「娘を生贄に捧げるとき」〜目黒女児虐待死事件より③

【嫌いだからといってイジメるわけではない】

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 ウサギを三羽飼っていたことについてはこのブログで何回かお話ししました。
 好きで飼っていたのではありません。よんどころない事情で我が家にやってきたので面倒を見ていただけです。それでも先日、そのうちの一羽が死んだ時は少し悲しい気がしました。

 動物はどれもこれも特に好きではないのですが、ネコだけははっきり苦手です。
 まだ10歳くらいの頃、泊まりに行った祖母の家で夜中に寝苦しくて目を覚ましたら、胸の上に祖母の飼いネコが座っていて、目の前20㎝くらいのところでじっと私を見ていたのです。それでビビっていまだにいやなのです。

 しかしだからと言ってそれでネコをいたぶるとか殴るとかいったことをするわけではありません。私自身がしないばかりか、誰かがそれをしているとしたら、それを見るのもいやです。嫌いであることと虐待することとは全く違います。それはあたりまえです。

【絶対的服従

 目黒の女児虐待死事件の母親は、毒親、毒婦、鬼女、悪魔と言われていますが、まだ前夫と一緒の頃、義理の両親の家に遊びに行ったときなどは、3人仲良く、娘のことも可愛がっていたといいます。仮にそののち子どもに対する興味をうしなったとしても、それと虐待とは別でしょう。
 自分のお腹を痛めて産んだ子だから可愛いはずだなどとは申しません。しかし仮にも人の子なのです。一個の命がのたうち回って死んでいこうとするとき、それを黙って見ていることができるとしたら、そこには何かの説明が必要になります。

 母親はそれについて、
「自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い見て見ぬふりをした」
と説明しています。
 見て見ぬふりをしなければ壮絶な暴力にさらされたということでしょうか。それとも妻であるといいう立場を心配してのことなのでしょうか。
  いずれにしろ神の前に息子を差し出したアブラハムのごとく、彼女は黙って娘を生贄にしたのです。その絶対的服従は何に由来するのでしょう?

アダルトチルドレン

 「アダルトチルドレン(AC)」という言葉は現在どの程度まで有効なのでしょうか。ネット上では今も散見しますが、ここのところ長らく耳にしない言葉です。
 実は1990年代の中ごろ、この言葉を紹介した本が出た当初から「アダルトチルドレン」は揺らぎの大きな用語でした。一時は「大人になり切れない子ども」「子どもっぽい大人」と言った意味でも使われましたが、現在は「機能不全家庭で育ったことによるトラウマを抱えた子どもが、そのまま大人になった」――という考え方、現象、またはその人を指すことになっています。
 しかし家庭問題に限らず、幼少期に追ったトラウマを抱えたまま大人になる例はいくらでもあるわけで、その意味で「アダルトチルドレン(大人になった子ども)」とあえて言う必要もなく、だからこの用語が廃ったという側面もあるのかもしれません。

 私も「アダルトチルドレン」が輸入されブームになったころには一時期夢中になって調べたものですが、今はまったく使うことがありません。もうほとんど忘れかかった言葉です。
 ただしそれでも気になるのは、「アダルトチルドレン」という概念がつくられた経緯について深く思うことがあるからです。

【あの人たちは似ている】

 それは1970年代、アメリカのアルコール中毒治療院での話です。
 ある時期からそこに勤める看護師たちが不思議な事実に気づき始めたのです。それは患者に付き添って来院するアル中患者の妻や娘たちが、それぞれ生まれも育ちも違うのに見た感じがそっくりだということです。

 どの女性たちも控えめで献身的で、どこか自信なげで自己否定的、総じて考え方がネガティブなのです。さらに話を聞いていくと、ほとんどがアルコール中毒患者の親の元に生まれ悲惨な成育歴を持っているのです。つまり妻たちはあれほど苦労させられた父と同じタイプの男性を配偶者としており、その娘たちもまた、似たような男と結婚しているのです。

 この認識はやがてケースワーカーの間で共有され、似たような性格を持つ家族は「Adult Children of Alcoholics(アルコール依存症の親の元で育ち、成人した人々)」と呼ばれるようになります。
 さらにその後、研究者によって単にアルコール中毒患者の家族だけでなく、機能不全家庭(内部に対立や不法行為、DV、虐待などが恒常的に存在する家庭)で育った子どもにも、同様に特徴が認められると考えられるようになります。

だめんず・うぉ~か~】

 それを「アダルトチルドレン」と呼ぶかどうかは別として、アルコール中毒に限らず、どう見てもロクでもない男に好んで近づいていく女性たちのいることを、私たちは知っています。
 古いところでは演歌の中に「悪い男に無性に魅かれる女性」という構図が出てきます。「悪い男とひとは言うけど・・・」といやつです。
 比較的新しいところでは評判になったマンガ『だめんず・うぉ~か~』に登場する「ダメ男(だめんず)」の大部分はロクでもない男か悪人です。
 また、実体験としても、そうした関係をいくつも見てきました。

 余談ですが若いころの私は“いつまでも結婚できない男”のひとりでしたので、「ロクでもない男と従順な妻」という組み合わせにはずいぶんと首を傾げたものです。私も大したことはありませんが「アイツよりはマシ」、そんなふうに思っていたのです。
 なぜ私を差し置いて、あんなつまらない男が美女を手に入れることができるのか、あんな悪い男の周辺にウブな女性が絶えないのか、それは大きな謎でした。


 「アダルトチルドレン」は、目黒女児虐待死事件の母親を説明するのに都合がいい概念です。彼女が「だめんず・うぉ~か~」であったかどうかは分かりませんが、今回亡くなった娘を二十歳のときに産んで、わずか2年後には現在の夫と再婚しているのですから、常に男性の近くに貼りついていなければ生きて行けない女性だったのかもしれません。
 今の夫はロクでもない人間ですが、前夫についても、現在は実家で出入り禁止となっているそうですから、かなり難しい人だったのでしょう。

 しかし実際にどういう育ちをしてきた、どんな女性なのか――。普段は詮索好きで人の気持ちなどお構いなしにズカズカと入り込んで報道するマスメディアが、今回に限って、彼女の経歴や周辺取材の結果を出さないのは、むしろ暗示的でもあります。あえて報道しないか報道できない――。
 しかしその部分をしっかりと分析しなければ、この種の児童虐待は根本的な解決どころか、そのとば口にさえ立つことはできません。

 

【娘を生贄に捧げるとき】

 目黒虐待事件は基本的に、妻を殴ったりいたぶったりする代わりに連れ子に暴力をふるった変種のDVです。それによって自己の優越性や自己効力感、万能感、あるいは生活そのものを手に入れようとする卑劣な男の仕業です。
 ところが妻の方は破れ鍋に綴じ蓋、そんな悪魔の要求に果てしなく従順になれる女性、そうなるべく育ってきた人なのです。
 依存的で自己肯定感が低く、自立性に欠け、男にすがって生きるしか生きるすべをもたない女性。
 先ほどの証言をもう一度引用すると、
「自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い見て見ぬふりをした」
 そう生きるべく運命づけられた女性なのです。

 その最期のとき、
「もうご飯を食べられない」
と呟く5歳の娘の口に食事を運びながら、母親は涙も出さない無表情でその時間に耐えていたに違いありません。
 何に耐えるのか、何のために耐えるのか――何も分からないまま耐えることには子どもの頃から慣れていました。