カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「降る雪や」〜昭和は遠くなりにけり

 いったん切り上げた昭和ネタですが、昨日母と話している最中に「そんなオブラートに包んだような話し方しないで――」と言われて、「あ、その表現も『オブラート』自体も、もう古くて理解されないなあ」と妙な感慨にふけりました。

 

 もちろん「昭和らしい慣用句」「昭和っぽい表現」で使われなくなったものはたくさんあります。しかしその大部分は流行語に類するもので、「オブラートに包む」のような極めてまじめで有効性の高かったものが懐かしくなってしまったことに、特別の感慨があったのです。

【オブラート】

 オブラートというのはデンプンでつくられた半透明の薄い皮膜で、いまでもゼリーのようなべとつく菓子を、まずオブラートで包んでそれからセロファンで包んでというふうに使われています。
 もちろんそれはゼリーがセロファンにくっつかず簡単に外れるように、手にべとつかずに食べられるようにというだけのものですから、そのままはがさず食べます。オブラート自体は味もほとんどないもので、口の中ですぐに溶けてしまいます。

 しかしそんな世の中の片隅の、特別な人でなければ知らないはずの「オブラート」が、誰にでも通用する慣用句として使われたことには、それなりの理由があります。
 それはオブラートが単体の商品として売り出され、ほとんどの家庭で常備されていた時代があったからです。

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 直径10cmほどの円形もので、100〜200枚ほどを一セットにして丸い厚紙のパッケージに入っていた、「薬用オブラート」がそれです。これに粉薬を包んで水と一緒に呑み込むのです。

 私は病弱な子だったので苦い粉薬をいつもこれに包んでもらっていました。ただし基本的な包み方をしても折り畳んだときにできる角がのどに引っかかって、しばしばすごく痛くて困りました。
 現在は苦い薬は錠剤になり粉薬も味をつけたりしてずいぶん飲みやすくなりましたが、おかげでオブラートを常備している家もほとんどなくなっているのではないでしょうか。

「オブラートに包んだような言い方」はそこから生まれた慣用句で、相手を強く刺激しないように遠回しに発言する場合を指します。大変便利なものでしたがオブラート自体を説明しなければならないようでは、もう使用期限の過ぎた表現とも言えます。
 何か寂しいですね。

【昭和は遠く・・・】

 中村草田男(なかむら くさたお)が「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んだのは1931年(昭和6年)だそうです。
 明治が終わってから19年目のこと。そう考えると29年目となる昭和はほんとうに遠くなってしまいました。

 ソノシートエアチェック、ブラウン管、ラジカセ、Hi-Fi、ベータマックス、UHF・・・なんのことかわかります?

 フロッピー・ディスクは知っていてもなぜフロッピー(floppy=ぺこぺこな)か分からない人は昭和とは言えませんね(自慢じゃない)。
*調べていたら「海外で人気! オブラートの新展開」というページがありました。面白い話なのでリンクしておきます。