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「夏休み明けは子どもの自殺が多いという件について」〜二学期当初は自殺を警戒?

 先月末から学校問題として立て続けに挙げられたのは「9月1日前後の子どもの自殺は、一年の中で突出して多い」という話です。
 内閣府が2015年に公表した「自殺対策白書」によると、1972〜2013年に自殺した18歳以下の子どもは計1万8048人。内閣府が分析したところ、多くの学校で新学期が始まる9月1日が131人と突出して多く、9月2日94人▽8月31日92人と9月1日前後も目立った。

 記事のタイトルは「夏休み明け相次ぐ 東京、埼玉で中高生3人死亡」(2017年9月2日 毎日新聞)。もちろん深刻な問題です。先を読むと、
 九州女子短期大の田中敏明教授(児童心理学)は「自殺や不登校は、いじめや友人関係だけでなく、成績や先生との関係など複合的な要因が多い。夏休み中は一時的に解放されるが、学校が始まると再び不安が高まる。新学期は危険な時期だからこそ、多くの人が気にかけているということを子どもに伝えることが大切」と指摘する。
と至極まっとうな話ですが毎日新聞を離れ、ネット上の記事やテレビ番組を見ると同じ事実から、「(子どもが自殺に追い込まれないよう)休み明け、子どもが『学校に行きたくない』と言ったら、無理強いはせず、少し休ませるようなゆとり、ないしは配慮がなくてはいけない」みたいな発言が目白押しでした。

「学校へ行きたくないあなたへ 味方はココにいます。つらければ学校を休んで」
とか、
「学校へ行かないという選択をしている、または考えているあなたはおかしくない。なぜなら学校に行くことは義務じゃないから」 とか――。

【夏休み明けは、それほど危険なのか】

 しかし最初の記事の数字をもう一度計算しなおしてみると1972〜2013年に自殺した18歳以下の子どもは計1万8048人つまり一日平均1.2人ということです。それが8月31日から9月2日までの三日間に限ると計317人、一日平均にすると2.6人で確かに二倍に増えてはいるものの、実数で言えば1.4人増えるだけです。

 一日平均2.6人が大問題なら一日平均1.2人だって大問題でしょう。ことさら「夏休み明けに気をつけて」というようなことではなく、常に気を配るべき問題です。

 誤解を恐れずに言えば、普段は一日1.2人もいる子どもの自殺に無頓着でありながら、夏休み明けに1.4人増えたことを恐れて、何千人もが「学校は義務じゃない」「行きたくなければ休んで」などと囁かれているとしたら、それも問題ではないかと思うのです。

 学校というところは非常に流動的な場で2週間休むと勉強が分からなくなり、一か月休むと人間関係が変わって居場所がなくなり、三か月休むと「その子なし」で学級が平然と動いて行ってしまいます。
 本人にしても、2週間続けて休むと「今さらどの面下げて学校に行けば・・・」ということになりかねません。
 単純に、学校休むと損なところなのです。できれば休まない方がいい。

【いじめだけが自殺原因ではない】

 そもそも「夏休み明け前後に自殺が多い」→「きっと学校に行くのが辛くて自殺するのだ」→「それはいじめを始めとする、学校の人間関係に苦しんでいるからに違いない」→「自殺するくらいなら学校に行かないという選択をした方がいい」という推論自体が間違っているのかもしれません。

 先の毎日新聞の記事にもあったように、
自殺や不登校は、いじめや友人関係だけでなく、成績や先生との関係など複合的な要因が多い のが事実です。

 実際、小・中学生の原因上位3位は学業不振、家族の叱責、親子関係の不和なのです(小・中学生の自殺、原因の1位は「学業不振」 | 舞田敏彦のデータで読み解くDUALな疑問 | 日経DUAL)。
 4番目が「友人との不和」でここには“いじめ”が入るかもしれませんが、どの項ひとつをとっても自殺回避という意味だけなら「学校へ行かない」という選択より「学校に行って担任や養護教諭スクールカウンセラーに相談する」「友達に相談する」「とりあえず(家庭から)学校に避難する」という選択をすべきだと思うのです。

【親として】

 子どもが「学校に行きたくない」と言い出した時、普通の親の第一選択は「学校に行かせる」です。それは間違っていません。
 なぜなら現在の日本で、「学校に行かない」という選択をすることはさまざまにたいへんだからです。エジソンのような逸材が、エジソンの母のような天才によって教育されるならいいのですが、普通の親の元に育つ普通の子は学校くらいきちんと出ていないと、なかなかうまく行かないのです。学校を普通に出ていた方が、少なくとも「楽」です。
 それに何と言っても憲法の規定で保護者には「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」がありますから、それを履行するのは当然です。

 問題はその履行のしかたで、「学校に行きたくない」子をどう行かせるか、そもそも学校に行きたくないという状況を生まないためにはどうしたらよいのか――そこに重点をかけるべきなのです。

 しかしそもそも、学業不振も家族の叱責も親子関係の不和も、まず家族で話し合うべき問題かと思うのですが。