エンゼルス・スタジアム(PhotoACより)
野球関係のニュースを拾い読みしていたら『メジャーの大舞台で「ゴミ」を拾った大谷翔平 今の活躍を支えるのは「メンタル」の強さ』(2018年04月17日)という記事に出会いました。
toyokeizai.net
今月11日(現地時間)のレンジャーズ戦で、8回の表、四球で一塁に出た大谷が牽制球を投げられて塁に戻る際、ラインの内側に落ちていたゴミを拾ってファウルゾーンに投げ出したというのです。筆者はそこに大谷選手の成長を感じ、彼のほんとうのすごさはメンタルにあるのではないか、といったことを結論としています。
記事の内容はともかく、その中にとても素敵な一文を発見したので紹介いたします。
実は、大谷翔平は意識してグラウンドのゴミを拾っている。2015年、チームの大先輩、稲葉篤紀(現侍ジャパン監督)が、ベンチ前のゴミを拾ったのを見て感動して、それを真似るようになったのだ。彼自身はそれを「人が捨てた”運”を拾っている」と表現した。
【ゴミを拾う意味】
私たちは子どもに「部屋を散らかしてはいけません」「ゴミを拾いなさい」と教えます。遠足などでは「来た時よりも美しく」「クリーン大作戦」などといって他人の捨てたゴミまで拾わせようとします。そのときなぜそうしなければならないのか、何と説明しているのでしょうか。
もちろん説明など必要ないという立場もあります。物事には説明するとかえって矮小化してしまう場合だってあります。
ゴミ拾いや清掃なんて、毎日きちんとさせていれば自然と意味は分かる、それは言葉で説明することよりずっと価値のあることだ。
――それは間違いのない事実なのですが、言葉で説明することで取っ掛かりがずっと楽になるということだってあります。とりあえず始めないと理解は進まないわけで、その意味では説明できる言葉を別に用意しておくことだって無駄ではありません。
その意味で、「ゴミを拾うというのは『人が捨てた”運”を拾う』ことなんだ」というのはなかなかいい筋の説明だと思うのです。
ゴミを捨てる人と拾う人の生き方を考えてみるとすぐに分かることです。
【捨てる人と拾う人】
ゴミを捨てることのできる人は、とりあえず“自分の責任を他人に押し付けることができる人”です。誰かが拾うかもしれない、誰かが嫌な思いをするかもしれないということに頓着しないで済む人――。
その人はまた、“美しい”ということにも無頓着です。“美しい”ということが分からない。
美を学ぶというのはかなり大変な修行で、モーツァルトの曲が美しい、ピカソの絵が美しい、秋の紅葉が美しい、善き人の善き行いが美しいとすべて感じられるようになるために、どれほどの学習が必要か、考えてみるとすぐわかることです。したがって彼は“教養のない人”だという言い方もできます。
その人はまた“自分のゴミを持ち帰らない”という意味で、“気配りのできない人”です。“横着者”なのです。
自分がゴミを捨てる場面を、誰かが苦々しい思いで見ているかもしれないという恐れを持たない人、つまり“恥知らず”でもあります。
さて“自分の責任を他人に押し付けることのできる人”、“美しいということが分からない”“教養のない”、“気配りのできない人”。“横着者”で”恥知らず“。――そんな人間の人生を思い遣ってみましょう。うまく行くはずがないですよね。そんな人を普通の人間は相手にしません。自ら運を捨てているようなものです。
では逆の人はどうか。
“責任を回避せずに背負うことのできる人”、“美の何たるかを知り”、“教養にあふれ”“気配りのできる人”。“勤勉”で“自尊心の高い人”。
そいう人間の周囲には、とうぜん人も運も近づいて来ます。
つまりゴミを拾うというのは、そういう自分であること、そういう人間に近づくことなのです。
子どもたちにも教えてあげたいですね。
私には孫のハーヴくらいしかいませんから、年頃になったらそう教えてあげましょう。
【追記:訃報】
バーバラ・ブッシュさんが亡くなったそうです。ジョージ・H・W・ブッシュ、つまりパパ・ブッシュ大統領夫人でジュニア・ブッシュ大統領のお母さんです。
www.afpbb.com 私はこの人に格別の想いがあります。ファースト・レディとはかくあるべき、といった出来事があったからです。すごくカッコウ良かった!
kite-cafe.hatenablog.com 安倍昭恵さんもきっといい人だと思うのですが、バーバラさんの凄さからも学んでほしいところですね。