カイト・カフェ

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「正義が達成され、誰も幸せにならない」〜医療現場と学校の男女平等問題 1

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  夏休み中に起こった事件や問題となった社会事象の中で、特に心惹かれたのは東京医科大学の不正入試です。

【昭和な、あまりにも昭和的な】

 コネや情実による入学というのは私が大学受験をした四十数年前にも噂としてはあったものの、私自身にアテがあるわけではなく、周囲にもそれらしき人はいなかったのであまり気にならないところでした。
「そうした恩恵にあずかるヤツはいる。しかしほんの一握りで、自分が入試で相手にしなければならないのは普通の受験生たちだ。コネで入るヤツのことなど気にしている余裕はない」
 そんな感じだったと思います。“実力で入るんだ”という意気込みがありましたから、不正入学するような人間の屑は、最初から相手にしない気概もありました。

 しかし女子受験者が一律に得点を下げられていたというようなことだったら、当時の私も憤慨したと思います。本人が望みもしないのに、何人かの男子は下駄をはかされたのですから気の毒です。意図せず悪人の仲間入りさせられるのはかないません。

 ところで、それにしても平成の御代。今もあんな昭和な不正入試が行われていたとは、本当にびくりしました。そんなことを続けていて、そのまままかり通ると思う神経が分かりません。誰か一人がほんの少しの正義感を働かせSNSに書き込むだけで、日本中の関心が一点に集まり、あることないことガンガン掘り返される時代です。それを恐れることもなくよくぞ続けられたものです。その肝っ玉の太さに舌を巻きます。

【女医は状況に理解を示す】

 今回この問題を取り上げたのは、しかし不正入試に呆れ、憤りを感じたからではありません。  その後NHKが報じた次のニュースのためです。 (2018年8月8日 NHK「女性医師の6割『東京医大の女子減点に理解』背景に無力感か」
 それによると、
 東京医科大学の入試で女子が一律に減点されていた問題について、女性医師を対象にアンケート調査をした結果、大学の対応に何らかの理解を示す人が6割を超えたことがわかりました。専門家は、医師の長時間労働に女性医師が無力感を感じていることの表れだと指摘しています。
(中略)
 この問題について、女性医師向けのウェブマガジンを発行している企業がネット上でアンケートを行い、103人から回答を得ました。

 このなかで、大学の対応について、意見を聞いたところ「理解できる」(18.4%)と「ある程度理解できる」(46.6%)を合わせた回答は65%に上りました。

 その理由を聞くと「納得はしないが理解はできる」とか「女子減点は不当だが、男性医師がいないと現場は回らない」といった意見、さらに「休日、深夜まで診療し、流産を繰り返した。周囲の理解や協力が得られず、もう無理だと感じている」など大学の対応がおかしいと感じながら厳しい医療現場の現状から、やむをえないと考える女性医師が多いことがわかりました。
(以下略)

 女性が差別されて不利益を被った問題について、他ならぬ女性から、しかも女子受験生たちが目標としたはずの女性医師たちから「女子医学生の排除は理解できる」という声が上がったのです。それだけを考えれば女性の重大な裏切りです。びっくりしました。
 しかしここは、裏切り者の誹りを受けても明らかにしなければならないことがあったと解釈すべきなのでしょう。それだけ、今日の医療の場は大変だということなのです。

【医者が休むことは患者の命に関わる。さりとて休まなければ医師の命が危うい】

 先日、米アリゾナ州の病院で集中治療室の看護師16人が同時に妊娠したという話がニュースになっていましたが(2018.08.19CNN「看護師16人が同時に妊娠、全くの偶然 米病院)、人数比で言えば医師の場合、数人休んだだけで看護師16人分に匹敵する大事にります。「男性医師がいないと現場は回らない」はそういう意味でしょう。
 同僚の医師が二人も三人も、やれ悪阻だの検診だの、体調が悪いだの、あるいは息子が発熱だの事故だのといって休まれたのではかなわないのです。同じ医師として、負担が増えるのは我慢するが、医師の不足はしばしば患者の命に関わります。だったら最初から女性を差別的に排除しても、男性医師を確保しておいたほうがいいーー、それが彼女たちの判断なのでしょう。

 もちろん「女医が半数いても、その上で何人休んでも、過怠なく回っていくような体制づくり」が理想ですが、都市と地方の格差さえ解消できない状況で十分な医師の確保などできるはずもありません。それは私たちにも理解できることです。

 不正入試を許さないと正義を振りかざすのは簡単ですが、新たな体制づくりの妙案がなければ、公平な入試という正義が達成されても、誰も幸せにならない、そういうことになりかねません。

(この稿、続く)