まだ結婚する以前、同じ独身仲間で酔うと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗々と暗唱する先輩がいました。
〔雨ニモマケズ〕
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル・・・
そして延々と語り続けて、秀逸なのは最後の数節、
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
そう詠って最後の最後が
そういう人を、
妻に持ちたい!!
それがオチです。
その先輩はしばらくすると結婚してしまい(奥さんがどういう人か私は知りません)、この芸は私に受け継がれました。ところがやってみると実に難しい――。
とにかく長いし古いし、飲んでいる最中に宮沢賢治を持ち出すのは教養をひけらかしているみたいだし、ということで聞き手が途中で飽きてしまうのです。そうなるとオチがオチでなくなってしまいます。
ですからそれをどうやって防ぐか、終末に向けていかに意識を呼び戻すか、そこが腕の見せ所で、私はその後も独身が長引いたので修行の時間もたっぷりとれ、腕もずいぶんあげました。
ところがさらに独身が長引くと「妻に持ちたい」がだんだん悲哀に満ちた感じになってしまい、しかたなくそこを「友に持ちたい」に変更して持ちこたえます。少なくとも初めて聞く人には大うけだったからです。
【しかしそれは、あまりにも気高すぎる】
私が茶化して遊んでいた「雨ニモマケズ」、しかし改めて読むと何年たっても色あせない、賢治の想いの切々と伝わる素晴らしい詩です。
このブログでも一度あつかったことがありますが、(2011.04.15「雨ニモ負ケズ」~ワシントン大聖堂に流れた英文の宮沢賢治 )、東日本大震災の翌月、ワシントン大聖堂で追悼と祈りを込めて朗読されたという英語版もそれなりに素晴らしいものでした。
ただしその内容を賢治の夢ではなく、自分自身の目標としてとらえるとそれはあまりにも重すぎる、気高すぎる――なにしろ、
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ですから。
昔だったらまだしも安逸に慣れた今日、とてもではありませんが全部を読み上げた後で
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
とは言えない、言うこと自体がおこがましい、口に出す端から“やっぱムリだな”という分かってしまう、そんな気がしてきます。
「雨ニモマケズ」は座右の銘にはしにくいですね。
【あなたのように――】
ところが最近「雨ニモマケズ」に似て、しかも程よい素晴らしい詩に巡り合いました。それは何の気なしにつけたテレビの中から聞こえてきたのです。
サビの部分らしくゆったりと大きな抑揚のあるメロディーで、しかも妙に懐かしい感じもする――そんな曲で「あなたのように」と言っています。かんぽ生命のCMです。
一度目はテレビから離れたところで、音だけを聴いていたので間に合いませんでしたが、二度目は間に合って画面下のテロップを読むことができました。そこには『DREAMS COME TRUE 「あなたのように」』と書いてありました。
いい言葉です。
慌ててネットで調べると2016年5月のリリースで、元々「かんぽ生命キャンペーンソング」として書き下ろしたものだそうです。だからもう一年以上も繰り返し流れていたのかもしれません。懐かしいと感じたのも知らず知らずのうちに聞いていた――そういうことなのかもしれないのです。
そこで早速Youtubeで確認するとこういう曲でした。(画像をクリック)
その中で私を捉えたのは次の部分です。
あなたのように つよい人で やさしい人でありたい
迷うときには道しるべに そっとなってくれる人
曲全体は宮沢賢治と同じ立ち位置で、自分が理想とする人の素晴らしい部分を数え上げそのようにありたいと謳いあげるものですが、宮沢賢治よりは私たちに少し近い、これなら少しぐらいなら近づけるかもしれないと思わせる、そういうレベルのものです。
【思い出】
文学作品と出会うことの喜びのひとつは、自分が表現したいと思っていながらできなかったことを他の誰かがやってくれたと感じたとき――簡単に言うと「ああ、これがオレの言いたかったことだ」と思う瞬間です。
しかし私がこの曲から感じたのは少し違っていて、敢えて言えば、
「この曲には記憶がある」
「オレはこれを知っている」
「これは自分が高校生のころ、いつも思っていたことだ」
といったものです。それを思い出させてくれた――。
それは今はほとんどなくなってしまった薄暗い「純喫茶」と呼ばれる店内の風景です。
私は当時仲の良かった同級生の女の子と、“人生”の話をしていました。自分はこんなふうに生きていきたいんだ、こんなふうに人の中にいたいんだと、ずいぶん意気込んで熱心に話していたと思います。ただそれは快活というふうではなく、むしろ悲痛な感じだったのかもしれません。当時の私はかなり面倒くさい青年でした。
そのとき彼女は、私の言葉が途切れたのを見て、静かにこう言ったのです。軽蔑の色もなく、尊敬するでもなく、ため息をつくように。
「T君は神様になりたいんだよね」
それで私は理解したのです。単純な反応でした。
「ああ、オレは神様になるんだ」
それはなんだか絶望的な感じでした。
もちろんその後そうした生き方をしてきたわけではありません。十代の意思に反して私はどんどん穢れて行き、その間何度も回心し、思い直し、ああやはり神様のように強く優しく誰かのためだけに生きるような生き方をしたいと思い、そして崩れ、堕落し、また思い直し、そしてやがて忘れてしまった――。
若い頃の私の日々はそういうものだったのかもしれません。
それほど悪い人生を送ってきたわけではありません。しかし若いころ真剣になって誰かのために生きようと思った、そういう強さはその後二度と戻ってこなかったようなのです。