「桜、桜」〜明るさと、妖しさと、アホらしさと・・・

 

f:id:kite-cafe:20181216131737j:plain


【桜吹雪の入学式】

 ふと気づくと満開で、今年は桜吹雪の下の入学式になりそうです。

 私のところは例年だと入学式の一週間後から二週間後が満開ですから、今年はずいぶんと早いことになります。というか、つい数日前までまだ10日はかかると思っていたくらいですから、ここにきて一気に花咲いた感じです。

 

 逆に、覚えている限りで最も遅い桜は私が教員になった35年前の春のことで、5月の1日だったか2日だったか、すっかり葉桜になっているはずの遠足の目的地が満開で、有り余る桜を生徒とともに満喫したことを覚えています。

 超がつくくらい有名な桜の名所ですので、その2週間ほど前の桜祭りにはたくさんの屋台も並び、大型バスが何台も連なって押し寄せていたはずです。つぼみを見に。それがほとんど無人なのですから呆れました。

 その公園も今年は今が満開とか。あの日と比べると一か月も早いわけです。いろいろありますね。

 

 

【死のイメージ】

 さて、「花は桜木、人は武士」と言われるように、桜はその散り際の良さから武士と重ねられることが多く、そこから明治時代に陸軍兵学校がつくられると桜の季節を入学期と定め、それが全国に広まって学校が4月はじまりとなったと言われています。ただし「花は桜木、人は武士」に続く言葉は、「柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの」(一休禅師)だそうで、「春はあけぼの」と同じでそれぞれの項目で優れたものを羅列したに過ぎません。一休さんが人の死を美化するはずはないのです。

 

 しかし一休禅師はそうでなくても、やはり「桜」と「死」は結びつけられやすいようで、西行法師の「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」は特に有名で、私も好きです。

 どうせ死ぬなら、そのくらい美しく死にたいものです。

 

 また昭和初期の小説家、梶井基次郎の「桜の樹の下には」では、桜にまつわるおどろおどろした死のイメージが延々と語られています。  

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!

 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 

 紅白歌合戦で何回も歌われた坂本冬美さんの「夜桜お七」は、歌舞伎で有名な「八百屋お七」と現代の女性を重ね合わせた歌ですが、

「さくら さくら いつまで待っても来ぬ人と 死んだ人とは同じこと」

などと歌われると背筋も寒くなります。

 やはり桜には、何か妖しい雰囲気が漂うようなのです。

 

 もっとも、そうは言っても、桜の下を駆け足で入学してくる子どもたちはひたすら元気ですし、夜桜もその下で酔っ払いたちが大騒ぎしていたりすると妖しいもへったくれもないのですが――。

 

 

【桜と護岸】

 ところで、桜と言えば堤防の上を延々と続く桜並木が全国あちこちで見られますが、あれはなぜだかご存知ですか?

 堤防並木と言えば、機能的には松の方が向いているようです。養分や水分が足りなくても良く育ちますし、長くしっかりした根は堤防の土をしっかりと掴んで崩れにくくしてくれます。おまけに松の落葉は燃料として庶民の役にも立ちます。

 桜はそれに比べると根も浅く、花がきれいというだけで何の使い道もありません。その花も、春先に咲いてあっという間に散ってしまいます。ところがその「春先に美しい花が咲いてあっという間に散ってしまう」がとても大切なのです。

 

 堤防というのはもともとが人工の構造物ですから、壊れやすい性質を持っています。特に冬の間、何度も凍って霜柱を立てまた解けるということを繰り返していると、どうしても土が緩んできてしまいます。そこに大量の雪解け水が流れてきたりするとひとたまりもありません。ですから冬が終わるたびに、人々は総出で土固めの作業を行っていたのです。

 ところが、知恵者はいたものですね。桜を植えれば冬の終わるころ、花を見に来る人がどっと押し寄せ土を踏み固めてくれる、そう考えたのです。しかも花は数日で散ってしまいますから来る人数は半端ではない。圧が違う。それで毎年、労せずして堤防がしっかり固まるのです。  

 そう思って改めて見ると、堤防に桜が植えてあるのは人が集まりそうな範囲で、それより上流になると桜より松の方が多くなっている気がします。さすがそこまで花見客は来ないだろうという場所は松なのです。

 

 

【そう言えば】

夜桜お七」のところで思い出したのですが、小柳ルミ子さんのヒット曲に「桜前線」というのがありました。題名の読み方はもちろん「さくらぜんせん」なのですが、私はなんと数十年に渡ってこれを「さくらまえせん」と読み、てっきりどこかのローカル鉄道の名前だと思い込んでいたのです。

 

 ですから歌番組で、

「では、柳ルミ子さんの、『さくらぜんせん』をお聞きください」 と言ったとき、それこそ椅子から転げ落ちんばかりにびっくりしました。私としたことが、なんというアホな勘違か。

 

 あまりにもアホな話なのでさすがに調べる気になって歌詞を探すと、この歌、歌詞の中に「桜前線」はおろか「桜」の「さ」の字もないのです。そのうえ一番の三行目は、

「ローカル線で 見知らぬ人と、膝つきあわす 恥ずかしさ」

 

 作詞は麻生香太郎という人らしいのですが、これ、最初からハメるつもりでやってますよね?

 まんまと騙された人、つまり「桜前線」を「さくらまえせん」と読んでローカル鉄道の名前だと思い込んでいた人、全国に私以外に100万人はいますよね?