カイト・カフェ

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「それぞれの生き方」〜人は定年を迎えるとどうなるのか

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 昨日の続きです。

 50年近くも続いた仲と言っても男同士です。互いのことを細かく詮索したり家族の話を聞いたりいったことはめったにありません。
 私は昔、この人たちは私が困っていても助けてくれないんじゃないかと思ったことがあります。“助けて”と言えば絶対に助けてくれるけど、そう言わない限り困っていると分かっていても向こうから手を出すことはない――今もそう思っています。
 それが男の仁義ということもありますが、そうして節度を守ることで長く続いてきたという側面は確実にあります。

 そういう訳で定年退職後のこの人たちがどんな暮らしをしているのかはあまり知らないのですが、分かる限りで記してみます。これから定年を迎えようという人には、役に立つかもしれないからです。

【さまざまな人生】

 まず今回参加できなかった3人はいずれもフルタイムの現役です。
 ひとりは医者ですので仕事はいくらでもあります。
 もうひとりは薬剤師で、60歳までは大学病院に勤めていましたが退職後は薬局チェーンの雇われ店長になっています。以前は奥さんが自宅で薬店を開いていたのですが、病気をされたときに閉じてしまった経緯があって、その店を再開してもよかったのですが面倒だったのでしょうね、今さら商売で儲けようという年齢ではありませんから雇われで気楽にやっていこうという腹のようです。
 来られなかった三人の最後のひとりは、東京在住なので正直言って何をしているのか分かりません。

 現役で働いている仲間は参加組にもふたりいて、ふたりとも重役でしたのでそのまま“監査役”みたいな形で残っているようです。さらに“監査役”はもうひとりいて、こちらの方はフルタイムではなく、月一回の出勤で多少の給与がもらえるということなので要するにそういう計らいなのでしょう。

 今回わざわざ東京から参加してくれた仲間がいます。大学4年生の時に公認会計士の試験に受かった当時の出世頭ですが、今は事務所を辞め、スポーツジムとゴルフ場通い、そして区民農園の抽選に当たったので “3坪農地の小作人”(本人の弁)を生業にしているそうです。
 ナスのつくりかただとか連作障害の回避の仕方だの、やたら聞かれました。

 彼も週に一度は事務所に行ってハンコを押すだけの仕事をしているようですが、若いころに二日のアルバイト(他の事務所に応援に行った)だけで30万円もらったという男なので、「ハンコひとつで10万円か? 10万、10万、10万・・・」と押印の仕草でからかわれていました。
「そんなバカなことあるか!」
と本人は言っていましたが、そこまではいかなくてもそこそこの収入にはなっていることでしょう。ただし一般の“そこそこ”とは格が違うと思いますが。

 残りの4人はこれが生粋の無職で、この人たちが日々どのように暮らしているのかは聞きにくく、したがってよく分からないところです。

 特に私以外の3人は奥さんが専業主婦に近い生活をしていましたから、彼らが家に戻ってもやる仕事がたくさんあるわけではありません。町会の役がたくさん来ていて大変だといったことを漏らした仲間もいましたが、私のように妻がフルタイムでガンガン働くため、炊事・洗濯・庭仕事のほとんど回ってきてとても忙しい、といったふうにはなっていないはずです。

 ほんとうに何をやって暮らしているのだろう――ここはやはり一度聞いてみなくてはなりませんね。

 

【まあいいけど少し引っかかる】

 こうしてみると仕業・師業(公認会計士・医師・薬剤師)は60歳を過ぎてもそこそこの収入が得られそうです(ただし“教師”はだめです。同じ“師”でも看護師・保健師は仕事がありそうですから“教師”だけがダメなのでしょう)。

 サラリーマンも、重役まで進めば定年退職後も何らかの恩恵に浴する場合があるみたいです。ただし“何もしていない”仲間のひとりは最終が「子会社への出向社長」でしたから重役の定年退職にもさまざまなものがありそうです。

 メンバーの全員が社会人としては大過なくひと段落着きました。生活不安を抱えているような人は見受けられません。
 おそらく生涯収入としては下から1番2番を争う私も、自分自身の頑固な吝嗇傾向とその2倍もケチな妻のおかげで、この先も困ることはなさそうです。

 ただし現在の境遇やかつての年収・退職金などを漏れ聞くと、多少の動揺を感じないわけでもありません。収入や待遇は一面“評価”の意味も持つからです。
 教員としてやりがいのある生活が送れましたし、もともとが金銭度外視でやってきたことなので悔いはないのですが、少しだけ心が動きます。

 確かにアイツは頭もいいし弁も立つ、困ったことに人柄もいい、けれど私がアイツの“半分以下”ということはないだろう、少なくとも働いた時間だけで言えば、私は仲間内でもっとも多かったひとりであるのは間違いないのだから――そういった思いです。

 しかしそれとても、今となってはつまらない愚痴です。