カイト・カフェ

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「テレビが映し出す世界―70年代の破廉恥」 〜(goo)今では信じられない!昭和の常識ランキング 3

  『「まさか2017年に『ホモ』という言葉をテレビで聞くとは思わなかった」フジの番組で物議 』(2017.09.29 BuzzFeed News )というニュースがありました。

 9月28日夜9時からフジテレビ系で放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」で、石橋貴明扮するゲイのキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」が30年ぶりに登場、笑い者にしたとのことです。  センスの悪さこの上ない。

 しかしこのニュース、要するに30年前はLGBTをからかうのは全く問題なかったというテレビの本質を表していると言えます。まさに「今では信じられない!昭和の常識」です。

【今では信じられないテレビの常識】

 先月25日のgooランキング「今では信じられない!昭和の常識ランキング」でもテレビに関するものですがかなりありました。

9位 ゴールデンタイムのテレビ番組で女性の裸が放送されていた 95票
23位 絵が動かないテレビCMがたくさんあった 53票
27位 一般人にドッキリを仕掛けるテレビ番組があった 46票
28位 テレビのゴールデンタイムで毎週プロレスを中継していた 45票
30位 テレビから流れる音楽を息を潜めて録音する  44票
33位 テレビが映らない時は叩くと直る 42票
39位 素人参加番組がとても多く、その殆どで賞金や商品が貰えた 34票
45位 テレビは一家に1台。家族でチャンネル争いをしていた 26票

 まず9位に輝いたゴールデンタイムのテレビ番組で女性の裸が放送されていた
 Youtubeなどで確認すればすぐに分かることですが、今も続いている志村けんの「バカ殿シリーズ」も30年ほど前の“ウリ”は女性の裸です。若い腰元の帯を解いて裸にするとか入浴シーンとかは、毎回必ずありました(と聞いています。見ていないの知りませんが――ということにしておいて)。
 「11PM(イレブン・ピー・エム)」などの深夜番組では、裸ばかりかその女性に直接触れるといった場面も頻繁に出てきました。

「一般人にドッキリを仕掛けるテレビ番組があった」については、さらにはっきりとした、強い記憶があります。それはこんな場面です。

 スキー場のゲレンデ頂上付近にある温泉施設(それ自体が大掛かりなセット)で、男性客が湯上りに大きな椅子でゆったりと休んでいる。すると突然その椅子が180度後ろに回転し、目の前の壁が外側に倒れて雪景色が全開にると、そのまま椅子が発射する――その椅子は実はソリになっていて、そのままものすごい速さでゲレンデを滑り下り終わると最後は雪山に突っ込んで止まる、そういう仕掛けになっているのでした。
 極寒の場所で全裸で、とんでもない恐怖に襲われたあと、痛い思いをしてひっくり返る。そこにタレントがプラカードを持って現れ、「ドッキリ・カメラ! 大成功!」とか叫ぶわけです。そして記念撮影。全員でニコリ笑ってそれでOKです。

 昔のテレビマンは、番組に出してやりさえすれば一般人は喜ぶと思い込んでいました。たまには怒る人もいますがその方が変人で、普通は喜ぶと。だからドッキリ番組の餌食にすることに、何のためらいもなかったのです。

 “一般人”の方も、それが怒るべきことだと気づくまでに時間がかかりました。テレビは強大であり権威であり、逆らうことが無理だと思われていたのです。
 おそらく人権意識というのはそういうものなのでしょう。これはダメだと誰かが言わない限り気のつかないこともあるのです。

【テレビはいつから崩れたか】

 では、テレビは始めからそんな状態だったかというとそうではありません。

 テレビ放送を最初に行ったのは1953年2月のNHK、続いて8月には日本テレビが参入し、その後TBS(1955年)、テレビ朝日(1957年。当初はNET日本教育テレビ)、フジ(1959年)と出そろい、60年代半ばにテレビ東京(1965年、当初は東京12チャンネル)が加わって東京キー5局が揃います。

 私はテレビと同じ1953年生まれですので、テレビ放送の変遷を、記憶を整理しながらいつかきちんと書き留めておこうと思っているのですが、今は先を急ぎます。

 番組内容から見て行くと、1950年代は手探りの番組手工業時代(今日から始まるテレビ朝日トットちゃん」(12:30〜12:50)では黒柳徹子さんの青春時代として描かれると思います)。
 1960年代はアメリカから買いつけたドラマやバラエティの助けを借りながら、今も名の残る(そして番組自体も残る)日本独自のテレビ放送を作り上げていった時代。そして次が狂乱の70年代です。

 その直前の1969年、伝説のバラエティ番組「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」「ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』」「『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』がほぼ同時に始まります。
 翌70年にはテレビドラマで銭湯を舞台とした「時間ですよ」が始まり、PTAから正式に中止を申し込まれた「ハレンチ学園」がも人気を博しました。先ほど出た「ドッキリカメラ」も70年です。 

【70年代の破廉恥】

コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」は“裏番組”のNHK大河ドラマを「ブッ飛ばせ!!」と意気込んだものですが、それに近い破壊力がありました。
 萩本欣一・坂上二郎コント55号)という卓越したコメディアンが丁々発止の活躍をする番組で、それだけで十分だったのに「野球拳」が最大の“ウリ”で、ジャンケンに負けた女優さんが一枚一枚服を脱いでいく姿を、国民は食い入るように見つめたものです。「11PM」のような深夜の大人向け番組でしか見ることのできなかった女性の裸が、平気でゴールデンタイムに降りてきたのです。

 また、『8時だヨ!全員集合』は公開収録のコント番組で、主として小学生が対象だったにも関わらず、加藤茶はストリッパーの姿で「チョットだけよ〜」と言って媚びて見せるとんでもない番組でした。
 私は高校生でしたが、子どもである私でも眉を顰めるような番組が、平然と土曜日の夜8時から放送され、子どもたちの喝采を浴びていたのです。

 1994年11月、愛知県の中学2年生がいじめによって自殺するという事件がありました。学校を糾弾する声は日本全国津々浦々に広がり、私たちは教員であること自体が罪であるような重い気持ちを抱えて暮らさなくてはなりませんでした。しあしその時ですらテレビはドリフターズを使って「本人が断らなければイジメはしてもいい」というメッセージを送り続けていました(昨日のこと - カイト・カフェ《「昨日」というのは文中にあるタレントの、飯島愛さんの遺体が発見された日のことです》)。

 若い人たちに申し上げておきます。  私たちの世代の人間が、「昔はもっと道徳的だった」とか「今の若者は道徳心に欠ける」とか偉そうに言ったら、すぐに反論しなくてはいけません。 「そんなこと言ったって、どうせ若いころは家族みんなで『8時だヨ!全員集合』、見てたんでしょ? 『野球拳』で喜んでたんでしょ?」 

【その他もろもろ】

 素人参加番組がとても多く、その殆どで賞金や商品が貰えた
 確かにそうでした。提示されたものの値段をノーヒントでズバリ当てると100万円相当の電化製品一式がもらえた「ズバリ当てましょう」や、「がっちり買いまショウ」。今も続いている長寿番組「新婚さんいらっしゃい」も、最後のゲームで高額賞品が当たる仕組みになっています。
 私はそれがとても卑しい感じで、好きになれませんでした。

 テレビは一家に1台。家族でチャンネル争いをしていた
 それは民主的な家庭のできごとであって私の家は違いました。父がこうだと決めたら必ず履行されなければならなかったからです。では、父の留守の時は家族で全員で民主的な「チャンネル争いをしていた」かというとそれもないのです。
 私の生まれ育った田舎ではチャンネルはNHK総合と(当時は教育テレビといった)Eテレ、そして民放1局しかありませんでしたからケンカにならないのです。見たい番組はそんなに簡単に重複しません。そんなものです。

 テレビのゴールデンタイムで毎週プロレスを中継していた
 私の記憶だと、ゴールデンタイムに君臨していたのはむしろ野球の読売巨人戦です。全試合どこかの局で放送していたように思います。絶対君主の父がこだわったのがこれでした。
 ところで「東京のキー局では必ず巨人戦を中継する」というのはいつからなくなったのでしょう。

  テレビが映らない時は叩くと直る
 今でもこういうことありません? 私が最近まで使っていたノートパソコンはCDドライブの接触が悪く、持ち運びをしているうちに動かなくなることがありました。そんなときは反対側からバン!と叩いてやると直りましたが――。            

(この稿、続く)