カイト・カフェ

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「話し合ってはいけない、話し合わせてはいけない、話し合いにならない」~最悪の未来①

 最近はなくなりましたが、かつていじめなどの学校問題が発生するとメディアは「子どもたちに話し合わせろ」と盛んに訴えたものです。
 子どもたちに話し合わせれば必ず正しい答えにたどり着く、そして大人が与えたものではなく子どもたち自身が生み出した答えは、必ず守られる。
 そう主張したのです。
 こうした考え方を、私は「たわごと」と言います。

 こんな理想論というか夢想論を信じて安易に話し合いを行えば、いじめを解決するはずの話し合いがみんなで被害者を吊るし上げる魔女裁判になってしまいます。その魔女裁判の結論が「子どもたち自身が生み出した答え」として「必ず守られる」ようだとこれほど恐ろしいことはありません。

 話し合いというのは一度始まったら担任教師であっても簡単に介入できません。自由に言わせておいて途中から「それはダメだ」というのは重大な裏切りです。それくらいだったら最初から授業か説教をすればいいのです。どちらも教師のものですから自由に計画できます。
 どうしても話し合いにしたければ、今度はとんでもなく大量の下準備が必要になります。もちろんそれができる優秀な教師ならいいのですが、私程度の平凡な教師は手をつけない方が無難でしょう。

 子どもに自由に話し合わせていいことと悪いことがあります。子どもと大人の間でも話し合っていいこととそうでないことはあります。いずれにしろ、どこが“落としどころ”か、それを見極めてからでないと、何もできません。
(参考:「ああ言えばこう言う辞典」基礎編の1「話し合いにならないものを話し合いだと思うから難しくなる」)

 さて、しかし今考えているのは、実はそうした教育、もしくは子育ての問題ではなく、国際問題なのです。

北朝鮮アメリカは何を話し合ったらいいのだろう?】

 アメリカにトランプ政権が発足してから、北朝鮮は急速に国際問題のメインテーブルに上ってきました。
 もちろんオバマ時代も大問題でしたし、仮にヒラリー・クリントンが当選していたとしても大問題だったに違いないないのですが、トランプ大統領は何を考えているのか(そもそも考えているかどうか)分からない人なので緊張感もハンパではりません。
 少なくとも空母カール・ビンソンが日本海に向かった4月と北朝鮮がグアムに向けて4発のミサイルを発射すると予告した今月、その2回は「すわ第二次朝鮮戦争か」と高い緊張感が生まれたのは事実です。

 テレビのニュースもワイドショウも連日この話でもちきり。そして大勢の識者・専門家が動員され、芸能人を含む多くのコメンテーターがひとことずつ発します。
「武力解決に走るのではなく、是非とも平和裏に話し合いで解決してほしいですねぇ」
 それが私には分からない。
 北朝鮮アメリカは何を話し合ったらいいのだろう? ということです。

 アメリカ本土を攻撃できる核ミサイルを持つことによって第二のカダフィサダム・フセインにならない道を確保したい北朝鮮と、北朝鮮が先に核とミサイルを放棄するのが(経済制裁解除などの?)話し合いの前提とするアメリカが、同じテーブルに着いても何を話すのでしょう。私のような年寄りの四方山話ではないのです。会って話し始めれば何とかなるというのは楽観主義というよりは冒険主義です。何が出てくるかわかりません。

「是非とも平和裏に話し合いで解決してもらいたいものですねぇ」
といっている人たちはどんな“落としどころ”を想定してそんないい加減なことを言っているのか――私はそのたびに腹を立てながら見ていました。

 ところが、実はその“落としどころ”があったのです。
 17日、韓国の文在寅ムン・ジェイン)大統領が就任百日目の記者会見でその道を教えてくれました。

(この稿、続く)