カイト・カフェ

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「和歌山のドンファンからモーツアルトのドンジョバンニへ」〜気ままに調べることの面白さ

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(オノレ・フラゴナール「かんぬき(閂)」)

 以前にも申し上げましたが、世の中の重要な事件は金曜日に起こることが多いので、翌週はじめの記事はしばしば時期遅れのとぼけたものになりがちです。
 そうは言ってもしかたないので、2〜3日、そうした時期遅れの箇条書きのような記事を書いておきたいと思います。

【和歌山のドンファンのこと】

 あまり興味のない事件です。
 22歳の新妻が「半分、黒い」どころか状況証拠真っ黒で、いつ逮捕されるのかと世間は鵜の目鷹の目ですが、これで本当に犯人だったとするとあまりにも浅はか。10年我慢すれば晴れて未亡人長者、我慢できずに2〜3年で別れても「1億〜2億は紙くず」という人の妻ですから慰謝料だけでも大したものになったはずです。何も殺すことはなかった――、と私は思うのですが。
 どうか彼女が犯人でありませんように。アホで殺人犯では気の毒です。

 さて、興味はないと言いながら「4000人の美女に30億円貢いだ男」というのでつい(30億円÷4000人)を計算してみたら答えはたったの75万円。何か拍子抜けしてしまいました。言う割にはケチ臭い。
 もっとも美女4000人は大したもので、実質的に40年で達成したものなら1年間に100人、毎週2名。50年間で達成したものだと考えても80人、4日半につき一人というすさまじさです。
 将棋の対戦相手とか喧嘩の相手を探すという話ではないのです。きちんとお付き合いしてくれる人を週2人ペースで口説き落とすだけでも大変ですが、これだけの大金持ちだと逆にしがみついて離れない女性もいそうで、それを振りほどくのも容易ではありません――と、ここまで計算して来たら俄然興味が沸いてきて、検索にかけたらこんな記事が出てきました。
『私はこうして「美女4000人」に30億円をつぎ込んだ〜実名告白 相手には有名人も!』週刊現代2016)

 そこで中身を読んだら何ということはない、銀座の高級コールガール(←この言葉、今でも通じるかな?)斡旋クラブみたいなところで金を払って紹介してもらうのが基本的なやり方なのです。
 “毎週2名、一人につき75万円”もこれなら頷けます。衰えぬ体力と劣情には感心しますが、それ以上のものではありません。
 これのどこがドンファンなのか。単なる成金スケベ親父じゃないかと再び興味を失いかけたのですが、そのときふっと、「ドンファン」ってどんな男だったっけ?と、本質的な疑問が浮かんできたのです。
 「ドンファン」がプレイボーイのことだというのは知っていましたが、それ以上のことは分かっていなかったのではないかと、急に思い始めたのです。

【スペインのドンファン

 そこで「ドンファン」を調べると、
ドン・ファン(西: Don Juan)は、17世紀のスペインにおける伝説上の放蕩児のことで、プレイボーイの代名詞として使われる」Wikipedia
と簡単に出てくるだけです。続けて、
「元になった伝説は簡単なもので、プレイボーイの貴族ドン・ファンが、貴族の娘を誘惑し、その父親(ドン・フェルナンド)を殺した。その後、墓場でドン・フェルナンドの石像の側を通りかかったとき、戯れにその石像を宴会に招待したところ、本当に石像の姿をした幽霊として現れ、大混乱になったところで、石像に地獄に引き込まれる」
 何か分かったような分からないような話です。

 それでも一応分かったことにして先に進むと、付録のように付いた一文にこんなものがありました。
日本語では、英語風に「ドン・ファン」(英: Don Juan)、イタリア語風に「ドン・ジョヴァンニ」(伊: Don Giovanni)、フランス語風に「ドン・ジュアン」(仏: don Juan)とも呼ばれる。

 え?ドンファンとジョヴァンニは同一人物なの?

 そこで慌ててモーツァルト「ジョヴァンニ」のあらすじを調べたら、これがなんと「ドンファン」の物語とまったく同じ。
 呆れました。

モーツァルトドンジョバンニ

 クラシック音楽は子どものころからそこそこ聞いていたので嫌いではないのですが、レコードがとてつもなく値段の高い時期の育ちなのでそれほど熱心に取り組んだというわけではありません。しかしその間ずっと気になっていたのがモーツァルトです。

 世にベートーベンファンもいればショパンのファンもいます。バッハが好きという人もブラームスが好きという人もいくらでもいて、それはひとそれぞれなのですが、私の感覚だとモーツァルトファンだけが格別というか、異常です。ほとんど宗教めいていて、神のようにあがめ、騒いでいる、そんなふうに見えます。
 そのモーツァルトが、私には分からない。
 軽やかで華やかで、とても気持ちの良い音楽だというのは知っていますが、けっしてあがめるようなものではない。

 しかし同時に、ものすごくたくさんの人たちが熱狂するものを、私がさっぱり分からないというのもかなりシャクで、1985年にモーツアルトを主人公とする映画「アマデウス」が上映されるとそれを機に、集中的に聞いてみようとしました。
 取っ掛かりとして「アマデウス」の中でとても印象的だった「夜の女王のアリア」の入っている歌劇「魔笛」から始めることにしました。モーツァルトの最高傑作と言われるものです。
 しかしそれは私の音楽人生にとってはあまり良いことではなかったのかもしれません。

 映画の中でも正しく表現されていましたが、「魔笛」の上演されたのは場末の劇場、野卑な人々が酒を飲みながら大騒ぎで鑑賞するような場所です。つまり「魔笛」は、日本で言えば大衆演劇のような歌劇で、それだけに分かり易いと言えば分かり易い。物語としては面白おかしいのですが、現代の感覚からするとまるで深みがありません。ひとことで言って、まったくくだらないのです。

 おそらくレーザーディスク(当時あった直径30㎝もあるDVDのようなもの)を借りてきて観たか、Eテレの特集で観たかのどちらかだと思うのですが、2時間をまるまる費やすのはほんとうにもったいなかった、そんなふうに感じました。

 今から考えるとオペラの鑑賞の仕方を知らなかっただけです。
 「ドンジョヴァンニ」についても映画「アマデウス」の中でとても印象的に使われていて、冒頭の「ドンジョヴァ〜〜〜ンニ」という部分はいつまでも頭の中に残りました。しかしその後あらためて見てみようという気にはなれず、オペラから遠ざかてしまったのは、今から考えると本当にもったいないことでした。

 今回調べると、それは「ジョヴァンニの地獄落ち」と呼ばれるたいへん有名な場面で、そこだけを見てもなかなか感動的だったはずです。
 Youtubeに「アマデウス」とは別の動画がありましたので、下に張り付けておきましょう。すごいですよ。
〔DON GIOVANNI -Commendatore- HD 1080]

【新たな発見】

 さて今回、和歌山のドンファンから始まって、スペインのドンファンからモーツアルトのドンジョヴァンニまでたどり着き、あれこれ読んでいるうちにまた別の発見がありました。

 モーツアルトの、これも有名な歌劇「フィガロの結婚」、それってロッシーニの「セビリアの理髪師」の続編だって知っていました? しかも第二部の「フィガロの結婚」が1786年の作曲なのに対し第一部「セビリアの理髪師」は1816年の作品なのです。前後逆につくられている・・・。
 では、一部二部とあるのだから第三部はあるのかというと、元となった戯曲には第三部「罪ある母」がちゃんと存在するのです。その第三部をオペラ化してモーツアルトロッシーニに肩を並べようという作曲家は、さすがに今日まで出ていません。それはやはり無理というものでしょう――と、そんなふうに思いこんでいました。そこまでが私の知識でした。

 ところが実はいたのです。1964年にフランスのミヨーという作曲家が果敢にも「罪ある母」に取り組み、しかし残念なことに著しく不評で、モーツアルトロッシーニに肩を並べるというわけにはいかなかったみたいです。

 どんなことにしろ、興味あることに一日中取り組んでいると、何かしら面白い発見はあるものです。