「節分と追儺」

 2月3日、節分です。
「節分」というのはもともと季節の分かれ目――年4回ある「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれ前日ということになっています。
 季節の分かれ目には“鬼門が開く”とかで、それぞれ魔除けの儀式(追儺:ついな)をしなくてはならないのですが、中でも「立春」の前日は“これから春になる”という浮き立つ気分からずいぶんと盛り上がり、結果的に節分と言えば「立春」の前、追儺もここに絞られて今日に至っているみたいです。

 小学校ではこの日、“自分の心の中の鬼を退治する”とか言って、「怠け鬼」だの「忘れ物鬼」、「いじわる鬼」、その他もろもろの鬼の絵を描いて壁に飾り、それに豆を投げつけたりします。
 児戯に類することですが私は悪くないと思っています。
 新年の誓いを立ててからわずか一か月少々ですが、すでに反故にしてしまった子もいます。ここでもう一度「忘れ鬼」や「怠け鬼」を退治して、誓いの立て直しを図るのもよいことでしょう。
 大人だって気分の刷新にはいい機会かもしれません。

【節分の鬼は子どもにトラウマをもたらすか】

 ところで豆まきと言えば近ごろ、“大人が鬼に扮していきなり目の前に現れることで、子どもに深刻なトラウマが残ったらどうしましょう”といったふざけた話が出ているそうです(都市伝説かもしれませんが)。

 乱暴な言い方かもしれませんが、そんな文脈で“トラウマ”を語るのは、シリアのアレッポの市場で大好きのお祖母ちゃんと一緒に買い物をしていたところ、ロケット弾が飛んできてお祖母ちゃんの頭がスイカのように割れるのを見た、そういう子どもに対して申し訳ないような気がします。

 節分の鬼くらいで心に深い傷を負うような子は、大人になる前に精神を病んでしまいます。
 テレビにも雑誌にもインターネットの中にも、怖ろしい画像や映像はいくらでもあります。現実社会で遭遇する怖ろしい事件――川に落ちそうになるとか車にはねられそうになるとか、あるいは危険なことをやっていて知らないおじさんに烈火のごとく怒られるとか、目の前で大きな事故が起こってしまうとか――は完全に防ぐことはできません。

 ごく特殊なお子さんを除いて、親が紙のお面をかぶって現れる程度の節分の鬼のために、心を病む子などいるはずがないのです。

【アキュラは機械になった。しかし反省はしなかった】

 今を去ること20年ほど前の2月3日、気持ちよく豆まきをする当時3歳の息子、アキュラの前に、私が鬼の扮装でいきなり現れたことがあります。
「鬼は〜〜そとォ」と嬉しそうに声を出していたアキュラの表情はその瞬間に凍りつき、全身が硬直して、手だけが凄まじい速さで豆を掴んでこちらに投げ続けています。まるで自動機械みたいでした。
 私が、
「ウォ〜〜〜!! 良い子に〜〜なるか〜〜!!」
と金棒(金属バット)を振り回すとアキュラは声も出せずに首を縦に激しく振り続けましたが、次第にそれがゆっくりになり、豆を撒く手もスピード落ちてそのうち止まって、ニコッと笑うと、
「なんだ〜、父ちゃんかァ〜」
で、一件落着。
 ただし
「良い子に〜〜なるか〜〜!!」
で激しくうなづいた経験はアキュラの心に何の痕跡も残さなかったようで、その後、思ったほど「良い子」にはなりませんでした。

 本気でやろうとしたら東北地方のナマハゲのレベルの恐ろしさでやらなければならなかった、今はそう反省しています。
 世の中にお父さん、大丈夫です。節分は子どもを思いっきり怖ろしい目に合わせて楽しみましょう。
(ようやく1歳半の孫のハーヴよ! まだ小さいので今年は容赦したが、覚悟せよ、来年は必ず行くぞ、ジジの鬼!)