはと思ったのですが、習慣というのは恐ろしいもので、これがなかなかうまくいかない。
ゆっくり食べるために一口につき最低20回、できれば30回は噛むようにと心掛け、これは定着したのですが15分かけるのが限度です。ところが「口中調味」をしない新しい食べ方だと、軽く20分はかけられるのです。
それもそうで、例えばカツの一切れを口に入れてそこに白米を加えて食べるのと、カツを一切れ食べ終わってまた白米を口に入れる場合とでは理屈上、後者の方が2倍もかかります。1回で済むことを2度に分けるからです。
もちろん実際には口に入れる量が違いますから2倍とはなりませんが、1・5倍くらいには簡単になります。ゆっくり食べることで胃の負担はずいぶん軽くなっているはずです。
よかったことの二番目は、減塩に役立つということ。
これも当たり前で、口中調味は口の中で白米と混ぜて味を薄める食べ方なのでおかずをそのまま食べると味が濃すぎるのです。特にソースと醤油の味は強すぎます。
濃い味も慣れてしまえば平気なのでしょうが、とりあえず今までなら塩甘で醤油をかけたくなるようなサンマもそのまま食べたほうがおいしい、そのまま食べられる。目玉焼きの醤油もほんの数滴でこと足りる。
ただし昨日の朝のサバの水煮は、大根おろしを大量に乗せて口に入れたものの味が濃すぎて(大根おろしがいかんのか?)閉口しました。
食卓で調味料を控えるといった調整のできないものはしばらく見送った方がよさそうです。
三番目の利点は、季節感のある食事ができそうだ、ということです。
私は冷奴が好きで真冬でも湯豆腐にせずそのまま食べます。口の中で冷たい豆腐が熱い白米の中に溶けていく感じがいいのです。
しかしそれはあまりにも季節を無視した食べ方で、季節感を重視する和食の食べ方としては邪道でしょう。これからは夏は冷奴、冬は湯豆腐と、それなりの食べ方をすることになります。
良かった点の四つ目は、ダイエットに好都合ということ。
とにかく白米だけの食事は味気ない、というか味がない。中には「ゆっくりと噛み続けるとお米特有の豊かな甘さが滲み出て・・・」とか言う人がいますが、私には分からない。そうした微妙な味覚がない。
私の場合、白米を口に含んで30回も噛むと口の中が糊だらけになった感じですこぶる具合が悪い。量はこれまでの半分も食べれば、もうそれ以上はいらなくなります。
糖質制限ダイエットというものに挑戦してあれほどうまくいかなかったのに、今はご飯茶碗半分でもう十分です。うまく痩せられそうです。
以上、
「咀嚼の回数も増え、時間もかけるので胃の負担が少なくなる」
「減塩に都合がいい」
「季節に合った食事ができる」
「無理なくダイエットができる」
そして「上品」
と、いいことずくめです。ただひとつの欠点を除けば――。
【ただひとつの欠点】
私が感じた「口中調味しない食べ方の欠点」はただひとつ、
「とにかくおいしくない、食事が全然楽しくない」
ということです。
大好きなはずの白米がまるっきり糊。しかもそれを味の濃いおかずの後には必ず口に入れなければならない。
そもそもその「味の濃いおかず」が苦痛。梅干しとか佃煮とかわさび漬けとか、みんな「熱いご飯と一緒に食べてこそナンボ」という気がしていたのに、単独で食べると味が強すぎておいしく思えないのです。
さらに食べる時間が1・5倍ですから咀嚼の回数がやたら増えて、本気で食べると顎が疲れてしまいます。
まだ食卓に出てこないのでいいのですが、黒豆なんかが出てきたときは皆様どうしているのでしょう? 一口30回噛むといっても黒豆だと一箸で一粒くらいしかつまめませんから、十粒食べるだけでも300回噛むということになります。大変ですよね。
もっとも洋食では、
「イギリス人は、ころころ転がるお豆でさえ、器用にフォークの背に乗せて食べます」
といった話もありますから口中調味をしない人たちは、
「ころころ転がるお豆でさえ、器用に箸で5粒ほど、同時につまんで食べることができます」
といったことかもしれません。
【あの子はどんな食べ方をしていたのだろう?】
さて、健康面を考えれば決して悪くはない、しかし「とにかくおいしくない、全然楽しくない」食事法を、妻の目を怖れて続けるのか、それとも元に戻すのかは現在思案中なのですが、その際ふと思い出したのが昨日書いた20年程前に担任した“何も食べられない女の子”です。
あの子は給食の際中、どんな食べ方をしていたのでしょう?
少なくとも思い出せるのは5cm角に切り刻んだハンバーグやら魚の切り身やらを延々と睨み続けている姿です。
そもそも配膳の段階で本人の希望によって極端に量が減らされいますから、残っているのは皿の中央の5cm角のおかずだけです。しかしもしかしたらそんな状態だからかえって食べられなかったのかもしれません。嫌なものが単独で目の前にあったらやはり嫌だったろうな、と今は思うのです。
もしあのころ「口中調味」という方法を知っていたら、食べやすいものが出た時に口の中でご飯に包み込んで食べる練習をさせ、嫌いなものが出た時もその方法で飲み込むことができた、そして次第に慣れていき食べられるものが増えて行った、そういう可能性もあったのかもしれません。
もっとも知識があっても時間がなければそうした辛抱強い指導はできないわけで、結局しなかったのかもしれませんが、それでも可能性はあったなと、今頃になって思うわけです。
あれから20年近く、あの子も20代の半ばです。どんな大人に育っているのか、宴会や会食会で困ってはいまいか、家庭人となって食事の準備に苦労していまいか、やはり気になるところです。
(この稿、終了)